表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/175

12/02 Thu.-17

 食事が終わってしまうと、本当に何もすることがなくなる。


 しかし、いつまでもダイニングでぐずぐずしている訳にもいかず、カイトは乱暴に席から立ち上がらなければならなかった。


 時計をみたら、やっぱり8時くらいで。


 信じられない。


 8時に家にいて、何をしろというのか。


 この家にあるカイトのおもちゃは、ノートパソコンくらいである。


 必要なソフトはあるけれども、全部をインストールしているワケではなかった。


 とりあえず立ち上がったカイトは、そこを出ていこうとした。


 メイの方も、彼が目の前にいる限り後かたづけが始められないらしく、食事が終わってもそこに座ったままなのだから。


 本当は後かたづけなどしなくていい、と言いたいのだが。


 またその件で一悶着起こす気は、いまの彼には起きなかった。


 人間、満腹というものをストレートに感じると穏やかになるものなのだと、初めて知ったような気がした。


 ただ、満たされているのは胃袋の方だけであって、決して心ではない。


 けれど、心は空っぽというワケでもなかった。


 目の前の女が入っているのだ。


 そう、ここのところに。


 堂々とど真ん中にたっているワケではなく、部屋の隅っこの椅子にちょこんと座っている。


 んなとこにいなくて、もっとこっちこい!


 中央に引きずり出そうとしている自分と、止める自分がいる。


 彼女は、確かに中央にはいないけれども―― その部屋には、たった一人しかいないのだ。


 他の選択肢なんかなかった。


 ハルコやソウマやシュウとは、全然違う部屋。


 彼女のためだけの部屋。


 けれども、今日もまた、心の隅っこの椅子に座っているメイを見るだけで、彼には何もできない。


「あのっ!」


 ダイニングを出ていきかけたカイトは、少し強い声で呼び止められた。


 ちょうど、彼女について考え込んでいただけに、驚いてはっと振り返ってしまう。


「あの…食後のお茶でもいかかですか? コーヒーがよければ、コーヒーいれます」


 呼び止めるのに、勇気を費やした顔をしている。


 メイは、一生懸命な唇でそれを訴えるのだ。


 しかし、その内容はお茶という、カイトにとってはくだらない時間への誘いだった。


 お茶のためだけに時間を割くという感覚は、彼にはないのだ。


 茶なら、仕事しながらとか、他のことをしながらでも飲めるのだから。


 しかし。


 メイの様子に、彼は引っかかった。


 もしかしたら、お茶というのは口実で、他に彼に言いたいことがあるのではないだろうか――そう思えたのだ。


 言いたいこと。


 胸がひやっとする。


 彼女のことを余りに知らない分、何を言い出されるか想像がつかなかったのだ。


 もしかして。


 イヤな考えが掠めた。


 出て…行くのか?


 考えられない話ではない。土台、不自然な同居生活なのである。


 あれから数日が経って、彼女も落ち着いていろいろ考えたのかもしれなかった。


 だから、カイトの考えも及ばない結論にたどりついているのかも。


 それが、怖かった。


「別に…いらねぇ」


 彼は、お茶の誘いを―― 要するに、その裏側の誘いを断った。


 お茶の誘いを断るだけなら、何の問題もないはずだからだ。


 再び、そこを出ようとした。


「あ、あの!」


 もう一度、呼び止められる。


 間違いなかった。


 メイは、何か言いたいことがあるのだ。


 お茶はその口実にすぎなかったのである。


 しかし、彼女の言葉は影縫いのようにカイトの足を止めた。


 ドアのところで、立ち止まってしまったのだ。


「あの…少しお話が…その、すぐ終わりますから! お時間は取らせませんから!」


 それは、街頭アンケートのバイトの中で、一番下手な呼び止め方だった。


 だが、カイトには効果絶大だ。


 分かってはいたけれども、ここまではっきりと呼び止められると、彼には逃げ場がなくなった。


 まだ、お茶の話だったら逃げられたのに。


 忙しい、と。


 唇が、『いま、忙しい』と言いたがっていた。


 きっとそう言えば、彼女はいま無理に言おうとしないだろう。


 今度こそ、カイトは解放されるはずである。


 しかし、忙しいはずなんかなかった。


 忙しいなら、今頃はまだ会社の中である。


 相手はそういう事情を知るはずなどないから、それをゴリ押しできないワケではなかった。


 本当であろうが嘘だろうが、彼女がそれで手を引っ込めることは分かっていたのだ。


 聞きたくない。


 カイトは、それを聞きたくないのだ。


 しかし、心のどこかでいつもずっと恐れていて―― いつかその日が来るのだと、予感があったのは確かだった。


 失うのか、と一瞬思って失笑する。

 失うほど、自分が彼女の何を手に入れているのかと気づいたのだ。


 何一つ、メイは彼のものではなかった。その髪の先さえも。


 カイトは、葬儀に参列するような表情で席に戻った。

 いや、葬儀の方がまだよっぽど心は晴れやかな気がする。


 不謹慎な話だが。


 ガタン、ドスン。


 動きは葬儀とは無縁の乱雑さになってしまって、椅子が彼の横暴に悲鳴をあげた。


「あ、お茶いれますね!」


 話を聞く気になってくれたのだと理解したメイは、嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。


 それから、調理場の方に向かおうとする。


「いい」


 カイトは言った。


「はい?」


 動きを止めて、いま何を言われたのか、音をもう一度確認してくる茶色の目。


「茶もコーヒーもいらねぇ…何だ?」


 机に片肘をかけて、目をあらぬ方にそらしながら聞く。


 彼女の顔を、見ていたくなかった。


 検査の後、医者の目の前に座らされている気分だ。


 これ以上、病名を言われる前に、カルテを眺めながらうなられるのは耐えられなかった。


 患者の頭の中には、百万の病名が駆け抜けていくだけなのだから。


「あ…はい。すみません、時間とらせて、その…あの…厚かましいってちゃんと分かってるんです! 本当は、その…すごく贅沢だって分かってるんです! えっと、あの、その…あの…」


 最初は、勢いよく口も動いていたけれども、最後の方になればなるほど、メイの口はぐちゃぐちゃになって言った。


 緊張の余りに、言葉が混乱している。


 カイトは、ようやく彼女を見た。


 落ち着かなくあちこちに動いていた目が、そこでぴたっと彼で止まった。


 何、だ?


 何が言いてぇ?


 彼女の言うことは要領を得ないのだ。


 これからどういう展開が、自分を待っているのか想像もつかない。


「あの…」


 自分で話を切りだしたくせに、メイは泣きそうな顔になる。


 言いたい言葉をどうしても言えない――それがたまりにたまって、そんな顔になったような。


 馬鹿野郎…。


 そういう状態になると、泣きたくなるよりもキレる男であるカイトにしてみれば、今の状態は生殺しもいいところである。


 何が言いたいのかはっきりきっぱり口にしろ、と。


 しかし、それを怒鳴れないのだ。


 はっきりきっぱり口にされて、それが。


 それが。


 ズクズクと、内側が熱を持ったように痛む。


 気に障る痛みを続ける。


 毎日一回は、こういう痛みを食らっているような気がした。


 メイという女といるだけで、トラブルの渦中にいるように思えるのだ。


 しかし。


「あの…絶対! 絶対! 絶対に…変なことには使いません! だから、だから…ちょっとだけ、お金を貸してくだ…すみません」


 必需品しか買いませんから。


 ようやく、メイは覚悟を決めたように、でも、ひどく言いにくそうに頭を下げたのだった。



 ……あぁ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