12/01 Wed.-6
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ハルコは――喜んで、手伝いをさせてくれた。
いろんなことも話してくれて、彼女がカイトの元秘書であったことが分かった。
「あ…そうだったんですか」
道理でただの家政婦にしては、カイトのことをいろいろ知っているわけだ。
2人の間に流れる不思議な空気の意味も、これで理解できたのだ。
そして、社長と秘書という構図が、とても似合う2人であることに気づく。
彼女なら、どんなにカイトに怒鳴られようとも、きっと軽く受け流せるのだろう。この笑みで。
「彼は、本当に何も話してないの…ふふ、まあ話すような人じゃないわね」
そう、きっとこんな笑みだ。
社長に向けているというよりは、弟か何かに向けているような気がする微笑み。
結婚退社した後も、カイトが手放さないわけである。
彼女なら安心して、何でも任せられそうな気がしたのだ。
メイは、そういう気持ちをそのまま素直に伝えた。
「あら…そうでもないのよ」
すると、少し意地悪にハルコは微笑んで。
「元々、秘書になる前からの知り合いで…私の夫は、いまでもカイトと大の仲良しだわ」
大学で知り合ったのよ。
そんな話ができるようになったのは、もう夕方。
夕食の準備に取りかかった頃だった。
メイはジャガイモをむいてゆではじめていた。マッシュポテトにするのだ。
「大学…?」
メイは、また不思議だった。
もしかして、彼女はカイトと同じ年だろうかと思ったのだ。
けれども、見間違いでない限りは、どう見てもハルコの方が年上に見えた。
「そうそう、私と夫が大学3年の頃ね。同じサークルだったシュウ君のところに、遊びに来た新入生がいたの。まだ入学式が終わって、何日かたったばっかりくらいの時に」
ハルコは、スープをかき混ぜながら、思い出すような目線になった。
「サークルの窓から、ひょこっと頭が出てきて、『おい、シュウ公!』って言ったのよ」
クスクス。
社会経済サークル。
聞くだけで頭が痛くなるようなサークルの名前を、後で言われて驚いた。
いや、シュウと呼ばれる男なら、何故か納得してしまいそうになるが。
ハルコの夫も所属していたというのなら、その人も彼のようなタイプなのだろうか。
「いまは、会社の立場上シュウと呼ぶようになったみたいだけど…」
楽しそうに笑う。
メイの知らないカイトが、そこにはたくさん袋に詰め込まれていた。
一つを出して見せてもらっただけ。
「だって、あのシュウの名前を、いじって呼べるような人が、しかも年下にいるなんて思ってもみなくって」
分かるでしょ?
同意を求められて、ついメイも笑って頷いてしまった。
背が高くて頭が良さそうで、人がうっかり失敗しようものなら、即座に指摘しそうな堅物。
昨日今日だけでも、彼女にはそう見えて仕方なかった。
「それからの付き合いよ…勿論、カイトは私たちのサークルには入らなかったけれど」
何かあると、4人で顔をつきあわせてたわ。
カイトは、年下であることをまったく気にしていなかった。
それどころか、最初から先輩に対する態度じゃなかった。
けれども、それが憎めなくて。
ハルコの袋から出てくるカイトは、綺麗に磨いてあって。
目の前に、ピカピカと並べられる。
彼女たちが卒業した後、カイトは会社を興し、シュウを巻き込んでゲーム会社を成功させたのだ。
そこで、初めて会社名が出た。
「え…あの会社なんですか?」
メイは、ゲームには疎い。
だが、あれだけテレビCMなんかされていたら、いくらなんでも彼女だって分かる。
そんな知っている会社名の社長なのだ。驚いて当然だった。
「あら…」
ハルコは、不思議そうにパチパチとまばたきをした。
彼女が、余りにカイトのことを知らないのに驚いたようだ。
メイは。
まっとうな会話を、カイトと交わしたことがなかった。
