12/01 Wed.-7
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人ん家に勝手に上がり込みやがってー!!!!
いつもは、ソウマにそうされてもちっとも腹が立たないのに、今日に限って言えば、憎らしくてしょうがなかった。
踏んで、踏んで、踏みしいたげても足りないくらいだ。
しかも、ただの上がり込みではない。
メイと一緒にいるのだ。
おまけに、ハルコはいない。
時間的に考えると、おそらくもう帰ったのだろう。
となると、2人きりということだ。
この家に、彼女と2人きりでいたのである。
ソウマでなかったら、今頃もう殴りかかっていたに違いなかった。
それくらい、頭に来る事実だったのだ。
「お早いお帰りだな…オレは、てっきり夜中に帰ってくると思っていたんだが」
ニヤリと口元を歪めながらヤツは笑う。
女性向けではない、仲間用の表情である。
さも、からかわんとしている時特有の目だ。
んなら来るな!
真理だった。
カイトがいないと思っていたのなら、ましてやシュウも遅くなるだろうと予測したのなら、何故ソウマはここに来たのか。
そういう風に言いながらも、実は早く帰ってくるだろうと思っていたのだ――何だとー!?
何故、今日に限って早く帰ると予測したのか。
会社に電話でも入れたのだろうか。
いや、そんなハズはない。
誰にも早く帰るなどと言ってもいないのだ。
開発室の連中は知ってはいるだろうが、秘書はまだ仕事をしていると思っているかもしれなかった。
ということは。
いや、考えるまでもなかった。
ハルコが、しゃべったのだ。彼女のことを。
今朝、ケイタイで釘を刺したが遅かった。
それが、カイトの二番目に言いたかったことなのだ。
客間の次に、とにかくソウマにバレることを阻止したかったのである。
しかし、彼女の答えは。
『あら…いけませんでした?』
いけませんでした?
でした?
過去形じゃねーかー!!
カイト、真っ青。
もう、ハルコはとっくの昔にソウマにしゃべりまくっていたのだ。
遅すぎるどころの話ではなかった。
絶対、何か言われる。
それは、分かっていた。
しかし。
何も、それがいきなり今日でなくてもいいはずだ。
まだカイトは、メイとの生活に何一つ慣れていないというのに、そんな弱い部分にトドメを刺すかのように、この男はデバガメしに来たのである。
「あ…」
しかし、怒りまくっているカイトに、メイが視線と声を向けていた。
反射的に硬直する自分の身体。
一瞬、頭から何もかもが吹っ飛ぶ。
「あ…おかえりなさい」
慌てて椅子から立ち上がりながら、彼女はそう言ったのだ。
おかえりなさい、と。
それは、些細で無意識の一言だったのかもしれない。
しかし、カイトにとっては大きかった。
ずっとこの家にいてくれるような――そんな気がしたのである。
これから毎日、帰ってきたカイトに同じ言葉を投げてくれるんじゃないか、と。
この妄想トリップが、まずかった。
「カイト、『ただいま』はどうした?」
凄く面白そうな目をしたソウマが、口を突っ込んできたのである。
一瞬にして、春の気分がブリザードになる。
「てめー!」
カッとなって、掴みかかる。
相手はまだ椅子に座っていて、珍しくカイトの方の視点が高かった。
そのまま、胸ぐらに手をかける。
「でてけ!!」
客と呼ぶ相手じゃない。
彼はまったく容赦しなかった。
「おいおいおい…」
その胸ぐらの手を払いながら、ソウマは苦笑する。
そうして、テーブルの上にあるものを掲げて見せた。
「せっかく、いいワインが見つかったから一緒に飲もうと思って持ってきたのに、その言いぐさはないだろう?」
まず、食前酒だな。
ソウマは、まったくもって勝手を並べる。
彼が遅く帰ってくると思うのなら、そんなものを持って来ないだろうし――第一、食前酒とは食事の前に飲む酒のことだ。
確かにテーブルには、食事の用意が整っているようだ。
しかし!
