12/02 Thu.-13
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冬の6時。
たとえ、世界において6時という時間が不動のものだったとしても、この冬の6時だけは一番腹立たしい6時だ。
少なくとも、いまのカイトに取っては。
真っ暗な外。
太陽がなくなるなり、一気に突き刺さる寒風。
冬の6時というだけで、この騒ぎなのに。
12月になるなり、いきなり狂ったように騒ぎ出す町並み。
緑だの赤だの電飾だの。
デパートは、子供とカップルとやらのために、この月だけは特殊な歯車が回り出す。
その子供を食い物にして商売を成り立たせているカイトとしては、感謝してしかるべきなのに。
『アニバーサリーなんてハラの足しにもならねぇ』――情緒性に欠ける男だった。
赤信号で止まった夕方の渋滞時間に、忌々しさを感じた。
こうやって待っている間にも、彼の体温はどんどん盗まれていくのである。
朝に比べたら、マシはマシだった。
会社のイベントなんかで使う、社名ロゴ入りジャンパーをひっかけていたのである。
スーツの上にジャンパー。
どこかの工務店よろしくだったが、そんなことに構ってはいられなかった。
とっとと、青になりやがれ。
しかし、素手はどうしても素手のままだ。
軍手でもないかと探していたが、生憎と彼の働いている職場は、ゲームソフト会社であって工務店ではなかった。
ジャンパーはあっても、軍手はない。
寒風にさらされて、どんどん手がガチガチに固まっていく。
青信号になった。
クソッ!
タイヤが、一瞬空回りするくらいにスロットルを開けた。
ガレージにバイクを突っ込む。
見れば、ハルコの車がある。
まだいやがるのだ。
カイトは、忌々しさに顔を思い切り歪めた。
気をつけなければ、すぐにツマミにされかねない。
大体、何でこんな時間までいやがんだ!
ハルコが、仕事終わりを待っている必要はない。
とっとと帰って、あのとぼけコンサルタントの世話でもしていればいいのだ。
そのまま家の方に戻りかけて――しかし、またカイトはガレージに戻った。
仏頂面のままで。
ヘルメットを外していないことに気づいたのだ。
朝並みに、指がうまく動かない。
その上、朝とは明るさが全然違うのだ。
首の下での出来事ではあるが、視界が暗いと余計にうまくいかないような気がした。
ようやく外して、ハンドルにひっかける。
家に向かいかけ。
やっぱり、戻った。
舌打ちひとつ。
カイトは、ジャンパーを脱ぎ捨てると、そこらに叩きつけたのだった。
「あっ!」
玄関を開けるなり、メイが振り返った。
驚いた声とともに。
いきなりの妙な角度に、カイトは面食らった。
いろいろ頭の中にあったことが、一瞬にして吹っ飛んでゼロになる。
「何…してやがる?」
彼は、眉を顰める。
どうにも、不自然な体勢だったのだ。
いや、玄関に背中を向けているなんて状態は、玄関から入ってきた時くらいだ。
しかし、玄関から入ったのはカイトであって、彼女ではない。
こんなに間近で背中を向けているのは、どういう経緯があったのか。
メイは、慌てて彼の方を向き直るとうつむいて。
「あ…いえ、別に…車の音みたいなのがしたんで、帰って来られたのかと…でも、全然ドアが開かないので…その…気のせいかと…」
言いにくそうに、つっかえつっかえ。
しかし、カイトには分かった。
彼女は出迎えに来たのだ。
だが、なかなか開くはずのドアが開かない。
もしかしたらあの音は空耳で、帰ってきたのは気のせいなのかと思って、あきらめて帰ろうとした矢先に、カイトがドアを開けたのだ。
カイトの右脳は、問題児だ。
見てもいない景色なのに、勝手にムービーを創作してしまったのである。
ある意味、職業病のようなものでもあった。
カイトを、出迎えに。
その単語に、彼の意識はしっかり引っかかってしまった。
無理に取ろうとしたら、一張羅の服をかぎざきにしてしまいそうな位置。
落ち着かない緊張感に、カイトは更に顔を歪めてしまった。
しかし、空気が動いた。
メイがぶるっと身体を震わせたのだ。
そこでようやく、まだ自分が玄関のドアのところに立っていることに気づいた。
外の寒風が玄関に吹き込んでいるのだ。
カイトだって寒かったのだが、いまの一瞬、すかっと忘れてしまっていた。
暖かい部屋にいたのだろう。
メイは上着もない状態で。
ムカッとしたカイトは、彼女をよけるように強引に玄関に入ると、バタンとドアを閉めた。
「わざわざ出てくんじゃねぇ…」
怒鳴らなかったのは、本当はイヤじゃなかったから。
それどころか、帰って来るなり彼女が出迎えようとしてくれて―― いや、複雑なところだった。
いろんな事情が絡んでいるのだ。
出迎えてくれて嬉しい、なんてムシズだらけのことを言えるハズもないし、もう二度とするなと言って、本当にされなくなってしまうと、それもまた。
あとは。
彼女の行動が、一体何を根っこにしているのか。
カイトは、それを考えないようにした。
考えてしまうと、自分がそれに暴れ出すのを知っているからだ。
考えなければ、こういうささやかなジンとする気持ちを感じることが出来るのである。
ちょうど、メイの真横。
いまカイトが立っている位置だ。
しかし、メイは慌てて飛び退いたり、寒いからと言って玄関から離れる様子はなかった。
「朝は…」
真横で、彼女が小さく呟く。
ん?
