12/05 Sun.-1
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起きたら―― 昼のかなり前だった。
もう一度寝ようと思ったのだが、次に起きたら夕方だった、などという事態になったら大変だ。
カイトは、不承不承ベッドから出た。
夕方に目を覚まそうものなら、メイを悲しませるんじゃないかと思ったのだ。
昼には起きると、宣言してしまったのだから。
たかが女のとの約束のために、早く起きる日が来るとは。
約束の時間を守らないことで有名だったはずの彼が、いまではこのザマである。
いつもの自分のかけらが、また壊れて弾け飛んだ。
バカか、オレは。
自分を罵倒しながらも、昼までパソコンの前に座ることになった。
※
時計の針が、てっぺんで重なる。
カイトは、もう一度確認するように机の上の時計を見た。
それからパソコンに常時表示されている時計も見る。
パソコンの時計の方は、彼が見た瞬間に慌てて12時に変わった。
11時59分のままだと、先代のように窓に投げつけられるとでも思ったのだろうか。
時計に若干の狂いはあるけれども、世の中で言うところの『お昼』、という時間がやってきたのだ。
さっきから、何度も時計を見たがる自分と、そうしてその内の数度は本当に見てしまった自分には、本当に手を焼いた。
まるで、テンションの高い子供を一匹、身体の中で飼っているように思えたのだ。
しかも相手は子供なので、大人である自分の言うことなど全然聞こうとしない。
そんなガキは踏んでつぶしてやろうと、カイトだってムキになるのだが、逃げ足が早く―― そして、かくれんぼも得意だった。
クソッ。
カイトは顔を歪めながら立ち上がる。
しかし、立ち上がったポーズのまましばらく止まると、もう一度席についた。
考えるところがあったのである。
いま12時ちょうどだ。
12時になってすぐ下りていくと、彼女の昼ご飯が食べたくてすっ飛んできたと思われそうである。
そんなことを考えそうなのは、ハルコとかソウマだが、今でさえその視線があるような気がしてしょうがなかった。
あの2人ほど、ゴシップ的な情報が早く、口が信用ならない相手はいなかったのである。
ブスッとしたまま、カイトはしばらく椅子に縫い止められていた。
もうパソコンには手をつけられないまま、ただ時間が動くのをじっと睨んでいるのだ。
12時1分になったのを確認した後、目を閉じてみる。
見ないほうが、時間が速く進みそうな気がしたのだ。
目を開けると、15秒しかたっていなかった。
何をちんたら足踏みしているのか。
時計は時計らしく、正しく時を刻めばいいのだ。
悪態をつくが、時計はちゃんと正しく時を刻んでいる。濡れ衣だった。
カイトは、置き時計とパソコンの時計を見比べて、更に腹を立てるだけだ。
パソコンの時計の方が少し遅れているくらいで、どちらもほぼ変わらない時間を告げていたのだから。
2分経過。
こらえきれずに立ち上がる。
そのままトイレに行き、次に洗面所で顔をジャバジャバと洗う。
ついでに歯も磨いた。
そこらの引き出しを開けて、適当にシャツと別のジーンズを引っぱり出して着替えた。
終始仏頂面のまま、自分が何をいまやっているのか絶対に考えないように、思考をブロックしたままの行動だった。
思考が働き出すと、絶対に自分とケンカをしなければならないだろうことが分かってきたからである。
全部終わって時計のところに戻って来ると、12時8分過ぎだった。
じっと待っているよりは、有意義な時間だったようだ。
カイトは、もう椅子には座らずに部屋を出た。
廊下を歩く、階段を降りる。
左に曲がってダイニングの方へと向かう。
足音は静かに。
しかし、もう分かっていた。
廊下まで匂ってくるのである。
どう考えても、みそ汁だけとは思えない料理の香りが。
あんにゃろう。
カイトは、半目になった。
昨日の彼のセリフを、ちゃんと聞いていたのだろうか。
あんな、言いたくないようなセリフまで言わされたというのに。
そこからは、もう足音は静かになんて言ってられなくなった。
