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11/30 Tue.-18

 いきなり、ナニ言いやがんだ!


 カイトは、心臓鷲掴みである。


 メイが、彼にフロに入れと言い出したのだ。


 何を言われるかと思っていたカイトには、アッパーカットにも等しい一撃だった。


 そうして、気づいたのだ。


 彼女が、風呂に入りたいだろうとこに。


 家主より先には入れないと思っているのだろう。

 だから、メイに入って来いと言った。


 カイトの方は、風呂どころの話ではなかったのだ。


 何しろ。


 メイがいるということを忘れようと仕事を始めたにも関わらず、意識の全部は彼女の方に向かっているのだ。


 がむしゃらにマウスを動かして、画面を切り替えていくものの、いま何をしているのかというと――実際、自分でも分かっていなかった。


 まったくの役立たず状態である。


 ようやくメイを風呂に追いやって、この空間を彼は独占することが出来た。


 しかし、それで落ちつくかというと、まったくもって前と変わらなかった。


 それどこから、ますます悪い状態だ。


 メイは、風呂に入っているのである。


 いや、昨日もそうだったのだが、今日はまた意味が違うのだ。


 昨日は、ケバい化粧だの酒だのタバコだのの匂いをひきはがすのが第一目的だった。


 今日は。


 1日の間で、たくさん積み上げられてしまった、新しい彼女が風呂に入りに行ったのである。


 ガチャガチャ。


 キーボードを叩く手が乱暴になってしまう。


 何とか忘れようと、再び努力を始めようとした時。


 カチャ。


 おそるおそる、脱衣所のドアが開く音が聞こえた。


 ピクリ、とカイトの心の耳が立ってしまう。


 いま脱衣所に入ったばかりだ。風呂上がりとは、とてもじゃないが思えない。


「まだ、何かあんのかよ!」


 努力を台無しにされて、カイトはガッと振り返った。


「着替え、忘れちゃって…あの……ごめんなさいぃ」


 小さくなりながら、メイは部屋の隅に置いてある袋のところまで走った。


 あんなとこに。


 カイトは、ようやく彼女の着替えがそこにあることに気づいた。


 いままで、他のことに神経を向ける気がなかったからである。


 何で、んなトコに。


 ごそごそと着替えを取るなり、彼女はまた怒鳴られないうちに、とでも思っているのか、素早く脱衣所に戻っていった。


 まさか。


 いま、自分の頭にちょっとよぎった疑惑が心配になって、カイトは立ち上がる。


 壁に据え付けの、クローゼットを開けたのだ。


 やっぱり。


 カイトは、ためいきをついた。


 予想ピッタリである。


 ハルコは、シワになってはいけなそうな彼女の服だけは、そこにかけていたのだ。


 自分のクローゼットの中に、赤だのピンクだの、そういうものがかけられているのを見るのは妙な気分である。


 だからと言って放り出すワケにもいかず、明日、ハルコにきつく客間の準備を伝えておかなかればならないと思うだけだった。


 たとえ、恐怖の大王が降ってこようとも。


 脱力しながらクローゼットを閉じると、カイトはためいきをついた。


 無意識に、自分の目が風呂場へ続くドアに向けられているのに気づく。


 クソッ。


 昨日から、この罵倒を何度言っただろう。


 思い通りにならないと、いつもこの言葉が出てくるのだが、メイに関わることでは、言いっぱなしである。


 がしがし歩いていって、そのままバスン、とベッドに座る。


 タバコを、あの取引先で吸いつくしたことを、ここで思い出してしまう。

 買い足すヒマもなく、慌てて帰ってきてしまったのだ。


 明日は、1カートン買ってやる。


 1日で肺ガンにでもなりたいのか、半分ヤケになりながらそんなことを考えてしまった。


 しかし、忌々しいのはこの枕だ。


 まだ、仲良く二つ並んでいるそれが気に入らず、掴み上げるとベッドから叩き出す。


 床に落とされた枕は、まるで溶けかけの雪だるまのように力ない。


 とにかく。


 カイトは、寝る場所を確保しなければならなかった。


 幸い昨日と違って、毛布がもう一枚用意されている。

 カイトは、それを持ってソファに行った。


 まだ寝るつもりはない。

 こんなお子さま時間に眠れるハズもなかった。


 けれども、風呂から上がってきた彼女と、また同じ空間と時間を穏やかに共有できるかというと、とてもじゃないがそうは思えない。


 結局、無理にでも早く寝てしまう運命かもしれなかった。


 とりあえず。


