12/04 Sat.-8
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メイの指した先にあったのは―― ファミリーレストランだった。
カイトは、当然のようにムッとする。
当たり前だ。
彼女ときたら、またもあの服と同じ過ちを犯す気なのか。
カイトの気持ちなど、ちっとも理解していないのだということが分かった。
食いたいものを言えとまで。
あのカイトが女と一緒に車で出かけ、あまつさえそんなことまで聞いたというのに、メイときたら、どうでもいいようなファミレスなどを指したのである。
腹立たしい以外の何者でもなかった。
今日は、もう何も仕事をさせない意味で外食に連れ出したのだ。
それなのに、行き先がその店とは―― 彼を甲斐性なしにする気なのか。
彼女の食べたいものを優先しようと思っていたのだが、まったくもって話にならない。
カイトは、その申し出を聞く気にもならなかった。
絶対に、それが本心だとは思えなかったからである。
普通なら。
たとえば、友人同士だったとしよう。
それ以上の関係は、いまのカイトは考えたくなかったし、実際考えられなかったので、シミュレーションは友人だ。
もしも、友人同士であったとしたら、メイはどう答えただろうか。
悩むかもしれない。
あれこれ相談するかもしれない―― しかし、いきなりそこらにあるファミレスを指して、『そこがいい』などと言い出すことだけは、ないように思えたのだ。
とてもじゃないが、味を楽しみに行くところとは思えなかった。
カイトだって入らないワケではない。
しかし、それを選択する時は、何でもいい、という時だ。
とりあえず座れて、とにかく腹に詰め込めればいい。
そんな風情のない感情の時なのだ。
もう一つ考えられそうなことは、値段くらいか。
いずれにせよ、その選択に喜ぶことなど一つもなかった。
頭の中で検索をかける。
カイトだって、うまい店とかいうのをたくさん知っているワケではない。
大学時代は、そういう店にも入り浸っていたが、最近は心の余裕とか潤いはなかった。本当に、何でもよかったのだ。
しかし、頭の中に検索をかけてもロクな店が出てこない。
日頃の食生活のすさみを物語っていた。
最近の行きつけは。
いや、好きで行きつけているワケではない。
ある取引先が、毎回同じところを接待に使うのだ。
おかげで、顔をしっかり覚えられていた。
あそこなら。
カイトは思った。
あそこに連れて行けば、もう二度とメイがファミレスを指したりしないような気がした。
カイトは、ハンドルを切った。
「おや…鋼南の社長さん。いつもと違う格好で、分かりませんでしたわ」
和服の女将が迎え入れてくれる。
「あいてっか?」
予約もなくジーンズのカイトは、しかし、ちっとも悪びれずにそう聞いた。
それどころか、大上段である。
「おや…相変わらず、強引なお仕事ぶりですなぁ…惚れ惚れしてしまいますわ。さぁ…どうぞ。お席をお作り致します」
お連れさんも、どうぞ。
カイトの肩越しに後ろを見る女将。
彼も、軽く後方を見やった。
メイが―― 惚けていた。
一体、自分がどこに連れてこられたのか、まったく分からない様子だ。
キョロキョロすることさえ忘れて、立ちつくしている。
「来い…」
手首を掴んで引っ張る。
軽い身体だった。
いや、抱き上げているわけではなく引っ張っているだけなのだが、彼女はまだ我に返っていないようで、簡単に引っ張れるのである。
中居に部屋に案内され、彼女と向かい合って座った。
「今日は何をご用意いたしましょう」
中居の言葉に、カイトが細かく答えられるハズもない。
大体、どんな料理があるかも、彼はよく分かっていなかったのだ。
「任せる」
あたかも来慣れた風を装って、そう言うしか出来ないのである。
メイに、それを悟られるワケにはいかなかったのだから。
「かしこまりました」
ふすまを閉めて、中居が下がっていった。
「あの…」
ようやく、メイが声を出す。
まばたきを、2回3回と繰り返して顎を巡らせるのだ。
畳敷きの部屋。床の間、掛け軸、生け花。
年を重ねた女将と、仕事人たちが集う厨房。
そう。
ここは――料亭なのだ。
※
「あの…ここは…」
不安そうな茶色の目だった。
ようやく自分を取り戻し始めたのか、落ち着かない素振りが生まれ出す。
心配という色の眉で、じっとカイトを見つめるのだ。
んな顔すんな!
