12/07 Tue.-2
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後かたづけをしている時、シュウが調理場の方にやってきた。
「すみませんが…」
その珍しい事態にメイは目を丸くしていたが、しかも彼は呼びかけてきたのだ。
思わず、キョロキョロして他に人がいないか確認してしまったくらいだ。
「は、はい!」
洗い物をしていた手を拭いて、彼の方を向き直る。
どう見ても、自分に話しかけている。
「すみませんが、お茶を4…いえ、3人分用意してもらえますか?」
こんなお願いをされたのは初めてだった。
メイはびっくりしたけれども、頭の中で計算をする。
ソウマ+カイト+シュウ=3人。
きっと、仲間内でこれからゆっくり話すことでもあるのだろう。
彼女はそう判断した。
「はい、分かりました。あの、コーヒーがいいです?」
男の人は、どちらかというとお茶よりもコーヒーを出した方がいいらしい。
前に勤めていた会社でもそうだったし、この間のソウマとハルコが来た時も、男性陣はコーヒーだった。
「ああそうですね。では、コーヒーをお願いします」
シュウ自身飲み物に興味がなさそうで、口振りからしたらどちらでも良さそうだ。
「じゃあ、後で部屋の方まで運びますね…2階で構わないんですよね?」
暗にカイトの部屋であることを示唆する。
この人に向かって『カイトの部屋』という表現をできそうになかった。
本人相手にも、まだ数えるほどしか『カイト』と呼んだことがないというのに。
「そうです…では、お願いします」
締めくくって、シュウは調理場を出て行った。
その長細い身体が見えなくなって、ほぉっとため息をつく。
まだ、彼の存在には慣れていないのだ。
本当に珍しいこともあるものだ。
シュウ自身はお茶に興味はなさそうだし、カイトの頼みで来たとも考えにくかった。
ソウマだったら自分で頼みに来そうだ。
首を傾げながらも、指定された人数分のコーヒーを準備する。
そして、階段を昇った。
片手とおなかでトレイを支えて、ノックをする。
「失礼します…お茶をお持ちしました」
入る時だけちょっと片手で苦労しながら、メイは部屋の中に入った。
が、予想していた雰囲気と違うことに気づいて立ち止まる。
あの3人が語らっているのだ。
そんなに悪い雰囲気じゃないと思っていたのに、ドアを開けてみたらそこにいたのは4人だった。
ソウマ。
シュウ。
カイト。
メイは、視線を動かしてメンバーを確認する。
そこまでは、予定通りだった。
しかし、もう一人いた。
黒髪に少しだけ白髪の見える男。
見るからに、厳しそうな人であるのが分かった。
失敗をしようものなら、もの凄く怒りそうなタイプである。
気むずかしい上司の目の前に来た気持ちになってしまい、メイは思わず緊張してしまった。
しかし、カイトはというと、ひどく驚いた顔になって彼女を見ている。
「茶なんか出すな!!」
おまけに怒鳴られてしまった。
え? え? ええええ?
頼まれたから、お茶を入れてきただけなのだ。
なのに、どうして怒られなければならないのだろうか。
話が通じていない様子に、シュウとカイトを見比べてしまう。
すると、眼鏡が室内灯に反射した。顔の角度を変えたのだ。
「私がお願いしました」
助け船が出た。
これで、メイが勝手な真似をしたのではないと分かってもらえるだろうと、ほっとする。
しかし、場はなごむどころか、ますます悪化した。
「んなこたぁ、最初から分かってんだよ! おめーは、こいつにそんなことを言う権利なんかねーんだ!」
今度は、シュウにバンバン怒鳴るのだ。
唖然として、その光景を見つめてしまう。
あのっ。
お茶を頼まれたことについては、気にしているワケではないので、それをカイトに伝えようと思った。
別にイヤなことではないのだと。
それどころかおやすいご用だ。
もしもメイを無視して、自分らでお茶でも何でもいれられてしまったら、彼女の居場所というものがなくなってしまう。
そんなことになってしまうよりも、まだ動いている方が幸せなのだ。
しかし、メイが口を挟むよりも先に、白髪混じりのお客の方が、そんな二人を咎めるような口調で言った。
「大の男が、何を使用人のことで騒いでいる」
その声を聞いた瞬間、彼女は分かった。
彼が一体誰なのか。
氏素性は知るはずがない。初めて会ったのだし。
ただ、電話で聞いた声であったことは、思い出せたのだ。
確か、昨日の朝ハルコの電話のすぐ後にかかってきた人である。
固い言葉を使っていた人だ。
外見と一致した声を持っている人である。
電話の声も、厳しそうだった。
ソウマかシュウが連れてきたとしか思えないので、共通の知り合いなのだろう。
この人のために、お茶を入れてくれとシュウが頼んだのだ。
きっと、大事な人に違いない。
4人なのに3人と彼が言ったのは、たぶん自分の分は除外したのだろう。
シュウ自身、お茶は必要じゃないだろうから。
すべての謎が解けて、メイは少しほっとした。頭の中が整理できたのである。
なのに。
カイトの拳がわなわなと震えていた。
「出てけっ!!!」
本気で怒っている怒鳴り方だった。
その咆哮に、メイはトレイを落としてしまいそうになる。
いつもの怒鳴りなんかとは、全然比べものにならない。
しかし、それは自分に向いていなかった。
あのお客に向けられたものである。
「カイト!」
ソウマが、彼の身体を押さえる。
まるで、殴りかかるかと心配しているかのように。
「離せ、クソ!」
カイトは暴れるようにして、ソウマを振り払おうとした。
「クソッ! 出てけ! 誰が見合いなんかするか! オレは、ぜってー結婚なんかしねー! 二度とくんな!」
しかし、ソウマは本気で押さえ込んでいる。
ふりほどけないと分かるや、お客に向かって罵倒の嵐だ。
え? お見合い? 結婚? しない?