ダンダンと力強く踏みしめて、ダイニングの扉をバン、と開けたのである。
「あっ!」
しかし。
ドアを開けるなり、席に座っていた彼女はぴょんと立ち上がったのだ。
ぱっと晴れやかな笑顔で―― 本当に嬉しそうに。
見えない壁にぶつかったカイトは、急停止してしまった。
「おはよ…ええっと、ご飯ですよね! すぐ持ってきますから!」
そんな彼に気づかずに、メイはぴゅーんと調理場の方へ、スカートの裾を翻してしまった。
笑顔でカイトを撃ち抜いた責任など、ちっとも取らなかったのである。
ドアのところで、彼は頭を押さえた。
あの笑顔は、最初はドーンという衝撃が来る。
その後、一気に身体中に染み渡るのだ。
「爆発物取り扱い注意」の札を、彼女にも貼るべきだった。
カイトには、「火気厳禁」の札がお似合いか。
衝撃をようやく拭い去って席につく。
既にいろいろなものが並べられているのは、見なくても分かっていた。
調理場の方から、メイがお盆を持ってくる。
「ダイコンと油揚げとネギです」
にこにこにこにこ。
嬉しくてしょうがなさそうな、上の方に高く上がっていく声と、くだらない内容。
軽やかな足取りで、彼女はカイトに近付いてきた。
目の前に椀を置く。
味噌の色が、水の中でうねっていた。
それから炊き立てらしいご飯も、ジャーからよそわれる。
にこにこにこ。
すぐ側に立っているメイを見上げると、はちきれんばかりの笑顔だった。
それをじっと見ていることが出来ずに、ぱっと顔をそらす。
そうして言った。
「何時に起きて用意したんだ?」――と。
そのセリフに、彼女の空気が変わったのが分かった。
慌てるような気配が、はっきりとカイトにまで伝わってくるのだ。
「あ、え…その……そんなに早くは起きていません…料理だって、手のかかるものは作っていません!」
メイは、最初もつれるようだった唇を、途中から勢いに任せて一気にしゃべり切った。
しかし、ウソだとすぐに分かる。
カイトが、料理について疎いと思っているのか、そう言いくるめようとしているつもりなのだろう。
それ以上の追求はやめた。
せっかく自分のために作ってくれた料理を、また妙な誤解で台無しにしてしまいたくなかったのだ。
「そうか…」
全然信じていない心のままで、カイトはそう言った。
「はい!」
信じてもらえたと、こっちは理解したらしい。
メイは、嬉しそうにお盆を持って自分の席に行くと、ご飯とみそ汁を置いた。
座るかと思いきや、またお盆を持ったまま調理場に戻ってしまう。
次に現れた時には、お盆も置いてエプロンもはずしてやってきた。
そうして席につく。
カイトは、ようやく箸を取った。
じん、と身体にしみるみそ汁。
いつ漬けたのか、どうやって漬けたのか、聞くに聞けない一夜漬け。
ブロッコリーの緑も鮮やかなサラダ。
昨日はこの家で、食事をしていないのだから。
ほうれん草の中に卵を落として焼いてある。
食べてみたら、胡椒がよく効いていてうまかった。
それに、魚のみりん干し。
確かに、一品一品は彼女の言うように手間はかかっていないだろう。
しかし、どれもこれも魔法のようにすぐに出来上がる、とは思いにくかった。
メイの料理の手際を見たことがあるワケではないが、何でもかんでも大急ぎ、というタイプではないことは知っているつもりだ。
丁寧に作っているところを想像して、カイトは落ち着かなくなった。
だから、みそ汁だけでいいっつったんだ。
そういう不満が、胸をつくのである。
本当にみそ汁しか作らないような人間であれば、カイトだって安心して言葉を言えるのだが、こういう状態になってしまうから、言いたくなかったのである。
メイは、彼の許可にはりきってしまったのだ。
はーりーきーるーなぁー。
しかし、メイがあんまり嬉しそうなオーラをふりまいていたので―― それを口に出して言えなかった。
いや、どんなオーラであろうとも、きっとそう言えなかっただろうが。
そんな自分へのハライセに、がつがつと食べ物を押し込む男がいるだけだった。
また、『うめー』と、ヤギみたいなことを言わされながら。