12/05 Sun.-4
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ええー!!!!!
メイは、驚いて隣の席を見つめた。
カイトがいる。
彼は、確固たる意思を持った瞳でハルコを見て―― ついさっき言ったのだ。
『ダメだ』、と。
2人で協力しあって彼女の妊娠期間を乗り切ろうという案は、雇い主の一言であっさり却下されてしまったのである。
どうして?
いま、カイトだって彼女に『やめるな』と言ったのだ。
ハルコを必要としていることは間違いないのに、どうして続けるための努力はいけないというのだろうか。
メイに働かせたくないのだと、彼が何故か思っているとしても、これは非常事態ではないか。
何年も、ということではないのだ。
「あら、どうして?」
疑問は、ハルコが聞いてくれた。
伺うような目を向けられて、カイトは乱暴な顎の動きで向こうを向いてしまう。
メイの位置からだと、もう表情は分からない。
「とにかく、ダメだ」
カイトの答えはそれで。全然要領を得ない。
「それじゃあ、誰も納得できないだろう?」
ソウマもあんまりだと思ったのか、身を乗り出すようにして答えを求めてくれる。
メイだって理由を聞きたい。
この空間で、カイト一人が三方から質問の矢に射抜かれていた。
「理由なんてどうでもいいだろ! とにかく、ダメなものはダメだ!」
しかし、カイトはその矢を、力ワザではねのけようとするのだ。
「おいおい…」
ソウマの苦笑など、彼のオーラはまったく受け付ける気配はなかった。
強固な城壁を張り巡らせ、誰もここに入ってくるなと突きつけている。
「あ、あの!」
それは分かっていたけれども、メイだって彼女を失うのは困るのだ。
まだ、自分は余りに知らないことが多すぎる。
そんな時に、気軽に相談の出来る相手が必要だった。
家の事でもそうだし、精神的な面でもそうだ。
いま、ハルコがまったく来なくなってしまったら―― 本当に、ちゃんとやっていけるかどうか不安だった。
「あのっ! 私、一生懸命お手伝いします。ちゃんと一人でもこの家のことが、何でも出来るように頑張りますから!」
だから、カイトに訴えた。
ご飯を認めてくれたのである。
彼が認めてくれたのは、おいしいと思ってくれたからだろうか。
それなら、掃除だって綺麗に出来るようになったら、容認してくれるかもしれない。
食事を作る時みたいに、怒らなくなってくれるかもしれないと、メイは思ったのだ。
しかし、振り返ったカイトの顔は、『おめーは何を言い出すんだ!』というような色をしていた。
その驚きの顔が、みるみる険しく変化した。
「ダメだ、ダメだ、ダメだっっっっ!!」
ダメのバルカン砲。
その怒鳴りに、思わず目をぎゅっとつむってしまった。
「そう、頭ごなしに言うこともないだろう…まったく、お前は」
苦笑するソウマの声で、ようやく彼女は目を開けることが出来た。
しかし、今度はテーブルの向こうに食ってかかるカイトがいた。
「人ん家の事に、口出し、してくんじゃ、ねー! すっこんでろ!」
一単語ずつ、指で突きつけながら怒鳴るのだ。
ソウマの眉が上がる。
2人の間に険悪な空気が流れて、それはメイをオロオロさせた。
「それじゃあ、私はこれからどうすればいいのかしら?」
男2人の問答ではラチが開かないと思ったのか、ゆっくりしたハルコの言葉が割って入る。
一番の当事者である。
さすがに、彼女には説明をしないワケにはいかないだろう。
カイトは、ぷいと横を向いた。
「…今まで通りに来い」
ぼそっと。
あんまり大きな声で言えなかったのは、ハルコが妊婦であることを知ったせいか。
しかし、発言内容は説明的ではなかった。
「毎日は無理よ」
カイトを刺激しないような言葉を選べるのは、さすがは元秘書である。
頭ごなしに文句を言うのではなく、外側から攻めていくのだ。
「…来られる時だけでいい」
