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12/02 Thu.-6

 シュウが出ていった後、カイトは思い切り顔を歪めた。


 いや、さっきまででも既に歪み切っていたのだが、更に盛大に歪めたのだ。


 腹が立ってしょうがなかった。


 シュウは、わざわざ邪魔をしに出てくるし、メイは目の前で落ち込んでいるのだ。


 『謝るくらいなら、最初から作るな』、と怒鳴ったせいである。


 最悪なことに、悪い意味で受け止めてしまったのだ。


 シュウさえこなければ、あんな言葉を言うことはなかっただろうし、もう少しマシな言葉も言えたかもしれない。


 しかし、あの時は何よりシュウをこの空間から叩き出したかった。


 彼女と一緒にいる空間を邪魔されたくなかった。


 それに、メイが自分以外の男のために、食事の用意をするなんて―― たとえ、あの唐変木であったとしても、耐えられなかったのである。


 まるで、彼女を家政婦のように扱っている気分に――いや、そうじゃない。


 昨日、カイトは気づいたのだ。


 呆然と、目の前の女を好きなのだと、突き刺されるように気づいたのだ。


 頭が真っ白になった。

 自分が信じられなかった。


 けれども、その思いはどう見ても本物だったのである。


 カイトは、メイという女を好きだったのだ。

 だから、あんな風に、信じられないことばかりしていたのである。


 気づいても、後の祭りだった。


 2人の間には、見えない借用証書がある。


 見えるヤツは、カイトが破った。


 だから、本当ならば何にも存在しないのに、メイの目の中にはそれがあるのだ。


 それの代償として、彼に何かされると思っていたようで。

 安心させるために、自分のプライドをかけて、何もしないと宣言したのだ。


 好きだと自覚する前のことである。


 そうして、自覚してしまった後で、何もかもが自分を縛り付けているのに気づいた。


 どのツラを下げても、好きだなんて言えやしない。


 言ったらきっと、彼女はイヤとは言わないはずだ。


 だから、言えないのだ。


 イヤと言わないのは、メイの本心ではないのだから。


 抱きしめることも、出来ない。


 彼女には、自分の思いを伝えることもぶつけることも出来ないのだ。


 それさえ破らなければ、彼女はここにいるのだから。


 そう、そこに。


 だからカイトは、自分の心を明かさないことに決めたのである。


 家政婦のようだから怒ったんではない。いや、それも確かにあるにはあるが。


 もしも、家政婦のようだから怒ったのなら、この朝食を用意した時点でカイトは怒鳴っていなければならなかったはずだ。


 先手を打たれて呆然としたところもあるが、彼は現状を甘んじたのである。


 いや、そうしたかったのだ。


 彼女が。

 カイトのために。

 用意した。

 朝食。


 大事なのは、そこだったのである。

 それを、カイトは棒に振れなかったのだ。


 だから決して――


 彼女が。

 カイトと。

 シュウのために。

 用意した。

 朝食。


 であってはいけなかったのである。


 カイトが、イヤだったのだ。


 メイの気持ちが、自分以外に向けられるのが。

 彼女の指が、自分以外のために仕事をするのが、イヤだったのだ。


 だから、ネクタイを締めたことにも怒鳴れなかった。


 彼女が、カイトの――それこそ、カイトのためだけに、ネクタイを締めてくれたのだから。


 そうして、欲しかったのだ。


 何てことだ。


 こんなに、自分はメイを独占したがっていたのである。


 それに気づかされた。


 このままでは、いつか自分の気持ちが彼女に伝わってしまうのではないか。


 怖い考えになる。


 しかし、カイトは頭をうち振った。


 そんなことには、ならねぇ!