何故、今日も食事の用意が出来ていて、ソウマが食前酒というのか。
食前酒とは食事の前に――んなの分かってんだよ!
食事の前に、まず飲む気なのだ。
ということは、ソウマはここで食事をしていく気なのである。
絶対。
ハルコとグルだ。
この家に黙って入れるのも、メイが警戒しないのも、食事の用意が出来るのも、その量も。
すべて、頸動脈を押さえているのはハルコなのだから。
クソッ。
この夫婦は、カイトの行動を当てるのが大得意と来ているからハラが立つ。
まだ、シュウのように首を傾げていればいいのに。
「オレは、ワインなんざ飲みたくねーんだよ!」
だから、てめーも一緒に帰れ!
カイトは、はっきりまったく1ミリの誤解も起きないように怒鳴った。
とにかく、これ以上この空間にいて欲しくなかったのだ。
「そうか? それは残念だな…お嬢さんも楽しみにしていたのにな」
なのに、いきなり本当に残念そうな口調になって、メイの方を見るのである。
あぁ?
何故、そこで話題が彼女に行くのか、カイトには理解できなかった。
「あ…いえ、私はそんな…」
慌てて、彼女は遠慮するような唇になって。
「そうか? おいしいワインを飲んだことがないと言っていたから、是非味わって欲しかったんだが…」
カイトが、どうしてもダメというからなぁ。
チラリ。
彼を見るソウマの横目。
絶対、全て計算していた。
ヤッちまうぞ、てめー!
心の中で出刃包丁をひらめかせながら、頬をひきつらせた。
しかし、「ホントにいいんです…」とメイがソウマに悪そうに言うものだから――これでは、まるで彼が悪人だ。
彼女が、カイトの手前遠慮しているような気がしてしょうがなかった。
借金なんて過去がなければ、もしかしたら彼に言ったかもしれないのだ。
『ちょっとだけでもいいから、飲みたいな』
うわー!!
カイトは暴れそうになった。
心の中で、メイがお願いする目で彼を見上げていたからだ。音声まで合成して。
恐ろしく器用な右脳を、今日ばかりはミサイルで木っ端微塵に吹き飛ばしたかった。
「ほら、お前があんまり怖いこと言うから、お嬢さんも飲みたいなんて言い出せないでいるじゃないか…ここは、オレに免じて一緒にワインを楽しもうじゃないか…おっと、この間のカードで勝った権利を、ここで使わせてもらってもいいんだがな」
笑顔だ。
ソウマは、カイトのという名前の嵐の真ん真ん中を横切って、おまけに逆鱗の側に車を横付けするような真似をしてくれた。
一歩間違えば、彼を際限なくキレさせるというのに。
うーあーうぅぅ…。
頭からバリバリとソウマをかじりながら、しかしカイトは、彼の襟首をひっつかんで無理矢理立たせた。
「おっと…」
こりゃあ、ダメか?
ソウマは彼の剣幕にそういう目をしてみせる。
そのまま諦めてもらっても大いに結構だったが、カイトはそうして力技で空けた席に、どすんと座ったのだ。
ココは、オレの席だ!
彼の主張はそれだった。
「メシ食ったら…帰れ」
腹の底からイヤそうなオーラと声を絞り出した。
ソウマは、再び笑顔に変わった。
「ああ、やっとお許しが出たな…すまんが、ワインオープナーを取ってもらっていいかな?」
態度の軟化を知ったのだろう。
隣の席にワインを置きながら、向かいのメイに頼む。
しかし、声に反応したのはカイトで、がたっと椅子から立ち上がった。
ワインオープナーの場所など、彼女が知るハズもないのだ。
それだけじゃなかった。
「勝手に使うんじゃねー」
ギロリ。
睨んで言った言葉は、ワインオープナーのことではない。
メイのことだ。
「おっと…これは失礼したな。カイトが取ってくるから、お嬢さんは座っていていいそうだ」
翻訳すんなー!!