もう一度、ぼそっと―― しかし、前よりも眉間のシワを深くしながら言った。
おや、とソウマが言った。
あら、とハルコも言った。
え? と、メイも思った。
3人して黙り込んで、いま彼の言った言葉を理解しようとしたのだ。
その後、メイ以外の二人は、物言いたげな視線を交わしていた。
誰も見る相手のないメイは、とりあえずはカイトの方を向き直る。
いまの発言を組み立て直そうとするのだが、彼女はうまくそれが出来なかった。
「それじゃあ、さっき彼女が提案した内容と一緒じゃないのか?」
ソウマは、ついにそれを言った。
そうなのだ。メイもそんなことを思ったのだ。
うまく言葉にしてくれる人がいてよかった。
ハルコに来られる時だけ来てもらおう、というのが最初の提案で。
それをカイトはダメだと言った。
しかし、聞いてみれば答えは一緒なのだ。
結果オーライではあるのだが、彼女は全然納得できなかった。
あんなにも、彼がムキになって拒絶する理由が、別にあるはずだったのだ。
「とにかく…来られるだけ来い」
カイトは、もうこれ以上聞くなとでも言うかのように、語尾をスタンと切り落とした。
彼の感情はどうあれ、メイの主張が通ったのだ。
それは喜ぶべきことである。釈然としないながらも、彼女は目を輝かせた。
「私…頑張ります!」
メイは、強くそれを主張した。容認してくれてありがとうございます―― の気持ちをいっぱいに詰めて。
しかし、もう一度彼女の方を見た目は、予想を反していた。
「おめーは…!」
カイトは何かを怒鳴りかける。
けれども、その表情がハッと我に返ったかのように口にストップをかけて、勢いよく顔をそらした。
あっ。
怒鳴りを途中でやめられてしまって、メイは戸惑った。
わずかな情報が組み込まれているそれすら、カイトの口から止められてしまったら、もっともっと彼の存在が理解できなくなってしまう。
追いすがるように見たが、カイトはもう彼女の視界にワザと入れないくらい向こうを睨んでいた。
「おめーは、何もしなくていいんだよ!」
え?
メイは、その声にビックリした。
大きな目を見開いた後、二度ほどまばたきをして顎を動かした。
カイトの方に―― ではない。
「…って、言いたいのか?」
クックック。
耐えられないように、肩を震わせて笑っているソウマの方だった。
わざわざ、カイトの口真似までして見せたのだ。
さすが付き合いが長いだけのことはある、と感心している場合ではないのだが。
「まあ、そうだったの…だから、最初の要求はダメだったのね」
クスクス。
口元を押さえてハルコが微笑む。
「私がやめてしまうと、彼女に負担がかかるから…だから『やめるな』って言ってくれたのかしら?」
そうだったら、ちょっと寂しいわね。
ハルコは、マシュマロを踏んでいくように、微笑みに声を弾ませながら、どんどん続けた。
カイトは、わなわなと唇を震わせながら彼女の方を向く。
「でも、せっかく協力してくれると言うんだから、してもらってもいいじゃないか…どうせ、食事の支度はしてもらってるんだろう?」
もっともな助言をソウマも言った。
メイは、現状の把握をうまく出来ないままではあったけれども、彼の言うことはもっともだと思った。
ガタン。
カイトは勢いよく席を立った。
ソファの上に一人残されたメイは、その反動によろめいてしまいそうになる。
「何にも知らねーくせに、勝手なことばっか言うんじゃねぇ!」
それは捨てゼリフ、もとい、捨て怒鳴りだった。
ダンダンと強い足音で、肩をいからせて出て行ってしまったのである。
バタン!
ドアを閉ざしても足音が聞こえる。階段を降りていく音まで。
「あ…」
どうして彼があんなに怒ったのか分からないメイは、不安に思いながら向かいの夫婦の方を見た。
分かっているのは、いまソウマが地雷を踏んだということだけ。
「やれやれ…」
ソウマは言った。
「ホントに…」
ハルコも言った。
なのに―― どうして2人とも、嬉しそうに笑っているのだろうか。




