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12/06 Mon.-3

「はぁぁぁぁ…」


 メイは、地表にめりこんでしまうくらいに重いため息をついた。


 自己嫌悪どころの話ではなかったからである。


 あんなとんでもない夢を見て、カイトに普通に接することが出来なくなるなんて。

 あれじゃあ、何かありました、心配してくださいと言っているようなものだ。


 だから、その通りに彼に心配させてしまった。


 熱があるのか勘違いされたのは、きっと顔が真っ赤だったせい。


 ああ、もう。


 自分のバカさ加減に恥ずかしくて消えてしまいたくなる。


 メイは、パンパンと両方の頬を叩いた。


 気合いを入れ直そうと思ったのだ。


 とりあえず、あの場は『大丈夫です! 何でもありません!』の一点張りで通して、ネクタイをぎゅっと締めて送り出したのだ。


 いつもと違って力加減が出来なかったような気がするから、きつく締まったかもしれない。


 きっと今頃、窮屈で緩めているだろう。


 それも自己嫌悪だ。


 何で、あんな夢を見てしまったのか。


 そう思っても、夢とは罪のない子供の悪戯のようなもので、なかなか自分の言うことを聞かないものなのだ。


 はやく忘れよう。


 メイは、そう決心した。


 でなければ、もうカイトのネクタイを締めることは出来ないのではないかと思うのだ。


 毎回、あれを思い出してしまって――


 とりあえず、朝ご飯の後片づけをして、各部屋の掃除を始めようと思った。


 一度、部屋に着替えに戻る。


 あのジーンズをゴミ箱から拾った後、ちゃんと洗ったのだ。それにはきかえた。


 見つからないようにしなくちゃ。


 カイトはどうしても気に入らないようだったが、これはないと困るのである。


 特に、ハルコがこれから毎日来られるというワケではないし、それに、無理な角度で掃除をしてもらうワケにもいかなかった。


 きゅっと、メイは髪を一つに結んだ。


 そうして再び階段を降りて、まずは台所から仕事をしようと思った時―― 音がした。


 え?


