12/01 Wed.-10
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ア然。
引っ立てられた客人が、ドアの向こうに消えていくのを、メイはビックリしたまま眺めていた。
男同士の友情と言うのは、何というか、彼女にしてみればひどくワイルドだった。
本当は仲が悪いのでは、と一瞬メイは思いかけたが、そうじゃないということはすぐに分かった。
でなければ、カイトは決して食事の席を一緒にしたりしないだろう。
あれほど正直な口を持っている人だ。
嫌いな人と同じ空間にいられるワケがなかった。
逆に、ぎゃーぎゃー怒鳴りながらも一緒にいるということは、かなり親しい間柄なのだ。
それと。
カイトが、誰であろうが分け隔てなく怒鳴るのだということも、これで確定した。
自分にだけ怒鳴っているワケではないのだ。
シュウにも、ソウマにも同じだった。
よかった。
メイは、その事実に少しほっとする。
彼女が、余りにカイトの神経に障っているから怒鳴られているというのとは、またちょっと違うのだと分かったからだ。
一人、ぽつんとダイニングに取り残されたメイは、ソウマのカップにお茶を注ごうとした体勢をようやくやめた。
ポットをテーブルに戻したのである。
それから、後かたづけを始めた。
カイトが出ていってくれて、一番よかったことがそれだ。
咎められずに後かたづけが出来る。
彼女がこういうことをするのを、本当に快く思っていないらしい。
理解しにくい、難しい相手だった。
後かたづけの水音と一緒に、メイはソウマとのおしゃべりを思い出していた。
カイトが帰ってくる前の出来事である。
ハルコは家のことがあるからと、先に帰ってしまったので、しばらく2人きりだったのだ。
彼は、自分の知っているカイトの話をいろいろしてくれた。
しかも、とても話し上手でメイを笑わせた。
知らないカイトの顔が、そこにはたくさんあって。
『あいつは、本当に言葉が足りない男だからな…誤解することもあるだろうが、気長に相手をしてやってくれ』
そう言われた時、本当に彼やハルコがカイトのことを大切に思っているのだと分かって嬉しくなる。
メイの中での、『カイト優しい説』がどんどん裏付けられていくのだ。
男に好かれる男が、一番いい男だ。
父親が、まだヨメにいく年でもなかった彼女に言ったことがある。
男を選ぶ時は注意しろと、すごく小さい時からやたら言い含められていた。
男親特有の心配だったのだろう。
その父が、『男を見る時は、友達を見ろ』と言ったのだ。
周りに集まってる友達が、その男の価値を決めるのだと。
シュウ、ハルコ、ソウマ。
こんな個性的な3人とカイト。
父親の理論で行くと――カイトという男は、個性的だがいい男ということになる。
私も…頑張らなくちゃ!
メイは、顔を映すくらい綺麗に皿を洗い上げた。
それが、いま彼女に出来る一番手近なことだったのだ。
こうして、側に置いてもらっているのである。
メイの存在が、彼の価値を下げてしまうことだってあるかもしれないのだ。
側に置こうと思ってくれたことに、報いたかった。
カイトにとって何が出来るかということは、まだ彼女もよく分かっていない。
掃除や洗濯や食事の準備や。
そんな家事的なことなら、前からずっとやっていることだから出来ないことはない。
それくらいしか、彼に返せるものもなかった。
だから、最初はそれを頑張ろう。
メイは、強い決意を固めたのだった。
綺麗に後かたづけを終えると、メイは調理場の電気を消してダイニングに戻ってきた。
テーブルの上に、一つだけポツンと取り残されているのが。
あ。
ワインだ。
半分くらい残っているそれの管理方法を、メイはよく知らなかった。
とりあえず、転がっているコルクをもう一度押し込んで。
この部屋にずっと置いていてもいいのだろうか。
それとも、冷蔵庫?
