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12/01 Wed.-8

 まったく。


 ソウマは、心ではとりあえずタテマエのようにそんなことを思ったものの、ホンネはおかしくてしょうがなかった。


 ダイニングでは、楽しい夕食の宴が続いている。


 うまいワイン、うまい食事――でも、楽しい理由はそれだけじゃなかった。


 あの、カイトを、である。


 彼の愛すべき後輩であり、鋼南電気の社長であるカイトを、こんなにまでからかえる日が来るとは思ってもみなかったのだ。


 確かに、大学時代から可愛げの片鱗はあった。


 しかし、最後はいつも『ケッ』とグレて相手にしなくなるので、からかうにはサジ加減と引き際が大事だったのである。


 なのに。


 今日のカイトときたら、どうだろう。


 からかってもつついても、際限なく噛みついてくるではないか。


 目をむいて怒鳴って暴れて。


 しかも、その原因が女というから、これまたおかしくてしょうがなかった。


 あのカイトが、と驚くところだ。


 大学時代から、いつも一人ですっと現れては、静かだなと思ったら不意にいなくなっていたり。


 集団生活を最初からする気も、向いてもいないヤツだった。


 女とか色気のある大学生活よりも、パソコンや不健全な夜遊び生活の方がかなり好きだったらしい。


 女と付き合った話は、大学時代に数回は聞いた。


 けれども、一つはカイトが面倒臭くなり、一つはほっときっぱなしで女がキレ、一つはフタマタかけられた挙げ句にポイされたらしい。


 という過去を、全部知っているとカイトに言おうものなら、間違いなくソバットの刑にされるだろう。

 だから、ソウマの口は貝になるのだ。


 シュウもカイトも、人の心の柔らかい部分を理解しづらい性格だ。


 会社を設立すると言った時は、いいコンビではあったが、同時に欠点だらけなのは明らかだった。


 人間相手の商売をすると、本当に分かっているかナゾな2人だったのだ。


 シュウは数字を見る。カイトは、ゲームソフトの質を高める。


 どちらも人間相手の商売には、不向きの感があった。


 付き合っていたハルコに、最初の内だけでも2人を手伝わないかと切り出したのは、親心に似ていたというか、兄心に似ていたというか。


 彼女なら、きっとエンジンオイルのように人を回せるだろうと思ったのだ。


 しかし、いつまでも預けておく気はなかった。


 実は。


 ソウマも、実は余り気が長い方ではないのだ。

 表面上の笑顔で、多くの人が勝手に騙されているだけである。


 会社が成功して軌道に乗った途端。

 彼はハルコをさらったのである。


 そんな自分の話は、そのへんで終わりにするとして。


 あのカイトが、女を家に連れ込んだ。


 情報の発信源は――ソウマの愛すべき妻である。


 遅くなった仕事から帰ってきた彼を出迎えたハルコは、最初から目を輝かせていた。


 いつもは静かな彼女のオーラが、「聞いてちょうだい」と騒いでいるのだ。


「カイトが? 本当か?」


 上着をハルコに脱がせてもらいながら、ソウマは驚きの声を上げた。


 カイトに彼女がいるという噂をすっとばして、いきなり女が家にいたというのだ。


 しかも、泊まった気配まで。


「それにね…彼女のためにカードで服なんかを買ってくるように、私に電話までかけてきて」


 どんなに凄い事態か、分かるでしょう?


 ハルコは、本当に嬉しそうだった。


 春遠かった弟のようなカイトに、いきなり降ってわいたピンクの花びら。


 それに、大喜びと言った様子だ。


「カードで…それは」


 その言葉を言っているカイトの姿を想像すると、ついニヤニヤしてしまう。


 カイトのカード――つまり、いい服を買ってこい、という言葉と同義語に聞こえたのだ。


「しかし…それをお前に言うのが妙だな。彼女にカードを持たせて買ってこさせればいいのに」


 ネクタイを緩めると、それも外して渡す。


「そうなのよ…ちょっと不思議なの。彼女の着てきた服らしきものが見あたらないし…あったのは…」


 普通の人が着られないような派手な毛皮。


「毛皮?」


 犯行現場に残された遺留品リストを聞いた時のような、訝しい声になった。


 カイトは毛皮というガラじゃないのだ。


 すると、その彼女のものということになる。


「そんなに派手なのか? その相手は?」


 少し心配になる。しかし、すぐにハルコは首を横に振った。


「それが…全然。すごく気だてのよさそうな子よ…でも、私がそれを見つけたら、慌てて彼女が取って隠しちゃったの」


 だから、彼女のものだとは思うんだけれど。


 眉間に薄いシワを寄せて、名探偵ハルコの推理が始まったようだ。


「でもね、本当にいい子よ。洋服を見繕ってきても、悪がって全然受け取ろうとしないし…彼女…ああ、メイという子よ。そのメイは、私が見つけた時、カイトくんのシャツ一枚だったの」