たかが料亭に、女一人連れてきたくらいで吹き飛ぶ懐ではない。
それは、メイだって知っているはずだし、もっと知ってもいいくらいだった。
もっと知らしめるために、連れて来たと言っても過言ではないのだ。
「別に大したとこじゃねー」
カイトはうそぶいた。
こんな不安な目をさせたままのメイが、見たいワケではなかったのだ。
勝手に連れて来ておきながら、もうちょっといつもの顔をしろ、とカイトは至極乱暴なことを思うのだった。
「でも…」
彼のセリフも気持ちも、全然伝わっていないようである。
それがまた、腹立たしく思えた。
「黙ってろ」
だから―― そんな言葉を言ってしまった。
これ以上、胸を騒がされたくなかったのだ。
彼が選んで、彼が連れてきた店なのだ。
黙って出てくる料理を食え、と思ったのである。
そうしたら。
メイは、本当に黙り込んでしまった。
不安そうな目の色だけは隠しきれずに、あちこちを向いては、最終的にカイトに帰ってくる。
苦い沈黙になってしまった。
いつもの彼女の作る食卓では、こんな苦い沈黙にはならない。
確かに静かだけれども、もっと違う空気だった。
メイは、くるくるとあちこちを駆け回って。
カイトの目の前に、温かい湯気の上がる料理を出す。
彼の方のセッティングが終わると、慌てたように自分の席に戻るのだ。
それが、食事開始の合図。
いつの間にか。
そんな流れが、カイトの中にくっきりと残っていた。
こんなところで、記憶を呼び覚まされるとは思ってもみなかった。
しかし、いま持ち出すには余りよくないもので、それを意識から追い出そうとした。
けれども、記憶から現実に戻ってきたら、視線の痛い沈黙のまっただ中だったワケである。
とっとと。
メシ持ってこい。
とてもじゃないが、料亭で考えるセリフではなかった。
しかし、いまはもうそれが来ないと、この空気を打ち砕けないような気がしたのだ。
メイだって、うまい料理を食べたら、きっともう少しは。
カイトは願ったが、なかなか料理は運ばれてこなかった。
ここは、ファミリーレストランではないのだ。
先に、付け出しとお銚子が運ばれてきてしまった。
彼女と酒を飲めというのか。
これまた、考えてもいなかった事態にカイトの頭の中が、余計な思考でいっぱいになる。
朝起きたら。
同じベッドに、彼女が。
恐ろしい出来事だった。
カイトは、お銚子を取った。
「ほら」
軽く腕を動かして、彼女につごうとした。
「あ、あの…私、お酒はあんまり…あ、つぎますからどうぞ」
瞬間。
カイトは地雷を踏んだ。
彼女は手を伸ばして、別のお銚子を持ったのだ。
そうして、カイトの方へと傾けようとしてくれるのである。
ムカーッッッ!!!
とにかく、腹の立つ事態だ。
彼女が、自分のお酒を飲まないということについての怒りではなかった。
そうではなくて、あの仕事を。
メイが前に働いていた仕事を、彷彿とさせるような状況だったのである。
とにかく。
彼女が誰かにお酌をしようとしている。
それが、たとえ自分であったとしても、ムカついてしょうがなかったのだ。
「酒は…ナシだ」
カイトは、不機嫌を隠さずに、テーブルのお銚子を遠くに追いやった。
「あ…」
しゅうんと。
更に、彼女のテンションが下がっていく。
メイは、彼の心なんか全然分かってもいないのだ。
そうじゃねぇ!