情報が錯綜しすぎていて、メイは処理しきれなかった。
カイトが本気で怒っているのも、いまの怒鳴りの内容も。
何もかも分からないまま、ただそこに立っているのだ。
「何をそんなに怒っている…」
相手は、まったくもって理不尽な表情で近づいてきた。
殴りかかられる理由などない、と言わんばかりだ。
「アオイ教授…今日は引き上げましょう」
ソウマは、客の方も一歩も引かないと思ったのだろう。
これ以上、コトがこじれないように、諫める口で割って入った。
まだ身体は、カイトを羽交い締めている。
「何故だ。私は、この見合いの件をきちんと話すまで帰らぬ。何のためにここま…うっ!」
威風堂々しゃべっていた――アオイ教授という男は、しかし、まだ自由なカイトの脚にけっ飛ばされた。
「信じられん! これが、一つの会社の主たる姿か! 何たること!」
スネを見やった後、客は憤怒の表情になった。
仕打ちに耐えられないという顔だ。
メイは、ただ立ちつくしていた。
お茶を持ってきただけなのに、どうしてこんな嵐になってしまったのか。
オロオロすることさえできなかった。
「アオイ教授…」
ソウマがなだめるような声で、もう一度言った。
「頼まれなくても帰る。こんな野蛮人に、大切な知り合いのご息女を紹介するわけにはいかぬ。たとえ身分的に釣り合ったとしても、人間としてのレベルが釣り合わぬわ!」
雷のように怒った顔のまま、アオイは出て行きかけた。
立ちつくしていたメイの前で一歩止まり、睨むような視線を投げつける。
慌てて、彼女は飛び退いた。
「帰るぞ、ソウマ!」
ドアのところで、まるで従者のようにソウマを呼ぶ。
しかし、彼はまだカイトを押さえ込んでいた。
「車のところまで行っておいてください…すぐに行きます」
苦虫を噛みつぶしたというのは、まさにこのことだ。
この事態をかなり憂慮している表情で、ソウマは元凶が出ていくことを望んだのである。
ふん、と鼻息も荒く教授は出て行ってしまった。
後をシュウが追う。
バタン。
ドアは閉ざされた。
ようやく、ソウマはカイトから腕をはがした。
もう彼は暴れたりはしなかった。
ただ、ギラギラした怒りの目つきで、ドアの方を睨んでいる。
「お前は…」
はぁと物凄く深いため息で、ソウマは呼びかけた。
カイトは怒鳴りたげに彼の方を向き直るが、それより先に指を突きつけられた。
「今日ほど、お前に落胆したことはなかったぞ…自分がした発言を、もう一度じっくり考えてみろ! でないと…愛想尽かされるぞ」
一語一語、はっきりとした口調だ。
誤解する隙間もないくらいに、カイトにぶつけられる。
そうして、足早にドアの方へと向かう。
しかし、ソウマはメイの前で止まった。
「すまないな…こんなことになってしまって」
本当に困ったような表情で、ソウマは言う。
言いながら、冷めかけたコーヒーのカップをトレイから一杯掴むと、ぐいと飲み干す。
「ごちそうさま。それじゃあ、お騒がせしたね」
空のカップをトレイに戻しながら、苦笑いでソウマは出て行った。
残されたのは、2人。
カイトは立ちつくしたままで、メイもそう。
「あの…」
唇を動かして、掠れかけた声で彼を呼ぶ。
何故、こんなに怒っているのか、あのアオイ教授と仲違いしてしまったのかは分からない。
でも、きっと何か翻訳のための要素が隠れているだけで、見た目通りだけの結果ではないのだろうと思った。
カイトが、こっちを向く。
エネルギーを一気に消耗してしまったかのような、苦痛すら見えるような表情だった。
ズキンと胸が痛む。
「コーヒー…飲みませんか?」
残されたのは―― 2人と2杯のコーヒー。