 メイが風呂から上がってきたら、今度は自分が入ろうと思った。


 どうしても、いま入りたいというわけじゃない。


 しかし、壁一枚でも隔てられている間は、イライラはするものの怒鳴らずに済むのだ。


 彼女じゃなくても、怒鳴られて気持ちがいいハズがない。


 なのに、どうしてもこの口は怒鳴ってしまうのである。


 何でこーなんだよ。


 置いた毛布の隣にどすんと座り込みながら、カイトは頭を抱えてみる。


 もっと普通の言葉で、会話出来るはずなのだ。同じ人間なのだから。


 けれども、メイが脅えたり、勝手に泣き出したり、気を使い過ぎたりするから。


 オレは、あいつにどうしてほしーんだ?


 昨日までのことを全部流して、それで側にいて欲しいなんて――普通の神経じゃない。


 借金という拘束があるなら、側に置いておく理由もあるだろうし、いろんなものを納得させられそうな気がした。


 借金がないなら、彼女は出ていってもおかしくないのだ。


 それは、イヤだ。


 だだっ子のように、カイトは一言で却下した。


 彼は、技術力とカンとひらめきで生きてきた男だ。

 技術力は裏付けがあるが、他の二つはそうじゃない。


 その、そうじゃない二つが、メイの右腕と左腕を掴んでいるのだ。


 結局、世の中の誰も納得できない形でしか、メイの存在を表現出来ないでいる。


 おかげで、あんなくだらなくてヘタクソなウソまでつくハメになったのだ。


 自慢じゃないが、対外的なウソなら山のようについてきた。


 しかも、いまよりも3万倍はうまくついてきた。

 相手に高く売るためなら、どんなハッタリでもかます。


 良心なんて、痛みもしなかった。


 しょがねーだろー!


 彼女が納得させられないと、逃げられてしまいそうだった。


 いつまでたっても、信用されないように思えた。


 あんな、ちっぽけな言葉でも、メイの態度は確かに変わったのだ。


 だから、お風呂の話を持ち出したのだ。


 昨日までの彼女であれば、永遠にそこのソファで石のようになっていただろう。


 彼が気のつかない男である限り、本当に永遠に。


 この共有している時間を、自分の意思で少しでも動かそうと思ってくれたのは大きな進歩で、カイトだって少し嬉しかった。


 あれこれ考えているうちに。

 時間は経ってしまうものだ。


 ガチャリ。


 再び、ドアが開いた。


 ドキンとする。


 昨日の記憶のせいだ。

 昨日、メイはタオル一枚で出てきたのである。


 今日はそんなハズはないのに、鮮明に残っているあの映像が、彼を針でつついて追い回すのだ。


 一瞬、見てはいけないもののような気がして目をそらした。


 パタン。


 ドアが閉ざされて――再び、同じ水槽に戻ってきたのだと、彼にイヤでも教えてくれる。


 同じ水の中。


「お先に…いただきました」


 ぺこっ。


 多分、頭を下げながら言ったのだろう。そういう声が聞こえる。


 風呂くれーで、頭下げんな!


 カイトは、また思い通りにならない彼女にムッとして顔を上げた。


 しかし、怒鳴り声は出なかった。ただ、口をパクパクする。


 メイを見てしまったのだ。


 ピンクのパジャマ姿だった。


 買いたてのパジャマは、たくさん余計な折り目がついているものの、カイトはそんなもの気にならなかった。


 ただ、パジャマ姿のメイに目を奪われていたのだ。


 そう。


 当たり前の話なのだが。


 パジャマ姿というのを見るのも、初めてだったのである。


 その上、タオルで濡れた髪を押さえながらという――心拍数が上がる。


 バッと、カイトは立ち上がった。


 そのまま大股でメイの横をすりぬけると、無言で閉ざされたばかりの脱衣所の扉を開き、そうしてまた閉じた。


 見ちゃいられなかったのだ。


 この壁に守ってもらわなければ、何かが弾けて飛びそうだったのである。


 ハルコの…大バカ野郎。


 そして罵倒するのは、客間を用意しなかったこの家の家政婦である。


 誤解したまま、ハルコは。


 …!!!


 やべぇ、とカイトの頭の中に黄色い信号が点滅した。


 忘れていたのだ。


 ハルコは、亭主持ちで。


 その亭主は――


 ぜってー…今日のこと話してやがる。


 めちゃくちゃイヤな予感にさいなまれながら、カイトは冷や汗をダラダラと流した。


 しかし、それは先の話だ。



 いまの大きすぎる課題は、どうやって無事に今夜を乗り切るか、だった。


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