内心で怒鳴りながら、眉間のシワの深さを変えるだけだった。
※
カイトは車に乗り込んだ。
彼は凄く怒っていた。
信じられない事態が起きたのだ。
料亭である。
最高級のもてなしをする代名詞のようなところだ。
なのに。
カイトは、やはりその事実が、とてつもなく信じられなかった。
マズかったのである。
いや、正確に言うと、ちっともウマイなんて感じなかった。
ただ口の中に押し込んできただけだった。
前に来た時は、こんなことを感じたりしなかった。
マズイという記憶があるなら、絶対に彼女を連れてきたりしない。
しかし、今日来てはっきりと分かった。
マズイ。
だから、物凄い不機嫌になってしまったのである。
助手席のメイに。
カイトは、ちらりと横目で見た。
黙って座っている彼女は、向こう側の窓の外を見ていた。
表情は分からない。
そう、彼女においしいものを食べさせる予定だったのに、結果がこのザマだ。
高いばかりで、ぜんぜんおいしくないものを食べさせてしまったのだ。
クソッ。
裏目に出たどころの話ではない。
何の言葉もかけられずに、車をバンバン走らせるだけだった。
自分の株が、これでズドンと下がってしまったに違いない。
一緒にメイの信用も失ってしまったような感触がして、彼はひどく悔しい思いをした。
暗い車内。
出かける時はまだ明るかったが、もう真っ暗どころではなかった。
車のライトとネオンと、時々明かりの中に浮き上がる人の影だけになるのだ。
しかし、車内が暗いのは、明るさのせいだけではなかった。
行きの車の中よりも、もっと暗い―― いや、重い空気。
カイトは、家までの最短距離の道を走った。
こんな空気の中に、いつまでも浸かっていたくなかったのである。
理想では、いまごろすごくうまい食事をして、メイが彼を見直しているところだったのだ。
『おいしかったです』と、嬉しそうな笑顔で話しかけていてくれる予定だったのだ。
なのに。
「おいしかったです…ね」
しかし、メイはそう言った。
空想上ではなく、現実の、いま助手席に座っている彼女がそう言ったのである。
耳を疑った。
そんな反応が出てくるとは、思ってもみなかったのだ。
「世辞はいい」
けれども、すぐにそう切り捨てた。
彼女の性格上、ご馳走してもらった料理について文句を言うことなどないと思ったのだ。
「お世辞なんかじゃありません!」
ばっと、カイトの方を向き直る身体。
その勢いに、思わず飲まれてしまいそうになる。
「お魚の煮付けなんて、ホントに…あんなにおいしいのを食べたのは初めてです! あの湯葉だって…お世辞なんかじゃなくて、ホントにおいしかったんです!」
拳を固めて力説するのは、料理を作る側の人間だからだろうか。
しかも、料理の内容まできちんと覚えているのである。
彼は、湯葉が出てきたことさえ覚えていないというのに。
カイトには分からないが、きっと料理を作ろうと努力をしている者は、食べるだけの人間とは味わい方が違うのだろう。
確かに。
カイトだって他人が作ったゲームをする時に、純粋なゲーマーな自分はいない。
作り手として見てしまうのだ。
多分、それと似たようなもの。
ということは。
彼女が、こんなに一生懸命に訴えてくるということは―― 本当に、メイにとってあの料理はおいしかったのだ。
それはどうやら間違いないようである。
しかし、つじつまが合わなかった。
カイトは、おいしく感じなかったのだ。
あんなもんを食うぐらいなら…!!
考えかけた言葉の先を、彼は続けられなかった。
何故なら、その先には地雷があったから。
あんなもんを食うぐらいなら。
あんな、取り澄ましたツンケンした料理よりも。
何てこった。
分かってしまったのだ。
この舌は。
この舌は、あんな料亭の料理よりも―― メイの方がいいと言うのである。
カレーの味が忘れられないのだ。
あれに比べれば、今日の料理をまずく感じても当然だった。
とんでもない結末である。
これでは、どこに食事に出かけても一緒だ。
どんなに高い店でも、うまいと評判の店でも。
結局、自分の舌が求めているのは、メイの料理なのである。
カイトは呆然とした。
こんな舌を持っていたら、彼女は全然楽できない。
働かなくてもいいと思っているのと裏腹に、手料理を食べたがっている自分がいて。
見事な矛盾だった。
しかし、その矛盾を解き明かすことがことが出来なかった。
それより前に、助手席で言葉を続ける者がいたのだ。
「あんなおいしいものに比べたら…」
言葉尻は、メイの足元の闇にすぅっと沈んでいった。
え?
