12/02 Thu.-4
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にこにこにこにこ。
目の前の太陽に、彼がフォークを差し込む。
メイはそれが嬉しくて、調理場の出入り口のとこからじーっと見てしまった。
しかし、ピタリとその銀色の動きが止まる。
フォークが、一瞬自分を見ているような気配に気づいてぱっと顔を上げると、銀ではなく、灰色の視線がこっちに向いていた。
いけない。
あんまりじーっと見たら、彼だって食べづらいに違いない。
あわてて、ぱっと視線をそらした。
私は、全然見ていませんから、どうぞ食べてください。
横を向いたまま、気配でそうカイトに伝えた。
しかし、全然フォークが皿とぶつからない。
まだ止まったまま、自分を見ているような気がした。
ああ、やっぱりここにいたら食べづらいかな。
調理場の奥の方に引っ込もうかと思った時、ようやく時が回った。
「おめー…」
カイトが、訝しそうな、でも咎めるような口調で呼んだのだ。
「は、はい!」
反射的に、メイは大きな声で返事してしまった。
まさか声をかけられるとは、思ってもみなかったのだ。
いけない――と過剰反応を悔やんでもしょうがない。
おそるおそる、彼の方へと視線を向けた。
眉間に影を残したまま、メイを見ている目。
「いつまで、そこに突っ立ってる気だ?」
そして、直線的な言葉が飛んでくる。
やっぱり、な内容だった。
見られていて食べづらいのだ。
「あ、やっぱりそうですよね…じゃあ、ちょっとあっちの方にいますから、ご用がありましたら…」
メイは、ハ字眉で笑った。
言いながら、身体を調理場の方に入れてしまおうとした。
「そうじゃねぇ!」
しかし、即座にカイトの大声が飛んでくる。
びくっと動きを止めさせられた。
「おめーも、ロボットじゃねぇなら、朝メシくらい食うだろうが…」
何で、オレがこんなことを言わなきゃなんねーんだ。
そう言いたいかのように、カイトは不承不承、言葉を続けた。
言えば言うほど、彼の表情が険しくなっていく。
イライラしているようだ。
あ。
何を言わんとしているかに、彼女は気づきかけた。
もしかして?
私にも、朝食を取るように言ってくれてるのかな?
メイは、瞬きをしながら、彼をのぞき込んだ。
しかし、仏頂面な表情は読みにくく、本当にそうなのか分からない。
「え…あ…私は、後でいただきますから」
ありがとうございます。
ごまかすように笑いながら、メイはその波をやり過ごそうとした。
彼女は仕事に行っていないのだ。
朝に時間制限があるわけではない。
いま一緒に食べる必要はなかった。
しかし、カイトの気には障ってしまったようだ。
ギロッと視線が飛んでくる。
「食え!」
そして、間違いようのない一言。
カイトは、まだ彼女が一人では食事をしないと思っているのだろうか。
ハルコに言われた時のように。
「あの…ホントに、後でちゃんと食べますから…」
安心してもらおうと、メイは一生懸命な言葉で彼に伝えようとした。
ガチャン。
けれども――銀の刃物は放り出された。
黄色い太陽に傷一つ入れただけで、まったく手出しもされないまま。
その上、カイトは無言だった。
おまけに、横顔は彼女からそらされていて、『おめーが食うまでオレも食わねー』と言っているかのようだった。
そ、そんなぁ。
あの、ホントに、ホントに…。
大慌てで彼に伝えようと思うのだが、その横顔は全然言うことを聞き入れる素振りはない。
彼女が食べないと、カイトの出社に関わってしまうとしても、知ったとこではない、という頑固な顔だ。
これでは、せっかく朝食を用意しても意味がない。
メイは困り果てた。
しかし、相手が折れないとなると、残された決断は一つだけになる。
「あ…あの…すぐ準備しますから! 私も、ちゃんと食べますから! お願いです、食べてて下さいね!」
バタバタバタ。
そして、いきなり戦場が始まる。
調理場に戻ると、もう一人分のオムレツを作り始めるのだ。
あの分では、用意がほとんどいらないパンとスープだけを食べたところで、カイトが納得してくれなそうだったからである。
さっき、彼のオムレツを作った時とは、余りに違う騒々しさだった。
フライパンは、ガチャガチャ音を立てて、焦る手が数限りない失敗をしそうだった。
幸い、ちょっと皮が破れかけただけの結果でとどまってくれる。
それをお皿に乗せると、メイは慌ててダイニングに戻った。
そうしたら。
カチャカチャ。
自分の席のところで、立ちつくしてしまった。
カイトが、太陽を崩して口に運んでいたのである。
ちゃんと、食べていてくれたのだ。
自分のオムレツを持ったまま、メイはじーっとそれを見ていた。
嬉しかった。
来てくれたのも嬉しかったし、ちゃんと食べてくれたのも嬉しかった。
視線がぶつかる。
姿勢の悪い角度で、カイトが彼女を視界にとらえたのだ。
また機嫌をそこねてはいけないので、慌ててメイは席に座る。
座ったところで、自分の分のスープを忘れたことにはっと気づくが、もう一度立ち上がることは出来なかった。
カイトが。
目をすーっと横の遠くの方にすっ飛ばしてしまいながら、ぼそっと言ったのだ。
「うめーよ…」
リンゴーン! リンゴーン!!!!
メイの中で、鐘が鳴り響いた。
すぐ真上で、だ。
好き、を衝撃的に味わうというのは、こういうことを言うのだろうか。
カイトにしてみれば、昨日ソウマに「言え」と言われたから言ってることに過ぎないのかもしれない。
でも。
それでも、喜んでしまうのだ、自分は。
「よかった…」
自分のオムレツの小高い丘を見つめながら、嬉しさを押さえきれない言葉で呟いた。
朝ご飯を作ってよかった、彼に食べてもらえてよかった。
いきなり、全てが報われる思いが、身体の中にしみわたっていったのだ。
こんな気持ちをもらえるなら、早起きなんて全然つらくない。
怒鳴られたって平気だ。
もう、スープなんて必要なかった。
だって、こんなに温かいのだ。
身体も心も、内側から小さなドキドキと一緒に温かさが広がっていくのである。
幸いにも彼は、スープの不在に気づかなかった。
乱暴にフォークを使う音だけが、メイの耳に聞こえる。
本当は物凄い不協和音だ。
金属と磁器が強くぶつかる音は、初心者のバイオリンに似ている。
でも、カイトのバイオリンなら――メイには、オーケストラのそれにすら匹敵していた。
聞いているのが心地よくて、嬉しい。
「いただきます…」
こんな嬉しい気持ちで、自分も朝食を食べられるとは思ってもみなかった。
今朝は、何もかもが当たって砕けろ状態のものばかりで、本当ならいまごろ粉々だったかもしれないのだ。
なのに、彼女はカイトの目の前の席に座って、同じ時間に食事をすることが出来る。
彼が食べている姿を、じっと見ることは無理だけれども、時々覗くことは出来るのだ。
静かな食事風景だった。
2人とも何も言わなくて、食器と金属の音しかしないような――でも、それは味気ないということとは違うのだ。
アンテナをカイトに伸ばしていて、彼の気配にずっと触っていた。
だから、凄く彼女は幸せだったのだ。
ノックで、我に返るまで。