12/02 Thu.-17
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食事が終わってしまうと、本当に何もすることがなくなる。
しかし、いつまでもダイニングでぐずぐずしている訳にもいかず、カイトは乱暴に席から立ち上がらなければならなかった。
時計をみたら、やっぱり8時くらいで。
信じられない。
8時に家にいて、何をしろというのか。
この家にあるカイトのおもちゃは、ノートパソコンくらいである。
必要なソフトはあるけれども、全部をインストールしているワケではなかった。
とりあえず立ち上がったカイトは、そこを出ていこうとした。
メイの方も、彼が目の前にいる限り後かたづけが始められないらしく、食事が終わってもそこに座ったままなのだから。
本当は後かたづけなどしなくていい、と言いたいのだが。
またその件で一悶着起こす気は、いまの彼には起きなかった。
人間、満腹というものをストレートに感じると穏やかになるものなのだと、初めて知ったような気がした。
ただ、満たされているのは胃袋の方だけであって、決して心ではない。
けれど、心は空っぽというワケでもなかった。
目の前の女が入っているのだ。
そう、ここのところに。
堂々とど真ん中にたっているワケではなく、部屋の隅っこの椅子にちょこんと座っている。
んなとこにいなくて、もっとこっちこい!
中央に引きずり出そうとしている自分と、止める自分がいる。
彼女は、確かに中央にはいないけれども―― その部屋には、たった一人しかいないのだ。
他の選択肢なんかなかった。
ハルコやソウマやシュウとは、全然違う部屋。
彼女のためだけの部屋。
けれども、今日もまた、心の隅っこの椅子に座っているメイを見るだけで、彼には何もできない。
「あのっ!」
ダイニングを出ていきかけたカイトは、少し強い声で呼び止められた。
ちょうど、彼女について考え込んでいただけに、驚いてはっと振り返ってしまう。
「あの…食後のお茶でもいかかですか? コーヒーがよければ、コーヒーいれます」
呼び止めるのに、勇気を費やした顔をしている。
メイは、一生懸命な唇でそれを訴えるのだ。
しかし、その内容はお茶という、カイトにとってはくだらない時間への誘いだった。
お茶のためだけに時間を割くという感覚は、彼にはないのだ。
茶なら、仕事しながらとか、他のことをしながらでも飲めるのだから。
しかし。
メイの様子に、彼は引っかかった。
もしかしたら、お茶というのは口実で、他に彼に言いたいことがあるのではないだろうか――そう思えたのだ。
言いたいこと。
胸がひやっとする。
彼女のことを余りに知らない分、何を言い出されるか想像がつかなかったのだ。
もしかして。
イヤな考えが掠めた。
出て…行くのか?
考えられない話ではない。土台、不自然な同居生活なのである。
あれから数日が経って、彼女も落ち着いていろいろ考えたのかもしれなかった。
だから、カイトの考えも及ばない結論にたどりついているのかも。
それが、怖かった。
「別に…いらねぇ」
彼は、お茶の誘いを―― 要するに、その裏側の誘いを断った。
お茶の誘いを断るだけなら、何の問題もないはずだからだ。
再び、そこを出ようとした。
「あ、あの!」
もう一度、呼び止められる。
間違いなかった。
メイは、何か言いたいことがあるのだ。
お茶はその口実にすぎなかったのである。
しかし、彼女の言葉は影縫いのようにカイトの足を止めた。
ドアのところで、立ち止まってしまったのだ。
「あの…少しお話が…その、すぐ終わりますから! お時間は取らせませんから!」
それは、街頭アンケートのバイトの中で、一番下手な呼び止め方だった。
だが、カイトには効果絶大だ。
分かってはいたけれども、ここまではっきりと呼び止められると、彼には逃げ場がなくなった。
まだ、お茶の話だったら逃げられたのに。
忙しい、と。
唇が、『いま、忙しい』と言いたがっていた。
きっとそう言えば、彼女はいま無理に言おうとしないだろう。
今度こそ、カイトは解放されるはずである。
しかし、忙しいはずなんかなかった。
忙しいなら、今頃はまだ会社の中である。
相手はそういう事情を知るはずなどないから、それをゴリ押しできないワケではなかった。
本当であろうが嘘だろうが、彼女がそれで手を引っ込めることは分かっていたのだ。
聞きたくない。
カイトは、それを聞きたくないのだ。
しかし、心のどこかでいつもずっと恐れていて―― いつかその日が来るのだと、予感があったのは確かだった。
失うのか、と一瞬思って失笑する。
失うほど、自分が彼女の何を手に入れているのかと気づいたのだ。
何一つ、メイは彼のものではなかった。その髪の先さえも。
カイトは、葬儀に参列するような表情で席に戻った。
いや、葬儀の方がまだよっぽど心は晴れやかな気がする。
不謹慎な話だが。
ガタン、ドスン。
動きは葬儀とは無縁の乱雑さになってしまって、椅子が彼の横暴に悲鳴をあげた。
「あ、お茶いれますね!」
話を聞く気になってくれたのだと理解したメイは、嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。
それから、調理場の方に向かおうとする。
「いい」
カイトは言った。
「はい?」
動きを止めて、いま何を言われたのか、音をもう一度確認してくる茶色の目。
「茶もコーヒーもいらねぇ…何だ?」
机に片肘をかけて、目をあらぬ方にそらしながら聞く。
彼女の顔を、見ていたくなかった。
検査の後、医者の目の前に座らされている気分だ。
これ以上、病名を言われる前に、カルテを眺めながらうなられるのは耐えられなかった。
患者の頭の中には、百万の病名が駆け抜けていくだけなのだから。
「あ…はい。すみません、時間とらせて、その…あの…厚かましいってちゃんと分かってるんです! 本当は、その…すごく贅沢だって分かってるんです! えっと、あの、その…あの…」
最初は、勢いよく口も動いていたけれども、最後の方になればなるほど、メイの口はぐちゃぐちゃになって言った。
緊張の余りに、言葉が混乱している。
カイトは、ようやく彼女を見た。
落ち着かなくあちこちに動いていた目が、そこでぴたっと彼で止まった。
何、だ?
何が言いてぇ?
彼女の言うことは要領を得ないのだ。
これからどういう展開が、自分を待っているのか想像もつかない。
「あの…」
自分で話を切りだしたくせに、メイは泣きそうな顔になる。
言いたい言葉をどうしても言えない――それがたまりにたまって、そんな顔になったような。
馬鹿野郎…。
そういう状態になると、泣きたくなるよりもキレる男であるカイトにしてみれば、今の状態は生殺しもいいところである。
何が言いたいのかはっきりきっぱり口にしろ、と。
しかし、それを怒鳴れないのだ。
はっきりきっぱり口にされて、それが。
それが。
ズクズクと、内側が熱を持ったように痛む。
気に障る痛みを続ける。
毎日一回は、こういう痛みを食らっているような気がした。
メイという女といるだけで、トラブルの渦中にいるように思えるのだ。
しかし。
「あの…絶対! 絶対! 絶対に…変なことには使いません! だから、だから…ちょっとだけ、お金を貸してくだ…すみません」
必需品しか買いませんから。
ようやく、メイは覚悟を決めたように、でも、ひどく言いにくそうに頭を下げたのだった。
……あぁ?