 自分は、絶対にうまくやってみせる。


 この現状を、絶対に維持してみせる――と。


 カイトは、いままで仕事で本当にうまくやってきた。


 全てが順風満帆、という意味ではない。


 会社の危機なんか山ほどあった。

 それを、全部乗り越えて立ち回ってきたのだ。


 女一人に、思いくらい隠せないでどうするのか。


 だから、絶対にうまくやれる、と心の中で繰り返す。


 そうしないと、彼女を側に置いておけないのだ。

 自分に言い聞かせながら決着をつけたが、ついていないものもある。


 目の前の、落ち込んでいるメイだ。


 彼女は、まださっきの言葉に振り回されているようだった。


 あんなに楽しそうに朝食を作っていたのに。


 静かだけれども、居心地悪いような、いいような朝食の時間だったというのに、全て台無しである。


 心の中でシュウを蹴飛ばしまくっても、彼女の心を元に戻すことは出来ない。


 クソッ。


 カイトは、シワのない左脳を振り回して言葉を探した。


 しかし、出てくるものはガラクタばかりだ。

 使えそうなものは、一つもない。


 食事の続きも出来ないまま、イラ立った挙げ句、カイトは吠えてしまいそうだった。


 それを、ぐぐぐ、とこらえる。


 ガラクタな言葉は、どうパズルしてもガラクタだった。


 ただ、元々のどうしようもないガラクタに比べて、少しはマシなガラクタになることがあるのだ。


 カイトは、唸りながら廃材の山を組み立て始めた。


「うー…そういう…意味じゃねぇ」


 思えば、随分長い沈黙を間に挟んでいた。


 シュウが出ていって、かれこれ数分間はいたたまれない沈黙を作っていたのだ。


 メイは立ったまま。

 カイトはオムレツの前に座ったまま。


 その長い沈黙のせいで、ようやく出した言葉は、的を失った矢のようにふらふらとさまようだけだった。


 彼女は沈黙のまま。


 きっとまだ、彼のために朝食を用意したことか、もしくは用意が遅かったことのどちらかを、悔やんでいるに違いない。


 早起きなんかしなくていい!

 朝メシなんか作らなくていい!


 けれども、それがカイトのためだというのなら――


 チクショー!!!!


 混乱する頭を押さえることが出来ず、カイトはオムレツをヤケのように口の中に押し込み始めた。パンにかぶりつく。


「あっ…」


 いきなりのその暴挙に、メイは驚いた声をあげた。


 しかし、無視してかきこむ。スープも流し込む。


 カイトは、物凄い勢いでテーブルの上を片付けたのである。

 味なんて、分かったものじゃなかった。


 手のひらで口元を拭いながら席を立つ。


 椅子が大げさな音をたてて、その勢いに抗議した。


「あの…すみませ…」


 まだ謝ろうとするメイを、ギロッと睨んだ。


 てっきり、さっきの件をまだ言及しようとしていたのかと思ったのだ。


 しかし、彼女はカイトのすぐ側まで近づいていた。


 これには驚いて、一瞬動きを止める。


 意味が違ったのだ。


 朝食が遅くなってごめんなさいということではなく、ちょっと失礼します、のすみませんだったのである。


 メイの手が――伸びてくる。


 …ッ!


 触れられた瞬間。


 身体が、まるで金属のようになった。


 曲げるのにも一苦労な、融通のきかない固すぎる金属。


 その金属板と化したカイトのネクタイを、メイは締めにきたのだ。


 触れることのできない身体が、こんなにすぐ側で。

 息づかいだって聞こえるくらい側で。


 指が伸びてきたが、しかし、ネクタイには触らなかった。


 ネクタイを飛び越して、カイトの胸に。


 ドキンッ!


 胸が跳ねる。


 彼女が何をしようとしているのか分からなかったのだ。


 指先が、カイトの、胸に当たった。


 胸に。


 分かった。


 メイは――彼のシャツのボタンをとめようとしたのだ。


 彼は無精して、いくつかのボタンをとめていなかったのである。


 確かに、一番上までボタンを止めなければ、ネクタイを締めることはできない。


 しかし、緊張しているような指先の動きが、カイトを生殺しにした。


 爪の先が素肌をふっと掠める。

 ざぁっとうなじの毛が逆立ちそうな感触を、息を殺して耐える。


 一番上の、首の詰まったところのボタンが、一番難儀だった。

 どうあっても、彼の素肌の喉元に指が触れるのである。


 全神経と血が、全てそこに集まってくるかのように思えた。


 ようやくボタンが全部とまってしまう。


 指が一度、彼から逃げた。


 ほぉっと安堵したのもつかの間。


 今度は、ネクタイを締められるのである。

 またも、緊張の時間が流れた。


「あの…」


 ネクタイをつつがなく締め終わった後――すぐ側から、茶色の目が見上げてきた。


 いま、危なかった。


 衝動的に、彼女を抱きしめてしまいそうだったのだ。


 本当に何の予備動作もなく無意識に。

 自分の腕の動きに我に返って、ぐっと押しとどめる。


 こんな残酷すぎる近い距離にいながら、彼らは本当にただの他人なのだ。


「明日は…もうちょっとはやく用意しますから…」


 だから。


 メイが、ぽつりと言った。


 また朝食の話に戻ったのである。


 彼女はこう言いたいのだ。


『だから、作るななんて言わないで下さい』、と。


 誰も作んななんて、言ってねーだろ!


 心の中では怒鳴れるくせに、カイトは声に出来なかった。


 彼女を見ていられなくて、思い切り横を向いて。


「……この時間に出る」


 それだけ絞り出すと、彼女の反応など見ずにその部屋を出た。


 早足で大股で、まるで、逃げるように。


 彼女の側は――宣言を揺るがすような危険がいっぱいだったのだ。

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