12/01 Wed.-1
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ふにゃっ。
カイトは、枕を抱えていた。
羽根枕はとても柔らかい。
朝、たまにそれを抱え込んで眠っていた自分に気づいて、恥ずかしい思いをするのである。
枕を抱いて眠るなんて、まるで乳臭いガキのようだ。
しかし、寝ている時の自分のコントロールなんか出来るハズもなく。
そういう時は、目覚めると頭の下にない枕を、ムカついてベッドの外に投げ捨てるのである。
昨夜も一つ投げ捨てた。
理由は、いつものとは違ったけれども。
カイトの眠れる意識の中で、それは夢のように思い出された。
溶けかけたスノウマン。
力無い枕の後ろ姿。
そして。
また、枕を抱えているだろうことに、自分の意識が気づいた。
う…。
眉を動かして、カイトは一番嫌いな目覚めがやってきたことに気づく。
朝は強い方じゃない。
昨日はほとんど眠れなかったから早く起きたが、今日は。
昨日は?
何故、自分がほとんど眠れなかったのか、いまの彼のCPUでは理由を検索出来なかった。
まだ大部分がスリープ状態なのだから。
ただ、抱えている枕をひきはがして。
腕を外し、その手で自分の顔を触る。
手の影で、度か彼は瞼を動かした。
「ふー…」
そのまま、前髪を吹き上げるように上に向かって呼吸を吐くと、カイトはようやく目を開けた。
見えるのは、自分の手のひら。
近すぎて、生命線もブレまくっている。
その手を近づけて、顔をこすって。
別に猫ではないのだから、そんなことで顔が洗えるワケではないのだが、掴むようにこめかみに握力をかけると、少し意識がはっきりするような気がするのだ。
そこで、頭が少し痛いことに気づく。
寝起きだからだ。
カイトはそう思って、ようやく顔から手のひらを離した。
瞬間。
カイトは、トム&ジェリーのトムになった。
シッポの毛まで逆立てて、目を飛び出させたのである。
悲鳴が出なかったのは、不幸中の幸いだった。
彼が、ずっと枕だと信じて疑わなかったものが、枕ではなかったのである。
ピンクのカタマリ。
いや、それはメイのカタマリだった。
彼の方を向いて、身体を横にしたまま安らかな寝息を立てている。
2人の間に、ズレ落ちた毛布が――1つのそれにくるまっていたことを証明しているかのようだった。
な…な…。
言葉もでない。
慌てて周囲を見回すと、どうみても自分の部屋の自分のベッドだった。
何一つ間違いなかった。
何で、オレがベッドに寝てんだよ!
それが一番信用できなかった。
確か、彼は昨日ソファに行ったハズである。ベッドではない。
そこから、カイトは芋づる式に記憶を甦らせた。
彼は――ソファから降りて、部屋を一度出てしまったのである。
シラフじゃいられなかったのだ。
だから、部屋を出てダイニングに行って、うざったいシュウに怒鳴って、そうして。
酒を。
そうだ。
酒を飲んだのだ。
……覚えてねぇ。
冷や汗がダラダラ流れてくる。
酒を飲み始めたことまでは、はっきり記憶があるものの、それから先がわずかも残っていなかった。
まさか、メイがカイトをソファから運んだ――などという物凄く可能性の低い推理にすがることも出来ない。
ということは。
酔って帰ってきた彼は、自分でベッドに潜り込んでしまったのだ。
メイを見る。
頬にかかった黒い髪のなだらかなウェーブ。
呼吸のために薄く開いた唇。とざされた目元の長いまつげ。投げ出された細い指先。
幸い。
彼女はパジャマを着ていた。
その事実にホッとしかけたカイトは、しかし、見てはいけないものを見てしまったのだ。
メイのパジャマの胸元は、胸の形を表すような影がさしていた。中央付近にうっすらと。
ボタンが一つ外れているのだ。
オレじゃ。
カイトは、目をそらしながら更にダラダラ汗を流す。
オレじゃ…ねーよな。
それはもう神のみぞ知る世界だ。
何たる失態か。
女一人に振り回されて、酒におぼれて、挙げ句の果てには自爆である。
こんなことが、あっていいのか。
と、とにかく。
このまま、同じベッドにいるワケにもいかない。
外はもう夜明けで。
朝ということは、彼の仕事が始まることを意味している。
こんなところをシュウに見られようものなら。
ガバッ。
カイトは反動をつけて飛び起きた。
「ん…っ…」
その勢いで揺れたベッドに、彼女は小さなうめき声をあげた。
鼻にかかるような掠れた音
ズキズキズキ。
心臓をガタガタにさせてくれる女だ。
いや、いまはそんな事実を確認するより、彼はベッドから転がり出なければならないのである。
もしかしたら、メイは眠りが深く熟睡していて、カイトが同じベッドに来たことを覚えていないかもしれない。
それなら好都合だ。
そんなささやかな望みを託しながら、カイトはベッドから飛び出した。
いや、転がり落ちたと言った方が正しいか。それくらい慌てていたのである。
ガンッ。
床に頭をぶつけたカイトが見たものは、その頭からわずか5センチほどずれたところに転がる、昨日捨てた枕だった。
見事接触していれば、こんなに頭が痛い思いをすることもなかったというのに、まるで昨日カイトに捨てられたことへの反撃であるかのように、少し離れたところにいるのだ。
羽根枕が、ざまーみろと言っているように思えて、カイトはムッとした八つ当たりに、それを掴み上げると更に遠くに投げ捨てた。
チクショウ!