隠し込んでいる言葉が、全部丸裸にされていく感触に、カイトは強く拳を固めたのだった。
※
甘いワインなんか持ってきやがって。
食前酒。
カイトは、一口飲んだ感想を内心で呟き、隣に睨みを送った。
ソウマの考えていることが、どうにもこうにも彼を苛立たせるのだ。
いままでワインを持参したことはあるが、カイトの甘いもの嫌いはよく知っているハズで。
今回の訪問が、メイをターゲットにしているのだという証拠でもあった。
推理するまでもない。
ソウマも、それを隠そうとは思っていない。
彼が本気で隠せば、シッポ一つ見つけられないに違いないのに。
「おいしい…」
だが、感想がまったく違う人間がいた。
メイは、すごく驚いたみたいに、そして嬉しそうに呟く。
また、見たことのない表情が出てきたが、それは彼が作り出したものではなかった。
「それは光栄だ…なあ、カイトもうまいだろ?」
ソウマは、グラスを掲げてカイトの方をちらりと見る。
うまいと思ってないことくらい、最初から知っているくせに、だ。
フン、とそっぽを向くということで返事をした。
気に入らねぇ、気に入らねー!!
カイトには、いつも驚いた顔とか怯えた顔とかするのに、ソウマにはまるで何の警戒感もないかのようだ。
オレが!
カイトは、無言でグラスを置くと料理にかぶりついた。
別に食べたいワケではないのだが、何でもいいから動いていないと、怒りが増幅するような気がしたのだ。
料理の支度はハルコがしただろうが、最終的な用意はメイがした。
よそったり、目の前に並べたり。
またそれで彼女と一悶着やって、結果、ソウマを喜ばせるハメになったのだ。
オレが連れてきたんだぞ!
この言葉は、訪問者に怒鳴るようで、実はメイに怒鳴っていた。
他の男にはこんなに優しい表情が出来るのに、カイトには、おっかなびっくりな顔ばかりだった。
これでは本当に、助けたという理由だけで彼の側にいるように思える。
実は、短気ですぐ怒鳴るカイトのことは怖くてしょうがないのかもしれない。
義務だけで。
よくない方向に考えが暴走し始めていた。
苦虫顔で肉を切って口に運ぶ。
親の敵のように噛んだ。
だから、メイが彼の顔を心配そうに見ているのに気づけなかった。
隣から肘でどつかれるまで。
「おい…」
ソウマだった。
口の中にまだ肉が入っているため怒鳴れず、睨みだけで反応する。
「食事中に何て顔してる…一口食べたら、作ってくれた人に感謝して、『うまい』の一言でも言ったらどうだ」
ただいまも言えない、ガキめ。
そういう目で見られたような気がした。
ムッとして、口の中の肉も気にせずに怒鳴りかけたが、ソウマの方がそれより早く続けた。
「ほら…お嬢さんも、マズイのかと心配してるじゃないか…せっかく、彼女が味付けしたのに…なぁ?」
視線をメイに投げて、同意を求めるソウマ。
もごっ!
口の中の肉が、一瞬生きているかのように暴れて、カイトは目を白黒させてしまった。
一歩間違えたら、変なところに入ってとんでもないことになっていただろう。
モゴモグモグ、ゴクン!
その白黒の目、いや実際は灰色の目で、肉をすごい勢いで噛みしめると飲み込んだ。
何だと。
そうして、メイを見る。
彼女は、ぱっと顔を伏せた。
伏せる直前に見えた心配そうな顔が、残像のように意識に焼き付く。
「辛いのを好きだと聞いて、お前の分だけわざと辛目にしてくれたんだぞ…それなのに、何て顔だ」
嘆くフリで続けるソウマを、とりあえず憎む。
そんなことを知っているくらい早くから来ていたのか、と。
「そんなこと…」
あんまりカイトを責めるものだから、彼女が慌てて割って入ろうとする。
そうならそうと、言やぁいいだろ!
