12/01 Wed.-3
□
何やってんだ、オレは!
イライライライラ。
階段を駆け下りながら、カイトはネクタイを物凄い勢いで解いていた。
胸の中では、大声で自分に怒鳴り続ける。
ここに来るまでに自分がしてしまった失態が、両手の指でも足りないような気がしてしょうがなかったのだ。
ネクタイを首からぶらさげて、ついでにボタンも一つ外したところで、玄関にたどりつく。
ドアの外では、車のアイドリング音。
出かける準備は万端といったところか。
「遅かったで…?」
シュウは、運転席のドアのところで彼を待っていた。
しかし、言いかけた言葉を途中で切って、怪訝そうな目で彼を眺めるのだ。
上から下まで。
「るせー! 何でもいいから、とっとと出せ!」
彼が何を言いたいかなんて、最初から分かっているのだ。
それが、既に失態の一つなのだから。
怒鳴ることで、シュウをねじふせようと思った。
いまにも車をけっ飛ばしそうな彼の勢いに、眉を少しだけ動かした後、シュウは無言で車に乗り込んだ。
カイトも後部座席に乗り込む。
ルームミラーの中を、覗かないようにした。
絶対に、そこに彼の視線があるだろうことが分かっているからだ。
チクショー。
腹が立ってネクタイを完全に首から外し、そこらに放り投げる。上着も。
どかっと座席に背中を預け、オレは眠いんだというポーズで目を閉じるが、全然安らかじゃないのは自分でも分かっていた。
無言のまま、車が動き出した。
何の心配もいらないシュウの運転が始まる。
「聞いてもいいですか?」
7つめの信号にさしかかった時、シュウはようやく口を開けた。
目を閉じているけれども眠っていないのは、百も承知という口調である。
「ダメだ」
しかし、カイトは即答だった。
ただの拒否ではなく、つけいる隙も与えたくないほどの強さを込める。
「…昨夜、私は今日の予定について伝えましたよね?」
なのに。
CPUがエラーでも起こしたのだろうか。
人の拒否を無視して、シュウはあっさりその禁止の柵を踏み越えたのだ。
「人の話を聞いてんのか、おめーは!!!」
またけっ飛ばされてーか!
がっと目を開けて、身を乗り出す。
シュウは、動じる様子もなく運転を続ける。
本当にけっ飛ばされるまで、ポーカーフェイスを崩さないつもりか。
「ちゃんと伝えたようですね、私は…」
彼が何の返事も返さないけれども、反応から了解したのか運転手はそれを呟く。
その後で、ふむ、と考え込むような素振り。
考えてんじゃねぇ!
拳と平手に、わきわきと指がいったりきたりする。
そのこぎれいにまとまった頭を、ブチのめしたい衝動があったのだ。
人がどんな格好しようが、カンケーねーだろ!