瓶を持ったまま、彼女は考え込んだ。
結論としては、持ってきた人間に聞くのが一番いいということで。
ソウマなら、どこに置けばいいのか教えてくれそうな気がした。
メイはダイニングを出て、階段の方へ向かおうとした―― 時。
「チクショー! 帰れ! バカヤロウ!」
物凄い怒鳴り声が降ってきて、メイは身を竦めた。
どうやら、部屋のドアのところで、2人言い争っているようだ。
ソウマの声は穏やからしく、メイのところまでは聞こえない。
相対しているカイトの怒鳴りは、とにかく罵声の嵐だった。
一秒でも早く、ソウマを追い返そうとしているかのようだ。
いま近付いてはいけない雰囲気に、階段の下でメイは身動きを止めた。
ガチャリ。
そういう時に限って、玄関のドアが開く。
誰が来たのか分からずに、彼女はぱっと振り返った。
ワインの瓶を抱えたまま。
シュウだった。
向こうも、帰ってくるなりメイと出会うとは思ってもいなかったらしく、怪訝そうに足を止める。
が、そうしている間にも、2階の怒鳴りは続いているワケで。
「どうしたんで…ああ、ソウマが来てるんですか」
何事かと聞こうと思っていたのだろうが、途中で気づいたらしく、シュウは眼鏡のずれを直した。
視線が、メイの抱えているワインに向けられた後のことだった。
こういう趣味があるのは、ソウマぐらいなのだろう。
勿論、カイトがやりあってるという事実も考えての推理だろうが。
しかし、彼女が何を答えられるワケでもなく、ただそこに立ちつくしていると、二階でドアがバターンと閉められる音がした。
拒絶の音だ。
「やれやれ…」
ソウマの声が聞こえてきたのは、階段を降り始める足音と同じ時だった。
シュウとメイは、視線で彼を捕まえた。
「よぉ、帰ったのか」
踊り場を回って、彼らに向かって片手を上げながらソウマが降りてくる。
「久しぶりですね…何をやったんです?」
上の喧噪のことだろう。
シュウも『やれやれ』という感じだ。
「あっはっは…ちょっとつついたところが、触れて欲しくなかったとこらしいな…まさか、あいつがねぇ」
もう、いまにも爆笑しそうな勢いである。
階段が終わってなお近付いてきながら、ちらりとメイを見て足を止めた。
「あの…これ」
メイは、半分のワインの瓶をソウマに見せる。
どうしましょうという言葉までは出てこなかった。
いまが、一体どういう雰囲気なのか計りかねていたのだ。
「ああ、それは後でカイトのところにでも持っていってやってくれ…いまは、ヒステリー中だからな、もうちょっとしてからな」
自分の言った『ヒステリー』という単語が、よほどおかしかったのだろう。
また、肩を震わせるのだ。
あの剣幕で怒鳴られても、彼はちっともこたえてないようで。
「逆なでるのはやめていただきたいんですがね…ただでさえ、最近情緒不安定で仕事に障っているんですから」
おかげで、私は今日もタクシーですよ。
メイの頭の上で、男同士の内輪の会話が始まる。
こういう仲間的な会話が繰り広げられると、意味が全然分からない。
「そりゃあ、情緒も不安定だろう…たまらんな。まあ、続きはお前の部屋で話してやるか…お前にもいい薬になるかもしれんからな」
シュウのコートの肩をパンと叩きながら、2人は一階の廊下の方へと歩き始めた。
「あ…お茶でもお持ちしましょうか?」
さっき、注ぎそこねたお茶のことを思い出す。
勿論、あの食器は片付けてしまったけれども、また用意できないことはないのだ。
するとソウマは、歩きながら肩越しに振り返った。
シュウは、眼鏡の端だけを彼女の方に向ける。
「ああ、遠慮しておこう…まだ、カイトに殺されたくはないんでね」
意味不明な言葉と笑顔を残して、彼らは向こうへと消えてしまった。
えっと。
ワインを持ったまま、メイは玄関ホールにいた。
いま言われた言葉を考えてはみたけれども、意味なんか分かるハズもない。
ただ、カイトは本当に彼女に仕事らしきものをさせたくないようで、多分そういうことに絡んだ発言だったのだろう。
ワインを見た後、階段の上の方を見る。
あの調子だと、まだきっとカイトは怒っているだろう。
もうちょっとしてから、このワインを届けようと思った。
メイは階段を上った。
足音をたてないようにそっと。
ハルコが、彼女のために用意してくれた客間は、2階にあった。
このまま、玄関ホールにいるわけにもいかなかったのだ。
カイトの部屋の、隣の隣。
そこが、メイの部屋。
パタン。
極力小さな音でドアの中に入ると、メイは電気をつけて、入口側のチェストの上にワインを置いたのだった。
この部屋のお礼も言わなきゃ――と、思いながら。