12/04 Sat.-7
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私もって…。
腕を掴まれて連れて行かれる。こんなシチュエーションは、今日はもう2回目である。
どうにもカイトのペースからすると、彼女の思考や行動は遅くてしょうがないらしい。
強くて痛いくらいの力がかけられて、メイはついていくしかなかった。
カイトは、外食をすると言った。
この家で、彼女の作る食事はいらないと。
食事の用意だけは、いままで怒らないでいてくれたのに、それすらも怒ってしまうくらい、あの服装が気に入らなかったのだろうか。
それとも、やっぱり外食の方がおいしいと――
いろいろと山のように考えてしまうのだが、どれ一つとして前向きで建設的な結果に結びつかない。
特に、いまは引っ張られている状態だ。
ちゃんとついていかないと転んでしまいそうで、彼女はたくさんの神経を裂かなければならなかった。
ジャラッという金属のぶつかり合うような音がした。
おそらく、車のカギだろう。
いつも玄関のところに置いているのは、彼女も知っている。
ドアが開いた瞬間、冷たい空気が押し寄せてきた。
外に出てしまったのだ。
しかし、足は止まらない。
そのままカイトは歩き続けた。
心配になって振り返ってしまう。
カギもかけないどころか、開けっ放しなのだ。
その玄関が、どんどん遠くなっていくのが分かった。
この敷地外に出たことくらいある。
ハルコと一緒に、昨日買い物に行ったのだ。
しかし、その時とは違う条件があった。
今度は、カイトと一緒なのだ。
彼と一緒に車に乗ったのは、初めてここに来たあのタクシーだけ。
こうやって、外食という理由はさておき、2人だけで出かける日が来るなんて想像だに出来なかった。
あの、と彼の背中に声をかけようとした時、ようやくカイトが足を止める。
車の目の前だ。
腕も離される。
車のロックが解除される音がした。
リモコンなのだろう。カギを鳴らしていたので。
その場に立ちつくしているメイを置いて、彼は運転席側に近付いていく。
ドアを開ける。
一度、その中に沈みかけた身体が、もう一度戻ってきて彼女を見た。
何をぼーっと突っ立ってるんだ。
そんな目の色であることがすぐに分かったけれども、メイはオロオロしたままだった。
まだ、何も心の中で決着がついていないのだ。
自分が作る食事についても、外食についても。
カイトの身体が沈んだ。
ドアがバタンと閉ざされる。
ほとんど間もなく、エンジンがかかった。
このまま乗り込まなければ、自分が置いて行かれるような気がして慌てる。
ど、ど、どうしよう。
乗るのは簡単だ。
けれども、それは彼と外食を一緒にするということであり、同じ車内の空間を共有するということでもあった。
ガチャッ。
すると、今度は内側から助手席のドアが開く。
身を乗り出すように、カイトが中からイラ立った目で自分を見上げていた。
「乗れ」
命令形だ。
これで乗らないと、また怒られて、とんでもないことになりそうな予感のしたメイは、慌ててそのドアに近付いた。
ドキドキした胸を押さえつつ、黙って乗り込む。
ふかっとしたシートの感触に抱き留められて、一瞬ビックリする。
免許も持っていないし、こんなに柔らかいシートの車には乗ったことがなかった。
パタン。
静かにドアを閉めようとしたら、思い切り半ドアになってしまってまた焦る。
いつ隣から、怒鳴り声が飛んでくるとも限らないのだ。
もう一回ドアをちょっと開けて―― 今度はちゃんと閉めることが出来た。
そっと、運転席の方を見る。
車は動き出した。
見えているのは、カイトの不機嫌そうな、でもいつもの横顔だった。
シーン。
車内は静かだった。
カーラジオもついていないし、カイトもしゃべらないのだ。
そんな空気の中、まだ自分の胸の鼓動さえも制御できないメイが、ペラペラとしゃべり出せるハズもない。
空気が重く感じられた。
車は本道に出て、スムースに流れ始める。