 また違和感だ。


 電話だった。


 はっとそっちの方を見ると、シュウが住んでいる一階の廊下の方にそれがあるのが分かった。


 思えば、いままで電話が鳴ったのを見たこともなかった。


 ここの家に関わる人は、全員がケイタイを持っているようで。


 必要な電話は、全てそっちで行われているせいか、家庭用配線の方は静まり返っていたのである。


 そう言えば。


 メイは慌てて電話に近付いた。


 今度から、来られそうにない日とかは、ハルコが電話を入れると言っていたのだ。


 メイは、ケイタイを持っていない。


 だから、彼女がこの家の電話を鳴らしているのだろうと思った。

 本来なら、そろそろ来るハズの時間であったし。


「はい、もしもし」


 慌ててコードレスの電話を取って、次の瞬間に凍りつく。


 もしも。


 もしもだが、これがハルコでない人であったらどうしようかと、その時に気がついたからである。


 カイトやシュウのことを聞かれても、何も答えられそうになかった。


 まあ、その時は会社に行ってます、でいいのだろうが。


 一人でパニクっているメイの耳に、こう聞こえた。


『おはよう、私よ…ハルコ』


 ほぉっと胸をなで下ろした。


 よかった、と思ったのだ。


 やはり、予想通り電話をかけてきたのはハルコだったのである。


「おはようございます…やっぱり、ハルコさんでしたね」


 安心すると声が出てくる。


 やはり、この家に電話をかけてくる人はほとんどいないようだ。


 偉大なるケイタイのおかげである。


 今まで、もし自分が一人でいる時に電話が鳴ったらどうすればいいかなんて、考えたこともなかった。


 今回はハルコに言われていたから取れたのだが、もしそうでなければ、もしかしたら電話が鳴り終わるまで、遠巻きに見てしまったかもしれない。


『ごめんなさい、今日はちょっと病院に行こうと思って』


 やはり来られないようで、ハルコがすまなさそうに言う。


「いえ、それは大丈夫ですけど…どうかされたんですか?」


 いきなり病院とか聞くと、ちょっと心配になってしまう。


 大事な身体なのに、いままで全然気づかずにいろんな仕事をさせていたのを思い出したのだ。


 初日に、メイのために大荷物を抱えてきてくれたのも忘れられない事件だ。彼女の洋服である。


 あれを抱えて階段を昇ってきたりしたのだ。


 自分のおなかに子供がいるかのように、彼女は心配してしまった。


『ああ、そうじゃないのよ…ちょっと風邪っぽいけど、いまは普通のお薬が飲めないでしょう? 早めに病院に相談をしようと思って』


「そうなんですか…いえ、こっちのことは大丈夫ですから、無理しないでゆっくり休んでください」


 大したことがないといいけど。


 心配を隠せないままだったが、メイはそう言葉にした。


『ありがとう…ああ、でもホントに残念だわ。昨日の話を聞きたかったのに』


 クスクス。


 電話の向こうで、彼女独特の笑みが漏れる。


 昨日。


 メイは、恥ずかしさにうつむいた。


 何だか、見えるところにハルコがいて、笑われているような気がしたのだ。


 ソウマ夫婦が訪ねてきた後、カイトが怒って出て行って、心配で心配でもうどうしたらいいか分からなくて涙が溢れてきて―― でも、彼は帰ってきてくれた。


 あの気持ちのせいだろうか。


 あんな夢を見てしまったのは。


『…でね…』


 はっと受話器の言葉に我に返る。


 昨日の記憶のせいで、聞くという仕事をおろそかにしていたのに気づいたのだ。


 慌てて声に意識を集中する。


『…あなたが家事をするのに、承諾したの?』


 最後の方だけではあったけれども、質問の意図を読みとることは出来た。


 メイは、困った表情になってしまった。


 結局、カイトが帰って来てくれたのでホッとして、そんな話はしなかったのである。


「いえ…でも、会社にいらっしゃる間にできますから」


 小さく声を潜めてしまった。

 誰が聞いているワケでもないというのに。


『そう…カイトくんったら』


 また、笑みだ。


 当事者であるメイは、彼女のように余裕を持って笑えそうになかった。


『それじゃあ、明日も来られそうになかったら電話をするわね』


 ハルコがそう締めくくろうとするので、もう一度、無理をしないでください、こっちは大丈夫ですからと伝える。


『そんなのは分かっているのよ…でも、私が行かないとあなたが働いていると思われちゃうでしょ? それじゃあ、またね』


 最後のセリフがそれだった。


 困ったまま、メイは電話を切った。


 ふぅ。


 ため息をつく。


 コードレスフォンはまだ持った状態で。


 早く夢を忘れようとすればするほど、記憶が押し寄せてくるような気がするのだ。

 だが、いつまでもこんなところで突っ立っているワケにもいかない。


 メイは、仕事に戻ろうとした。


 が、また電話が鳴った。


「はい、もしもし?」


 言い忘れでもあったのかな?


 メイは、下ろしかけたコードレスフォンを握り直し、通話状態にする。


『カイトはいるか?』


 しかし。


 それは、ハルコではなかった。


 男の人の声である。


 ドキーン!!!!!


 メイは、心臓が飛び上がるほど驚いた。


 てっきり、ハルコだと思っていたのだ。

 なのに、全然知らない人である。


 彼のことを呼び捨てにするのだ。親しい間柄なのだろう。


「あ、あの…会社に出勤されましたけど」


 あたふたしながらも、メイは答えた。


 本当に親しい人間ならケイタイ番号を知っているだろうし、どこに勤めているかくらいは知っているだろう。


 そこまで考えたワケではないが、とりあえず正直に答えることしか出来なかった。


 これ以上の、妙な言葉が来ないことを祈って。


『そうか、ならば会社に電話をしてみよう』


 しかし、電話の主はあっさり納得してくれたようである。


 メイは、ほっと胸をなで下ろした。


 そうなのだ。


 知らない電話は、こういう風にやりすごせばいいのである。

 そんなマニュアルを、胸の奥にそっと忍ばせながら。


『…ところで』


 しかし、電話は切れなかった。


 落ちついた強さのある声が、そう続けるのだ。


『ところで…君は誰だ?』


 ピキュイーン!


 そのセリフに、メイは完全に硬直してしまったのである。


 親しい間柄だからこそ、家にいるメンバーを知っているのだろう。

 そこに、聞き慣れない声の女がいるのである。


 聞かれても当然と言えば当然だ。


 そんな質問が来るとは思っていなかった。


 そして、自分が答えを持っていないことに、はっきりと気づいたのである。


 この家にとっての自分の立場は。


 何の―― 肩書きもなかった。


 本当に、彼女の立場を表す言葉はなかったのである。


 一番ふさわしいのは、『居候』かもしれない。


 けれども、それを相手に伝えると、かなり妙な意味合いに取られるだろう。

 男しかいない家に、若い女が居候している。


 怪しいどころの話ではない。


 もしも、自分がそういう風に答えて、カイトの方に何らかの迷惑がかかったら。


 一生懸命考えた。


「私は……」


 そうして――言った。


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