12/05 Sun.-3
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ブッ殺す。
カイトの部屋のカイトのソファで、カイトは盛大に憎んでいた。
目の前にはソウマが、アホづらでにこにこしている。
音速の往復ビンタをかましても、同じような顔のままじゃないかと疑うほどだ。
いま一言でもしゃべったら、絶対ぶっ殺すというオーラをバシバシ感じているのか、ソウマはその滑りのいい口を開いたりはしなかった。
この間、カイトが台無しにした『大事な話』とやらを、休みの日にわざわざしにきたというのである。夫婦揃って。
どんな大事な話だかは知らないが、それでも彼は2人を叩き出そうとしたのである。
ソウマの言うことなんか、まったく信用していなかった。
なのにハルコが、『本当に大事な話なの』とお願いする目の一斉射撃をしたものだから、結局折れてしまったのである。
本当に、彼女は苦手だ。
いや、もうこの夫婦自体が苦手だった。
いま妻の方はいない。
いるのはその旦那と自分だけである。
「お待たせ…」
ようやくハルコが、お盆を持って入ってきた。
女という生き物は、お茶でも用意しないと話をし始めない習慣でもあるようだ。
信じられないかったるさだった。
ついで、メイも入ってくる。
おい。
カイトは顔を歪めた。
何故、彼女まで連れてくるのか意図が分からなかった。
「何で…」
そこまで言いかけて、ハルコを睨む。その後で、ちらっとメイの方を見て。
「大事な話はね…ちょっと彼女にも関係があるのよ」
いいでしょ?
そう言われては、拒むワケにもいかない。
ここで拒んだら、またメイに無用な誤解を招きかねなかった。
それを先回りして考えられただけ、まだカイトは冷静ということである。
ハルコは、テーブルの上にお盆を置いた。
コーヒーと紅茶が並べられる。
メイはソファの側まで近付いては来たが、まだそこに立っている。
彼女の分の紅茶は、カイトの隣の席に置かれていた。
ハルコは、ソウマの横に座る。
メイはまだ立っていた。
イラッ。
来たなら来たでしょうがないから座れ、と思うのだが―― ここで怒鳴りでもしたら、またイヤなツッコミが入るだろうことは、よく分かっていたので、ぎゅっと口を閉ざす。
「はやくいらっしゃい」
幸い、ハルコが助け船を出してくれたので解決した。
メイは、しばらくキョロキョロと自分の行き場を探していたが、最後はおずおずとカイトの隣の席にやってくる。
まるで学校の校長室に呼び出された生徒のような恐縮さで、小さくなるようにソファに座った。
彼女の体重を感じてへこむソファの余波は、カイトの方にも伝わってくる。
ちらっと横目で彼女の位置を確認する。
上まで見るワケではない。視線は下向きで、スカートの膝の位置を確認しただけだ。
そんなにすぐ側というワケでもないのだが、香りとか体温まで側にあるような気がして、とにかく落ち着かなかった。
「大事な話というのは…」
そう切り出されて、はっと前の方に顔を向ける。
ソウマだ。
彼はコーヒーを一口飲んで、またソーサーに戻すところだった。
「私たち2人に、プレゼントが来たんだ」
勿体ぶった口調だ。
マジシャンが、美女を忽然と消した箱を開けて見せる時のような、そんな感じ。
ソウマは、ステッキを持ってはいなかったが。
「あぁ?」
怪訝に眉を顰めた。
そういう言葉遊びは嫌いなのだ。
とっとと用件だけを簡潔に言え、というアピールだった。
そして、早く『帰れ』というのが正直な気持ち。
それが分かったのか、ソウマもハルコも同時に、にこっと笑った。
いつもの、カイトをからかおうとする時の顔なんかじゃなかった。
もっと違う顔。
「出来たんだよ」
ソウマ。
「何が?」
不審な目のカイト。
「子供さ」
ああそうかい。
……。
……。
…なにー!!??