何でこうなんだよ!
全てがうまく噛み合っていない。
それもこれも!
カイトは、コトの元凶であるメイを睨み付けようとした。ベッドの上を、だ。
しかし。
チョコレート色と目があったことに気づいた。
丸く開いた茶色の目だ。
カイトの騒々しい起床で、目を覚ましてしまったのである。
彼が枕を投げ捨てている間に起きあがったのか、半身がベッドから引き上げられていた。
「……」
言葉も、出ない。
クソッ!
カイトは、床にあぐらをかくように座りながら、思い切りそっぽを向いた。
八つ当たりしたい枕は、自分が遠くに投げたために、もうその位置からは届かない。
「あ…あのっ…」
カイトはびくっとした。
彼を呼ぶ時は、いつもそういう始まりだ。
しかし、心と言葉に何の準備も出来ていない今のカイトは、かなり大変な状況になりつつある。
どんな質問にも答えられない、絶対の自信があったのだ。
「あの…おはようございます」
しかし、メイの言葉は質問じゃなかった。
おずおずとした、朝の挨拶だったのである。
カイトは、横目で彼女を盗み見た。
まだパジャマのボタンは、彼が見た時のままで。慌てて視線を横に逃がす。
早くボタンを止めろ、と心の中で叫ぶが、口に出せもしない。
「お…おう…」
彼女が、ベッドの件を言及しないので、もしかしたら気づいてねーのか? と自分に本当に都合のいいことを考えながらも、落ち着かない状況だった。
女と同じ部屋で同じベッドで夜明かしした後に、真顔で「おはよう」なんて言えるほど、カイトの性根は女性向きではなかった。
そうして。
気まずい沈黙が流れる。
どう行動していいのか、何を言っていいのか分からないのだ。
口のうまい男なら、もう三桁以上の言葉を発しているに違いない時間を、2人ともただひたすらの沈黙で通した。
だー!! 鬱陶しい!!
内心でイライラとシビレがキレまくる。
なのに、それを口から出して彼女にぶつけることができなかった。
ただ、心の中を嵐のように駆けめぐるだけなのだ。
けれども、カイトには幸運な事実があった。
部屋のドアがノックされたのである。
「そろそろ用意をしないといけませんが…起きてますか?」
シュウである。
昨日で学習をしたのか、ドアを開ける様子はなかった。
いまほどこのロボットを、頼もしく思えたことはなかった。
渡りに船とはこのことである。
「起きてるぜ!」
わざと大声でドアに向かって怒鳴って、カイトは立ち上がった。
これから。
忙しくなるのだ。
だから、忙しいカイトは、メイの方を見ているヒマなどないのである。
しょうがない。
忙しいのだから。
カイトは、クローゼットの扉を開けた。
彼の服と、端に彼女の華やかな服。
その色を見ないようにしながら、彼はハンガーをガチャガチャ言わせた。
あ。
そして、思い出したことがある。
カイトは、眉間に一番深い海溝を刻んだ。
ぶすったれる口になる。
何を考えてるんだ、と自分に向かって叱咤をかます。
怒鳴りちらす、わめき立てる。
メイの視線を背中に感じた。
彼女が、自分を見ているのだ。
汚い言葉を頭の中でさんざん巡らしながらも、ついにカイトは今日着る服を掴み出す。
転がり落ちるハンガーなど置き去りに、彼は大きな歩幅でドスドスと脱衣所に向かったのだった。