あるとすれば、昨日のダイニングでの宣言くらいか。
「ホントに…」
その笑顔が苦笑に変わる。
メイにというよりも、ここにはいないカイトに向けたような、そんな表情だった。
どこででも、言葉の足りない男のようである。
「彼は…カイト君はね…ああ、君って言うと叱られるのよ…でも、社長と呼ぶのは今更だし…」
ハルコが、話を続けようとした時。
コンコン。
調理場のドアがノックされた。
えっと2人同時に顔を向ける。
ドアは開けっ放しだったのだから、今更なノックだったが。
そこには。
男がいた。
けれども、シュウでもカイトでもなかった。
背は高いが、シュウのような細身とはちょっと違った。
しっかりした体つき。
伸ばされた髪は、きれいに後ろでまとめられていて、全然イヤな感じはしない。
大人の男という印象が、笑顔の上から着込まれていた。
「面白い話をしているようだな」
そう言いながら、彼は中に入ってくる。
「あら…いきなり入ってくるのは失礼よ」
しかし、ハルコはまったくもって相手に驚く様子はない。
いや、最初は驚いたがすぐにホッとしたようだ。
顔見知りなのだ。
え、あ…。
「インターフォンは鳴らしたんだが…でも、誰も答えなかった。どうやら、おしゃべりに夢中だったようだな」
ハルコに近寄って、軽いキスを交わす。
ドキン、とした。
しかし、それで分かった。
彼が。
多分、ハルコの――
「やぁ、お嬢さん…初めまして」
メイは鍋の前で戸惑ったままでいると、男の視線が彼女に向かった。
観察されるのかと思ったが、すぐに笑顔に変わって近付いてくる。
含みのない手を差し出されて、反射的に手を出してしまった。
握手の時の大きな手の力に、安心感を覚える。
いい人のような気配が、いっぱいしたのだ。
「ああ、紹介するわ…メイ」
ハルコが、その光景ににこやかに微笑んでいる。
「私の夫で、ソウマというの…職業は、経営コンサルタント…でいいのかしら?」
細めた目で、アイコンタクト。
2人の間に綺麗な糸がたくさん見えて、メイは驚いた。
そして嬉しくなった。
すごくお似合いの夫婦だったからだ。
「それは、仮の姿という話があるがな…おっと、忘れるところだった」
紹介された男――ソウマは、もう片方の手から魔法のように一つの瓶を出した。
「いいワインが出てきたんだ…お嬢さんも飲めるような、少し甘いのだよ」
食前酒にどうぞ。
出てきたのは、赤ワインのボトルだ。
蔵からでも出してきたのだろうか。
拭いそこねた一筋の埃が、そのワインの歴史を物語っていた。
きっとハルコが、昨日彼にこの家のことを話したのだろう。
多分、いくつもの誤解で。
だから、ワインなどプレゼントしてくれるのだ。
戸惑って受け取れないでいると、ソウマは眉を動かした。
そんな反応に出られるとは思ってもなかったのだろうか。不思議そうだ。
「ソウマ…いきなりすぎて驚いているじゃないの。女性を口説く時は、もっと外側からって…教授していたのは誰だったかしら?」
それに笑ったのはハルコで、ソウマは首だけ振り返った。
「あー、ダメだダメだ。あいつは算数はともかく、そっちは落第だ。まったく、カイトといいシュウといい、ロクな生徒がいなかったぞ」
余りにソウマが、それをスラスラと面白そうに言うものだから、思わず笑いそうになった。
カイトとシュウのほっぺたに、彼が落第のハンコを容赦なく押しているところを想像してしまったのだ。
それと同時に、彼ら4人が大学のキャンパスを歩いているところまで、空想のように押し寄せてきた。
きっと、人目をひくような4人だったに違いない。
「あら? あなたがとても優秀だったように聞こえるわ…私はちょっと異議があるわね」
ハルコのその一言で、彼女はもう我慢できなかった。
声をたてて笑ってしまって、慌てて口を押さえる。
けれども、2人ともひどく優しい目でメイを見ていた。
不思議な人たちだった。