「あ…おめでとうございます」
先にそれを言ったのは、メイだった。
嬉しそうに目を輝かせて、ハルコの方を見る。
つられてカイトも見てしまった。
しかし、カイトが見ているのは―― 彼女のおなかだった。
まだ、昔と全然昔変わっていないように見える。
本当に、その腹の中にソウマとの子供がいるのか。
カイトは、妊娠というものに無縁だった。
女友達というのはハルコくらいだったし、親や親戚はいるが付き合いはまったくなかった。
女子社員が寿退社(妊娠退社含む)をすることはあるようだったが、別にカイトが直接会うこともない。
いまのハルコを見る限りでは、とてもじゃないが妊婦には見えなかった。
「まだ三ヶ月だから…」
そんなカイトの食い入るような目に気づいたのか、ハルコが優しく言った。
はっと気づいて、カイトを視線をソウマに戻す。
こいつがオヤジに。
今度は、それを思う番だ。
2人は結婚しているワケだから、いつかそういう日が来ても全然おかしいことはなかったのだが、こうやって改めて考えたことなどなかった。
「男だったら一緒に山歩きをするぞ。女の子だったら…ヨメには出さないがな」
はっはっは。
笑うソウマに、カイトはあんぐりと口を開けた。
こんなベタすぎな発言を、本気で彼がするとは思ってもみなかったのである。
「まあ、ソウマったら」
ふふ。
ヨメさんも、まったくそんなソウマに動じている様子はない。
微笑みに輪がかかるだけだ。
止めろ、お前も。
汗をかきながら、カイトはハルコを睨んだ。
このまま、夫婦の幸せなアナザー・ワールドに引きずり込まれかねないことを懸念したカイトは、それを断ち切るために、こめかみを指でひっかきながら言った。
「そんで…大事な用とやらは終わりか?」
それなら、もう全部聞いたぞ。
カイトは、大変に風情のない口調を作った。
「あぁっ! それじゃあ、もうここには来られないということですか?」
しかし、向かいの2人がおめでとうも言わないカイトをたしなめる前に、隣のメイが不安そうな声をあげた。
その声の先は―― ハルコだった。
はっ。
そこで、初めて思い出したのである。
ハルコは友人であり、元秘書であり、そうしてカイトの家の家政婦でもあったのだ。
妊娠したということで、どういう風に身体に負担がかかるかは、カイトの想像の及ばないところだ。
しかし、大変なのだろうということくらいは理解出来る。
家政婦をやめるということを、伝えに来たのか。
もしそうだったら。
カイトの頭の中で、グルグルと場面が展開していく。
ハルコがこなくなったこの家にいるのは、自分とシュウと、そしてメイだったのだ。
家庭内のことを出来るのは、メイだけになる。
そうなると彼女の性格上、絶対に働くのだ。間違いなく働くのである。
ハルコの分までと、いままで以上に頑張ることは目に見えていた。
それは、かなりマズイ事態である。
食事を作るのを容認するのとは、またワケが違うのである。
メイを家政婦と同じ扱いにするということだ。
「そうなのよ…実は、それを相談しに…」
ちらちらとカイトの方をみながら、ハルコは静かな口調で切り出す。
「やめるな!」
しかし、その言葉が終わるより早くカイトは大声をかぶせた。
やめられたらとんでもないことになることが、簡単にシミュレーションできたのだ。
カイトは真剣だった。
こんなにハルコの存在を必要だと思ったことは、生まれて初めてだろう。
「あら、まあ…嬉しい」
ハルコが目を細める。
「おいおい…オレの奥さんを口説くなよ」
ソウマは笑って。
てめぇら。
拳をぎりぎりと握りながら、カイトは顔をひん曲げた。
「やめないでください!」
しかし、意外にもそれを言ったのはメイだった。
お?
カイトは隣を見る。
シミュレーションの予想が外れていたのだ。
彼女も、一生懸命な目でハルコに訴えていた。
「あの…毎日じゃなくてもいいです。時々でもいいです。お仕事は、ほとんど私がしますから、あの…やめるなんて言わないで下さい」
私、頑張りますから。
メイは真剣だった。
しかし、その内容はかなり気に入らない。
彼女の言い方は、心の支えとして、ハルコが必要であるかのようだった。
結局、仕事は全部自分がすると言っているも同然である。
「本当にそんなに必要にしてもらって嬉しいわ…そうね。あなたに手伝ってもらえたら、続けて行くことが出来るかもしれないわね」
ハルコも、彼女の申し出に嬉しそうに反応した。
その視線が、今度はカイトに向いた。
メイの目も。
「それでいいかしら?」
念押しの妊婦。
カイトは答えた。
「ダメだ」
ダメに決まってんだろ!