カイトは、分からなかった。
彼女が何を言おうとしているのか、しばらく理解できなかったのだ。
しかし、優しい彼女は続けてくれて。
「どうして、私をあの店に連れて行かれたか…意味が分かりました」
ぽつり。
待て。
意味は分からないが、イヤな予感がする。
まったく自分の意図していない方向に、話が進んでいるような気がするのだ。
「明日から…もっとおいしいご飯を作れるように頑張ります」
ぽつっ。
ま、待てー!!!!
カイトは目を見開いた。
イヤな予感的中である。とんでもない話になってしまった。
明日から…もっと…何だと?
イヤ、分かった。
もう分かった。
繰り返すまでもない。
いままでの彼女の料理に、不満を抱いている―― そう思われたのだ。
だから、本当においしいものを食べさせることで、それを暗に示そうとしたのだと。
『分かった』などと言っているが、全然分かっちゃいなかった。
とんでもない濡れ衣である。
あの料亭の料理の味を、カイトはマズイと思ったのだ。メイの料理に比べたら。
そんな彼に向かって、何ということを言うのか。
きゅーっと、頭の中の温度メーターが急騰する。
「おいしいご飯を作れるようになりますから…だから、何もするななんて言わないで下さい」
ヤメロ。
もう、何も言うな。
クソッ。
バカヤロウ。
何で分かんねーんだ。オレがこんなに!
「オレぁ!」
カイトは、車内で大きな声を張り上げた。
わんっ、と反響するくらいに。
彼女の身体が、ビクッとそれに反応して。
「今日の夕メシほどマズイと思ったもんはねぇ! もう、二度とあの店には行かねぇ!」
一息で怒鳴る。
語尾の二つの「ねぇ」に、一番強く力を込めて跳ね上げる。
「え…あ…だって、あんなにおいし…」
怒鳴りに驚きながらも、しかし、その内容にはもっと驚いたらしい。
チョコレート色の目が、彼の気持ちを探そうとするかのように視線を向けて、でも落ち着かなくさまよわせた。
「マズイっつってんだろ!」
最後まで言わせなかった。
間髪入れずに、次の怒鳴りを入れたのだ。
荒れた息に、カイトは肩を上下させる。
信号が赤になってよかった。
ブレーキを踏んで。
ようやく、少しだけ落ちつくことが出来た。
それと―― 隣にゆっくり視線を投げることが出来たのだ。
メイは、分からないという顔をしていた。
意味も、どうしたらいいのかも。
どっちも分からない顔だ。
まだ分かんねーのかよ!
彼は、まだ少しだけしか落ちついていないのだ。
心の中には、泡を弾けさせるマグマが存在していて。
そうは簡単に、全てが静まってしまうハズもなかった。
「でも…」
「明日は!」
メイが、また言葉の抵抗をしようとするのが分かって、すぐに自分の言葉を後から追わせた。
女の厄介な心とやらに、これ以上振り回されたくなかったのだ。
「明日は、昼には起きる!」
カイトは前を向いた。
まだ赤だ。
横断歩道には、夜遊びの茶パツの群れが歩いていて、まとめてはね飛ばしたい衝動にかられる。
点滅する歩行者用の信号。
メイの視線を、左の頬に感じた。
そして言った。
「昼メシは…ミソ汁だけでいい」
信号が、青に変わる。
渡りきっていない茶パツの群れの最後尾を掠めるように、カイトはアクセルを踏んだ。
ついに――彼女が料理を作ることを、はっきりと言葉で容認してしまった。