知るはずのないコトで、どうして責められなければならないのか。
滅多に家で食事をしないせいで、これがハルコの味だのメイの味だの分かるハズもなかった。
確かにソウマなら、毎日ハルコの手料理を食べているのだから、違いの一つも分かるかもしれないが。
乱暴に、肉をもう一切れ切って口の中に突っ込む。
モグモグ。
確かに、辛い。
香辛料がバンバン効いている――うまい。
さっきは、怒りにまかせて食べていたので、本当に味わっているヒマもなかった。
ゴクンと飲み込む。
「カイト…言葉は神様とは言わないが、有能な秘書くらいにはなってくれるぞ」
回りくどく、何をワケの分からないことを、ソウマは言っているのか。
ここで、秘書なんて単語を出すところが、小賢しい。
確かにカイトとシュウだけでは、会社を動かすには問題があり、ハルコを秘書にしないかと持ちかけたのは、この男だった。
彼女は、潤滑油のような働きを見事にしてくれ、会社の成功の大きな一因になったことは確かだった。
もとい。
要するに、ちゃんと言葉で伝えろ、というのだ。メイに。
るせーんだよ! すっこんでろ!
いちいち隣からチャチャが入っては、カイトだって言葉を出しにくい。
いや、こういう時に真顔で『おいしい』と言えるような、潤いのある生活をしてきていないのだ。
「あの…ホントに…」
無理強いをしているような状況を、彼女は止めようとした。
その手元を見れば、まだ料理には全然手をつけた様子はない。
彼が一口食べた後の反応を、まるでじっと見つめていたかのような。
その事実にソウマが気づいていて、自分が気づいていなかったというコトにも腹が立つ。
どうして彼のアンテナは、こんなポンコツなのか。
カイトだって分かっていたら、もっと早く―― 難しかったかもしれないが。
「うめーよ!」
ぶすったれた口で、それを怒鳴った。
またしても怒鳴る結果になってしまう。
これでは、無理矢理言ったかのようではないか。
いや、無理に言った言葉ではあるのだが、内容に偽りはない。
「おいおい…カイト」
ソウマも、そう誤解してもおかしくない言い方に物言いをつけてくるが、ギロッと一睨みで一喝した。
どうしても、こういう風にしか言えないのだ。
チクショー! 誤解するならしやがれ!
カイトは、更に肉を刻むと口にかきこんだ。
マズけりゃ誰が食うか、と内心で怒鳴りながら。
「あ…」
けれども。
本当は、彼女の反応が怖かった。
だから、メイの声が聞こえた瞬間、ぱっと顔を上げてしまったのだ。
そうしたら。
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに目を細めて笑った。
ソウマの時のように声をあげて笑ったワケじゃない。
いまのこれは、ただの安堵に過ぎないのだ。
けれども、メイは嬉しそうに笑ったのである。
ぽろっ。
フォークを落としてしまった。
ガシャン!
その金属が皿と奏でた最悪の不協和音が、ウサギを逃がしてしまった。
笑顔は一瞬で消えて、驚いた目で何事かと彼を見たのだ。
もう、どこにもあの表情はなかった。
自分の失敗で、大事な一瞬を簡単に壊してしまったのだ。
クソッ。
慌ててフォークを拾い上げてそっぽを向きながら――何事もなかったかのように振る舞おうとした。
しかし、問題だった。
カイトが向いた方のそっぽに、ソウマがいたのである。
ニヤニヤ。
カイトの考えたことは、全てお見通しです、と言わんばかりの目だ。
ムカッッ!!
さすがに、今度の怒りは我慢できなかった。
「…っっ!!」
ソウマが、いきなりもんどり打ってテーブルにのめる。
テーブルの下で、思い切り隣の足を踏みつけたのだ。




