11/29 Mon.-4
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カイトは、酒臭いシャツを脱ぎ捨てて、その辺りの床に放った。
いつも、彼はこんな感じである。
どうせ明日になれば、通いの家政婦が掃除するついでに拾い集めて、クリーニングにでも出すのだ。
クソッ。
全然穏やかではない気分のまま、苛立ちの言葉をつぶやいて、彼はソファにどかっと身体を預けた。
天井を向いて、大きく一回息をつく。
続き部屋のドアの向こうでは、あの女――メイが、カイトにとってイヤなものすべてを洗い流している。
連れて帰ってきちまった。
これまでの課程を思い出すと、どんどん彼の表情は曇っていく。
いつもいつも、カンを一番頼りに生きてきたけれども、今回のこれは、本当に自分でも驚くばかりだ。
連れて帰ってきて、どうしようと思ったのか。
それすら、はっきり考えてはいなかった。
ただ、彼女をあの場から連れ出すことばかりを考えていたのだ。
あそこに置いておくのだけは、どうしても耐えられなかったワケで。
そうして、海のものとも山のものともつかない女が1人、彼の部屋にいた。
ここは、彼の家である。
広い家に住むのが夢だった。
マンション暮らしの家庭で育ったカイトには、コンピュータを思うように置けない、あの狭い空間が大嫌いだったのだ。
稼いで一番最初にした大きな買い物が――この家だった。
ハウスキープなんか彼に出来るはずもなく、それを通いの家政婦にやらせているのだ。
けれど。
実際に広い家を、どかんと手に入れてみれば。
中に入れるものが、あまりに少ないことに気付いたのだ。
1人ではどうにも持て余すくらいに広く、自分がパソコン関係以外に、ロクなものを持っていなかったことに気付くのである。
結局、自分の部屋に持ち込んだパソコンは、ノートパソコンだけ。
おかげで家は、ほとんど寝起きするだけの場所になった。
他の込み入ったコンピュータは、会社にあった方が便利だったのだ。
それでは、あまりのこの部屋もガランとしているので、無駄なくらいに大きなベッドを買った。ソファも。
どんなに彼が大の字で寝ようが、寝相が悪かろうが転がり落ちることのないベッドに慣れるまで、実に1週間かかった。
それでも部屋が余り過ぎていたので、便利だったという意味もあったが、彼の相棒を住まわすことにした。
1階に、相棒の部屋はある。
まだ仕事をしているか、もう寝たかは分からない。
けれども、彼は全然静かな男で、そして無駄が嫌いな男だった。
結局、住まわせていようがいまいが、余り違いがない状態なのである。
そうして。
この洋館は、本当に寝るだけの場所になった。
それ以外に、カイトには使い道がなかったのである。
その家に――女を連れ込んだのは、これが初めてだった。
カイトは、別に女好きというワケではない。
それどころか、彼の金を目当てに群がってくるような女は大嫌いだった。
まだ商売女の方が、いろんなものを割り切っていて扱いやすい。
だから、ああいう店にウサ晴らしに出かけるのだ。
それなのに。
全然、割り切れないような相手をつかんでしまった。
もう一度、息を吐く。
髪の毛に指を突っ込んで、カイトは頭を押さえるようにした。
何で。
何で……オレは。
メイと一緒だと、落ち着いてものが考えられなかった。
頭の中にあるネジが、外れかけたようにガタガタときしんで、彼の思考を安定させないのだ。
だから、今ならきっと落ち着いていままでのこと、これからのことを考えたり分析できたりすると思ったのである。
それなのに。
一番最初に頭をよぎったのは。
あの――笑顔だった。
『よかった……』
そう、彼女は笑ったのだ。
カイトの目の前で。
あんな衣装であることすら一瞬忘れてしまうくらい、その笑顔に吸い込まれた自分がいた。
ついで、カイトは自分の手を見た。
身長と対比すると、バランスが悪いくらいの大きな手である。
抱きしめた感触を、思い出そうとする。
しかし、やっぱり何も残っていないのだ、そこには。
ぎゅうっと。
確かに、自分でも信じられないくらいに強く抱きしめたのに。
クッ。
悔しい――に類似した感じが、胸を斜めになぞった。
悔しい?
しかし、直後に自分の思考に首を傾げる。
悔しい、カラダ。
いや、カラダじゃない。
悔しいのは。
ガチャ。
ドアが、開いた。
全身が、ドキッとした。
何のドアが開いたのか、一瞬分からなかったからである。
はっと音の方へ顎を巡らすと、続き部屋のバスルームのもので。
視線が、彼女を探した。
おず。
そんな素足から、メイは出てきた。
頭が。
いきなり、頭がぼぉっとなった。
そこには――知らない女がいたのだ。
暗いところでしかしっかり見ていなかった彼女は、まるで全然別人だった。
カイトが、目を疑ったくらいだ。
濡れた黒い髪は、室内灯で艶やかにと輝いている。
いや、それよりも何よりも、顔だ。
あのケバい化粧が、似合わないハズである。
ぬけるように白い肌に、年齢が読みにくいあどけなさの残る顔が、カイトを見ていたのだ。
戸惑った不安そうな目だけは、バスルームに入る前と変わりなかったが。
カイトは一度目を閉じて、もう一回ゆっくり開けてみた。
しかし、事態は何ら変わっていなかった。
女は化けるというが、あの後からすれば、こっちの方が断然化けたように見える。
「おめー……」
ぼぉっとしたまま、カイトは呼び掛けようとした。
口調まで、我知らずぼうっとしてしまった。
が、しかし。
いきなり、脳天を打ち割られるような衝撃が襲ってきたのだ。
メイは――彼女は。
素肌にタオル一枚の姿だったのである。
「ばっ……バカ! 何てカッコしてやがんだ!」
がばっとソファから立ち上がった。
そうして、自分が彼女のために何の着替えも用意していなかったことに、ここでようやく気付いたのである。
女の着替えなど、カイトが思いつけるハズもなかった。
「え……でも……あの」
巻き付けたタオルを更に手で押さえた状態で、彼女はうつむく。
だーっっっ!!!!
頭の中がいきなり混乱を始める。
猫に毛糸玉を与えてしまった状態だ。
ひっからまって結ばって。
と、とにかく。
カイトは、彼女の方へと早足で近づいた。
ビクッと緊張する身体の真横を素通りして、彼は脱衣所に飛び込んだ。
何なりと着れそうなものを探そうと思ったのだ。
家政婦が、いつも普段着などはそこに入れているハズなので。
ガタガタッッ。
焦る動きで、あちこちに身体をぶつけながら、カイトは着替えを探った。
こういう時に限って、使えそうなものが見つからない。
ったく。
苛立っていた。
着替えを用意できなかった自分にもだし、いま探せない自分にも。
あんな格好のまま出てきた彼女にも。
それ以外の、分からないもの全部も。
とにかく、カイトは全部に苛立っていた。
思い通りにならないことは、彼は大嫌いだったのだ。
そういう苛立っている時に限って、彼女が脱いだだろう派手な毛皮なんかが目について。
目障りに思ったカイトは、それをはじき飛ばした。
が。
それがマズかった。
彼女は、彼に見られたくなかったのか、その中に下着をくるんで隠していたのである。
それが床にちらばった。
ドキーッ。
まさか、そんな事態になろうとは思っていなかったカイトは、一瞬身体が固まってしまう。
しかし、すぐに見てはいけないもののように目をそらした。
チクショウ!
調子が狂っているどころの騒ぎではなかった。
こんなに自分がパニクる日が来るなんて――彼のスケジュール帳の、どこにも書き込まれていなかったのに。