真横という角度は、不思議な角度だ。
お互いがすれ違う瞬間のような位置であるために、見えそうで見えない微妙な角度だった。
それが、真横。
大事な表情を、読みとることは出来ない位置。
「朝は…いえ、今日は…寒くなかったですか?」
ゆっくりと。
彼女は角度を修正した。本当にゆっくりと。
黒髪の柔らかそうなカーテンの向こうから、頬や鼻が出てきたかと思うと、茶色の目が心配そうに自分に向けられた。
カッと頭に血が巡る。
理由の一つは、朝の自分のバカさ加減が、見つかってしまった気がしたから。
もう一つは、茶色の目が、本当にカイトを心配していたから。
「寒かねぇ!」
ばっと、彼女から視線を投げ捨てながら、カイトは怒鳴った。
ここで寒かったとでも言おうものなら、彼女は落ち込んだり、明日からもっと頑張ろう、などということを考えかねなかったからである。
あれ以上頑張られてたまるか。
それが、本音だった。
本当は何もしなくてもいいのである。
朝ご飯なんて、カイトは興味がないのだ。
早起きをしてまで作るほどのものではない。
けれど。
あの空間を完全に手放せと言われたら――カイトは、結局仏頂面になるしかないのだ。
とにかく、あれ以上頑張られたらハラが立つ。
彼女のその行動の意味を考えないようにしているカイトにとっては、それはかなり痛い領域だった。
「あの…ホントに?」
まだ心配そうな声。
「るせぇ! 寒くねぇっつってっだろ! くだんねーこと言うな!」
そして。
また、怒鳴ってしまった。
「そんなに、怒鳴るものじゃないでしょう?」
ダイニングの方から、いきなり声が出てきて、カイトは肝をつぶしそうになった。
クソッ…忘れてたぜ。
ドアを開けるなり、いきなりメイと会ったせいで、いろんな注意も全部一緒に吹っ飛んでしまったのだ。
それに腹を立てた意味も込めて、思い切り睨みつけた。
ハルコだ。
この夫婦ときたら、入れ替わり立ち替わり、いつまでカイトを脅かせば気が済むのか。
「あら、そんなに睨まないで…お話ししたいことがあるから待っていたんですよ」
食えない笑顔に、しかしカイトは騙されたりはしなかった。
「オレの方はねぇ!」
とっとと帰れ。
これ以上好奇の目にさらされるのに耐えられず、足早に歩き出した。
「あら…あらあら」
ハルコの声がどんどん遠くなる。
彼女のようなタイプは、隠し球を持っている。
不意打ちがうまく、カイトの足を止めさせるような言葉を吐くのだ。
そんなものに引っかかるワケにもいかなかった。
カイトは物凄い速さで玄関を行き過ぎると、階段を駆け上がり。
バターン!!!
拒絶の意味で、部屋のドアを思い切り叩き閉めたのだった。
チクショウ!
どうして、この家には出入りする人間が多いのか。
今更なことを憎みながら、上着を脱ぎ捨てる。
こんな早い時間に帰ってきたのを――また、ハルコに見られてしまった。
その事実だけでも、カイトには死ぬほど耐えられなかったのだ。