 それはもう、奥さんは珍しいくらいに多弁だった。

 いつもは聞き役の方が得意のハズなのだが、今日はカナリヤだ。


 ぷっ。


 吹き出してしまう。

 あのカイトが、シャツを女に貸したのだ。


 どんな顔で貸したんだか。


 頭の中では、目を三角にした仏頂面のカイトがそっぽを向いたまま、横に腕を伸ばして、『着ろよ!』と言っているギャグな姿を想像してしまった。


 そのメイとやらの服を、あのランボーがダメにしてしまったんじゃないだろうか。

 だから、服を買って来いとハルコに頼んだのでは――


 そういう風にソウマは推理した。


 ガキめ、ガキめ。


 内心でそう呟きながらも、顔がニヤけてしまう。


 こんな楽しい一大事は、半月くらい前に実は一つあったが、普通なら滅多にない事件だった。


「それだけじゃないのよ」


 彼女は、まだ切り札を色々持っているようだ。その一つを見せてくれる。


「何だと? そりゃあ!」


 珍しく大声を出してびっくりしてしまった。


 カイトが、取るものもとりあえずといった様子で、とんで帰ってきたというのだ。


 理由が――メイが泣いたから。


 ケンカでもしたのか、どうにも2人はワケありの事態らしい。


 しかし、あのカイトが仕事をどうしてきたか知らないが、女のためにすっ飛んで帰ってきたのである。


 これは間違いなくホンモノだった。


 カイトは、本気なのだ。


 いままでの彼の人生をかいま見てきたソウマには、まさしく奇跡のように思える事件だった。


 ハルコにも同じように感じられただろう。


「あなたったら…嬉しくてしょうがないって顔してるわよ」


 目ざとい彼女に捕まって突っ込まれる。


「それは、お互い様だろう?」


 言いながらも、上機嫌になって彼女を抱き寄せる。軽くキスをして。


 そうしてハルコを胸に抱いたまま、けれども頭の半分は、その面白いカップルに向けられていた。


「何を…考えてるのかしら?」


 間近から見上げてくる唇に、上の空だったお詫びのキスをする。

 でも、やっぱり楽しいカップルに意識は捕まったままだ。


「あいつは、明日も早く帰ってきそうか?」


 この質問で、きっと何を考えていたのかバレてしまっただろう。


 彼の大好きな目の細め方で、ハルコが笑った。


「あら…賭けましょうか?」


 少し悪戯めいた言葉に、ソウマは首を横に振る。


「賭けにならないぞ、それじゃあ」


 ハハハハハ。


 気持ちよく笑ったソウマは、その後すぐにワイン蔵にこもったのだった。


 弟カイトと、その彼女への手みやげとして――


 なのに。


 目の前で見ると、彼女に聞いたのとはまた一段と様子が違う。


 カイトが、メイにメロメロなのは一目瞭然だ。

 ちょっとした仕事すら、させようとしない。


 ソウマが小さなお願いを一つしただけで、何と自分で立ち上がってその仕事をしたのだ。


 信じられない光景だった。


 あの面倒臭がり代表のカイトが、である。

 台所周りのことなど、からっきしダメな男が。


 メイが悪がって、小さな仕事でも見つけると手を出そうとするのに、それに気づくや否や『ギャン!』だった。


 しかし、あれでは彼女が怯えるばかりだというのに。


 本当に不器用な男だった。


 この状況を見ると、普通の女とは絶対にうまくいきっこない。

 いままでの女とのつきあいが短いものだった理由は、一目瞭然だった。


 こいつに。


 女に好かれようという努力は、ミクロンもない。


 それに気づくと、もうこらえきれなかった。


 くっくっくと思わず笑ってしまって、いまにも隣からフォークやナイフが飛んできそうな気配がして、何とか笑みをこらえた。


「まあ、飲め」


 機嫌を直させるために、カイトのグラスにワインを注ぐ。


 勿論、カイトが彼にワインをつぎ返してくれる――ハズなどなく、ソウマは自分のグラスが空になったままだった。


 しょうがなく手酌をしようとすると。


「あ、おつぎします」


 向かいのメイが、慌てて立ち上がった。


「ああ、すまん…頼もうかな」


 渡りに船とはこのことだ。


 手酌なんて風情のないことよりも、女性についでもらった方が何千倍もおいしいに違いない。


 それに。


 チラリ、と横目でカイトを見た。

 きっとこれにも、彼が過剰反応するだろうと思ったのだ。


 しかし、カイトはいままでと気配を変えていた。



「すんな!」



 本気で、怒っていた。


 いままでの、逆撫でられた怒りではない。本当に腹の底から怒っていたのだ。


 メイは、ビクッと動きを止めてしまった。


 何故、そうムキになる?


 たかが、何の他意もない酌だろう?


 もしも、ソウマがいやらしい目でメイを見ていたというのなら話は別だろう。


 そうじゃないことは、ちゃんと分かっているハズだ。


 それくらいの付き合いは、カイトとしてきたつもりだった。


 なのに、いきなりからかってはいけない雰囲気が流れて、ソウマは眉を寄せる。


 食事中にこういう空気にするとは。


 食事は楽しめ――をモットーとしているソウマには、この空気は非常にありがたくない。


 ふーっ、困ったものだ。


 場の雰囲気を元に戻すために、彼は会話を探さなければならなくなった。


 しかし。


 カイトが、本当に彼女のことを好きでしょうがないというのだけは、イヤというほど分かったのだった。

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