11/30 Tue.-22
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眠れっか!
カイトは部屋を出た。
まだこの国では、眠っている人口の方が少ない時間なのだ。
ただでさえ夜型人間だというのに、何もかも手放しで熟睡出来るハズもない。
たとえ。
たとえ、昨晩がほとんど眠れなかったとしても、だ。
カイトは裸足のまま廊下に出た。
電気は、どこもかしこもつけっぱなしだ。
その明かりを伝うように、カイトは廊下を通り、階段を下り始めた。
フッ。
いきなり、階段の電気が消えてしまう。
カイトは、暗くなった世界で足を止めた。
ここでメイなら悲鳴の一つもあげただろうが、彼はこんなことが怖いワケではない。
冷静な目で、辺りを見回した。
まだ階下は明るく、そこに人影があるのが分かる。
見間違うハズもない。あんなのっぽの姿を――シュウだ。
「おい…」
消すんじゃねぇ。
存在を主張する意味も込めて、カイトはそう言った。
大きな声を出さなかったのは、彼女の眠りを妨げないように。
「ああ…いたんですか」
パッと再び電気をつけながら、少し意外そうな声で見上げてくる。
大股で、カイトは階段を下りていった。
「そんな格好で、どこに行かれるんですか?」
ずかずか降りてくるのはいいけれども、彼はそんなシュウを無視して、脇を通り過ぎた。
許可を取る必要も、説明をする必要もないと思っていたからだ。
そのまま、ダイニングの方へと向かう。
「社長…いえ、カイト…」
予測不能の行動に出ているせいだろう。
シュウは後ろからついてきた。色々と、言いたげな様子だ。
カイトは、それを無視してどんどん歩く。
ダイニングに入ると、そこもまだ電気がつけっぱなしだった。
多分、もうちょっと彼が来るのが遅かったら、この眼鏡男に電気を消されるところだったろう。
「…お酒なら、ご自分の部屋にもあるでしょう」
カイトの目的が、何であるのかに気づいたのだろう。
彼は、怪訝そうに後ろからそう言った。
イライライライラ。
ここまで怒鳴らずにいたのは、全部メイの睡眠のためであって、シュウのためではない。
心穏やかだったワケでもない。
当然心の苛立ち度は、メーターを上げていたのだ。
カイトは踵を返すと、入り口の辺りにいる彼の方へと突進した。
そうして、彼の脇から手を伸ばすと、ダイニングのドアをバタンと閉めた。
ちょうど、ドアと自分でシュウを挟んでいるような状態。
これほど近い距離になると、かなり見上げなければならないのが、どうにも腹が立つ。
子供の頃から、身長では一度もシュウに勝ったことはなかった。
まあ、相手の方が年上なのだから、というのもあったのだろうが、遺伝か食生活か生活習慣か、とにかくその辺の問題でもある。
ニョキニョキ伸びやがって。
まるで、ネギに向かって言うように――しかし、忌々しい思いだった。
思い切り、下から睨み上げる。
ドアを閉めたのは、防音のためだ。
「オレがどこで酒を飲もうが、何をしようがオレの勝手だ! いちいち口はさんでくんじゃねー!」
カイトは、心ゆくまで怒鳴った。
シュウの眼鏡が、ズレ落ちそうになるくらいの勢いだ。
怒鳴り終わると、カイトはもう一度ドアを開けた。
そうして、そのひょろ長い身体を蹴り出す。
ゲイン、と。
「ああ…何てことを…」
痛いとかそういうことよりも、彼の仕打ちに不満があったのだろう。
サイボーグ・シュウは、廊下によろけ出た。
バタン。
彼の抗議を、最後までおとなしく聞くタマではない。
シュウは追い出され、ドアはしっかり閉ざされた、ということだ。
向こう側でため息をつく音が聞こえる。
何をされても腹が立つが、いま一番腹が立つのは、このドアをもう一度開けられることだった。
「…明日はいつもの出勤で結構です」
しかし、シュウは逆鱗に触れるような真似はしなかった。
ただ、やはり仕事に関わることを言わないと気が済まないようで、それだけ残して足音が遠ざかる。
いつもの出勤。
それは、ネクタイがいらない、ということだ。
ジーンズで行こうが、迷彩服で行こうが構わないというコトで。
要するに、社内業務オンリーという、彼にとってはステキな一日のハズだった。
開発室に行けるということだ。
なのに、全然気が晴れることなどない。
ドアを素足でけっ飛ばす。
忌々しさを伝える時に、いつも彼はすぐ足が出てしまうのだ。
しかし、今回の勝負は分が悪かった。相手は、固い木製のドアなのだ。
カイトは痛みに顔を歪めながらも、ドアに背中を向けた。
さっき、行きかけてやめた方向へ向かうのだ。
そこには、ほとんど飾りとしてしか威力を発揮していない食器棚がある。
目的は、その下の棚。
もらいものの、ウィスキーやブランデーが並んでいるのだ。
がっとガラスの戸を開けると、一本ひっつかむ。
銘柄なんか気にしている余裕なんかない。
てっとり早く飲むために、一度封を切ってあるものを掴んだだけだ。
キャップを開け、カイトは。
それを――ラッパ飲みした。
味わうために飲んでいるのではないのだ。
そうではなくて、いま自分の頭の中にあるカタマリを見たくなかった。
もしも、それが割れて中から何か産まれたら―― そんなことにでもなろうものなら、一瞬にして彼女の信用を失ってしまうことは間違いなかったからだ。
ダンッ!
一息つくために、ボトルを引き剥がすと、テーブルの上に置いた。
そこはまだ、夕食の名残を残していて。
自分が、メイが座っていた席のすぐ側にいることに気づいてしまった。
彼女の幻影を、そこに見る。
あの程度の酒では、カタマリを溶かすことなど出来なかったのである。
クソッ。
顎を汚した酒を乱暴に手のひらで拭うと、カイトはもう一度ボトルを引っかけた。
指先にまでアルコールが染み渡るくらいに、限度など考えずに飲んだ。
「うー…」
頭に霞がかかってくる。
そうだ、これでいいんだ、と心の中の自分が自分に言うけれども、何故それでいいのかはもうどうでもよくなっていた。
身体がだるい、頭も重い。
空になったボトル二本を、ガシャガシャとテーブルの上で倒してしまう。
彼が、よろけたせいだ。
部屋。
意識が、そっちに向かっている。
とにかく、そこに行かなければならないと、酔っぱらい特有の妙な義務感に突き動かされて、彼はフラつく足取りでダイニングを出て階段にさしかかった。
確か…部屋に。
すっげー…。
一歩一歩、引き上げるように歩かなければならないけれども、それを苛立たしく思えもしなかった。
ただ、のろのろと歩いて登る。
階段が終わっても、廊下が長かった。
酔っているせいで、そう感じるのだ。
すっげー…何か。
ガチャリ。
重心を、前に押し出すようにしてドアを開ける。
パタン。
後ろ手にドアを放したら、意外に静かに閉まった。
しかし、部屋は真っ暗だ。
何か…。
足はベッドに向かっていた。
身体は、垂直でいることを疲れ過ぎていて、いまにも伏してしまいそうだ。
ベッドの上には。
卵があった。
暗くても、シルエットでそれだと分かる。
毛布で出来た卵。
ああ…。
カイトは、目を細めた。
ベッドにヒザをかける。
すっげー…大…な…。
一瞬で。
意識が墨の中に沈んだ。