昨日見覚えた景色が、もういちど復習のようにメイの目の前で流れていくが、頭に入るはずもなかった。
こんなに近い距離で、しかも閉ざされた空間で―― カイトと2人きりなのである。
ちょっと手を伸ばせば、触れることなんか簡単すぎる距離。
そう思った時、彼の手がにゅっと伸びてきてビックリした。
まさか、いまの彼女の心を読んだのでは、と一瞬思ったがそんなハズはなかった。
カイトは左手でオーディオのパネルに触れたのだ。
ピッ、ピッと電子音を鳴らす指先。
押し寄せるような音の波が、後ろの方から伝わってくる。
カイトもこの静かさに耐えられないのか、ラジオをつけたのだ。
もしかしたら、いつも聞くのが習慣なだけかもしれないが。
洋楽だ。
それも、メイが聞いたことのある、有名なクリスマスソングだった。
もう、12月なのだ。
最初に来た時は、まだ11月だったし、クリスマスとかそんなレベルの思考が出来る状態ではなかった。
けれども、着実にカイトの側で時間が過ぎていくのが分かる。
まだ1週間でも、それをこんな歌で実感してしまった。
ちょうど終わりの方だったらしく、歌はすぐに終わってしまった。
パーソナリティの女性が、クリスマスの予定だの、今年のクリスマスの傾向だの楽しそうな声でしゃべりだす。
すると、カイトの手がにゅっと伸びて、またピピッとパネルを変更して―― 結局、ラジオを切ってしまった。
気に入らなかったのだろう。
限りなく静かになる。
ちょこんと助手席に座ったままのメイは、一人で考え込む時間を与えられてしまったのだ。
「おい」
しかし、カイトの方はようやくしゃべる気になったのか、短いその一言で呼ばれる。
顔を向けると、彼は交差点の中で大きくハンドルを左に切ろうとしていた。
メイの身体が、運転席の方に持っていかれそうになる。
慌てて遠心力に逆らうように我慢した。
「食いたいもん…言え」
ぶっきらぼうで、機嫌が悪そうで。
そういうことを聞くことすら、全然慣れてない舌さばき。
「え…あっ…」
いきなりの質問に、さらっとこたえられるはずもない。
しかも、その質問の内容は、かなり難しいものだったのだ。
友人関係との外食だって、どこにしようかあれやこれや迷ってしまう彼女に、食べたいものの指定をさせるなんて大変である。
だから、世界最強の答えを口にしようとした。ゴマのように、振りかければ決着する魔法の言葉である。
「な…」
メイは口を開けた。
「何でもいいは、ナシだ」
しかし、全部言い切るのは、カイトの方が早かった。
彼もその世界最強の答えの存在を、ちゃんと知っていたのである。
そんなぁ。
頭の中を、いろんな料理が巡る。
嫌いなものはないし、何だって食べられる。だから、本当に何でもいいのだ。
カイトの好みの方がうるさそうに思えて。
それに合わせてもらうのもすごく心苦しいし、何より、いまメイはお金を持っていないのだ。
服などの残りがもう少しはあるが、それは部屋に置いてきた。
ということは、どう考えてもカイトが食事の代金を支払うということである。
出た結論は――できるだけカイトの負担にならない、リーズナブルな店、というものだった。
「あっ、あの…!」
メイは、ぱっと顔をカイトの方に向けて、その気持ちを伝えようとした。
そんな彼の向こう側の方に、派手な大きな看板が見える。
「あ、そこがいいです!」
メイは、慌ててそれを指さした。
カイトの視線が、ちらっとその指の先を見やる。
庶民の憩いの広場、ファミリーレストランだ。
ここなら、高い料理といってもタカがしれているだろう。
彼女も少しは心が安まるというものだ。
しかし。
車は止まらなかった。
ブレーキすら踏まれなかった。
最初から、そんな店はそこに存在していなかったかのように、カイトに無視されたのである。
え、ええー…何で?
何がいいかと言われたから答えたのに。
うまく伝わらなかったのだろうかと、不安な目で彼を見る。
「もういい…黙って座ってろ」
ムスッとした声が、彼女の要望を簡単に却下してしまったことを伝えたのだった。