と内心で怒鳴るものの、余りに説得力がなかった。
この、窮屈でかしこまってて――要するに、大嫌いな格好で出てきてしまったのだから。
彼だって、自分にあきれ果てているのだ。
クローゼットの中の背広を見た時に、頭によぎった考えに。
カイトは、忘れられなかったのだ。
あの、ネクタイを、彼女に。
しかも、更に彼はバカ野郎だった。
部屋を出ていけずに、ドアのところでモタモタしてしまったのだ。
このまま出て行ったら、わざわざ背広を着たのが無意味になってしまう。
メイは――時間はかかったけれども、彼の気持ちを裏切らなかった。
あの白い指が。
ズクン。
彼女から触れてくる唯一の時間。
その時間が意識によみがえると、カイトは眉間にシワを寄せてしまった。
この…バカらしい感じは何だ。
眉間が更にぎゅっと寄りそうになった時、シュウが勝手に第二の質問を投げかけてきた。
「ところで、話は変わりますが…アタッシュケースはどうしたんです? 昨日から見ないようですが」
それで、彼の気持ちは全て弾けて飛んだ。
気持ちにひたっているヒマなど、このロボットは与えてくれなかったのだ。
「てめーは黙って運転しろ!」
答えられるハズなどなかった。
怒り心頭。
イライラが冷めないまま、カイトは上着を担いで社に入った。
シュウは、いつも地下駐車場に車を置いてくるので、彼だけで社長室に向かう。
受付を通り過ぎて、エレベーターに乗る。
他の社員も同乗していたが、彼の険しい顔に、誰も挨拶一つかけられない様子だった。
この険しい顔が、昨日の取引が失敗だったんではないか、という怪しい噂を産むのだが、カイトが知るヨシもない。
社長室の階に到着し、カイトは秘書室の前を大股で通り過ぎようとした。
しかし。
「おはようございます…社長」
彼の秘書は、社長の機嫌などまったく関与しない。
カイトは返事もせずに通り過ぎようとした。
「今日は、確か開発室に入れるようにスケジュールを調整していたはずですが?」
けれども、有能で美人の秘書は、彼の姿を見過ごしてくれない。
要は、何故背広で出社したのか疑問に思っているのだ。
ハルコの推薦で後ガマとして入った彼女は、確かに仕事は出来る。
しかし、いささかカイトには、高飛車な女に見えた。
女扱いしようものなら、鼻でせせら笑われそうな感じだ。
勿論、それは偏見だったが。
そんな秘書に、スポーツインストラクターの天真爛漫過ぎる彼氏がいることをカイトは知らない。
その男のせいで、後々大事な秘書をまた失うハメになることも。
もとい。
カイトは、彼女の質問には答えなかった。
そのまま社長室の扉を閉めて、外界と遮断するのだ。
今日は誰に何を質問されても、それだけで怒鳴れそうな気がしていた。
とっとと開発室にこもりたかった。
プログラムの仕事をしている時は集中できるので、他の煩雑なことを忘れられるのだ。
しかし、彼にはその前に一つ仕事があった。
くそー。
昨日に続き、今日も彼女に電話を入れなければならないのだ。
女相手どころか、滅多に自分からケイタイをかける男ではないカイトには、非常に嬉しくない事態だった。
そう、彼の元秘書であり現在の家政婦でもある――ハルコにである。
用件は2点。
1つめの用件はかなり重要な事項である。極秘のハンコを押してもいいくらいだ。
客間。
そう、今日は何が何でもハルコに、客間の用意をさせないといけなかった。
台風が来ようがヤリが降ろうが、何が何でもそれだけは絶対だ。
もう、昨夜みたいな失態はまっぴらだった。
二度とあんなことが起きないように、禁酒をしなければならないかと思うほどだ。
禁酒のことをよぎらせたついでに、ヤニ切れの自分を思い出す。
カイトは机に腰掛けると、内線を押した。
秘書室がすぐに出る。
『はい』
よどみない秘書の声。
「ラーク、1カートン買ってこい」
カイトは顔を顰めながら言った。
『は?』
しかし、彼女にはうまく通じなかったようである。
珍しい聞き返しだ。
「ラークを1カートン買ってこいって言ってっだろー!」
同じことを2回繰り返すには、彼は余りに短気者だった。
『…承知しました』
私は秘書であって、タバコを買ってきたりお茶くみをする女じゃありません。
カイトには、彼女の返事はそう聞こえた。
フン。
セクハラで訴えたけりゃ、やれ!
本当に感情もコントロールできない、周囲にしてみればハタ迷惑な社長である。
シュウが、いろんな部分をうまくフォローしているからこそ、会社として成り立っているのだ。
かと言って、シュウが社長だったら、ここまで一気に会社は発展しなかっただろう。
しかし、これで完全に人払いもできた状態になったことは間違いない。
カイトはようやくケイタイを取った。
客間以外に、もう一つハルコには言っておかなければいけないことがあった。
重要度でいけば、そっちの方が確かに低いのだが――しかし、放ってはおけない事項でもある。
『はい…』
ケイタイから、ハルコの声がした。