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11/30 Tue.-10

 ドックン ドックン ドックン。


 カイトの神経は、全部背中に取られた。


 心臓につながっている神経は、本当に全部、だ。


 かすかに、何かが背中に触れているのが分かる。


 一瞬前、確かにメイはぶつかったけれども、いまはほんのちょっとだけ何かが触っている。


 髪の毛とか、とにかくそういうレベルの。


 真後ろに――彼女がいるのだ。


 背中のアンテナは、息づかいさえ拾おうと精度を上げる。


 ぐす。


 しかし、よりにもよってなタイミングで、音を拾った。


 あっ。


 ビクッと心臓が飛び上がる。

 一気に体温も跳ね上がった。


『彼女……泣いてらっしゃいましたよ』


 ハルコの声が、頭の中を突き抜けた。


 最初に電話で聞いた時よりも、もっともっとひどい衝撃だ。


 そ、そんなに!


 カイトは、暴れたかった。


 いや悔しかった、苦しかった。


 身体は固まったままだけれども、彼のハートは急転直下に落ちていく。


 そんなに、オレに触られんのがイヤなのかよ!


 泣く理由なんてないハズだ。


 ずっとそれを考えていた。


 しかし、こんな状況で彼女は泣いてしまったのである。


 特別なものと言えば――彼が掴んでいる手首。それくらいだ。


 泣きたいのはカイトの方だった。


 そういうんじゃなくても、ダメなのかよ!


 うつむくと、悔しさがこみあげてくるのを喉元に感じた。


 しかし、その手をしばらく離せなかった。離したくなかったのだ。


 きっとこれを離してしまったら、自分の中のセーフティはもっと強くかけられるだろう。


 もう二度と、彼女に触れられなくなるかもしれないのだ。


 この感じを、カイトは失ってしまうのである。


 それが、とてつもなくイヤだったのだ。

 ワケなんて分かっているハズもない。


 けれど、イヤだったのだ。


 他の誰にも感じたことのない気持ちの波が胸に打ち寄せて、無造作に穴を開けていく。


 考えるまでもなく、おかしいことなんか分かっていたハズだ。


 どうしてこの女を、最初に拾ってきてしまったのか。


 その理由すら、インスピレーションとしか答えられないのである。


 売れるゲームを作る時のインスピレーションと似ていて、少し違うものだった。


 胸が騒いだ。


 あんなところで働かせておきたくなかった。

 でも、解放したくもなかったのだ。


 ここに置いておきたかった。


 服を着せて、普通の生活をさせたかった――自分の側で。


 何だと?


 愕然。


 最後に考えた自分の感情に、カイトは目をむいた。


 自分の側で、といま思ったのだ。


 オレの側で。


 彼が、メイにいて欲しいと思っていたのだ。


 ま、待て…クソッ!


 自分の感情の暴走を止めようと、心の声を荒げた。


 普通、見ず知らずの若い女を、理由なく側に置いておきたいと思うものじゃない。


 いや、余程の女好きや欲求不満のガキならそう思うかもしれないが、カイトはどっちとも一緒にされたくなかった。


 これまで、女にはそこそこの興味しかなかったのである。


 オレは、何を考えてんだ!


 殴り飛ばしても叱りとばしても消えない感情に、カイトは大きく戸惑っていた。


 昨日より、もっと膨らんだ感情だったからこそ、ここまで彼の目について、目障りに思ってしまったのである。


 たった1日。


 どう計算しても、24時間よりは少ない時間だ。彼女と出会って。


 そのたった24時間で、どうしてこんな酷くなるばかりの、目障りな感情に振り回されなければならないのか。


 カイトは、立ちつくしていた。


 目の前には、ハルコの用意した温かい部屋と食事が待っているというのに、一歩も動けなかったのである。


 クッ。


 しかし、背中には泣いている女がいる。


 女を泣かす機会など、彼にはほとんどなかった。

 そこまで、深く関わったことがないのだ。


 高校時代は、彼もまだガキで。


 女なんて――そういうポーズを作っていた。


 大学に入ってからは、プログラミングで忙しくて、ついには会社まで作ってそれどころじゃなかった。


 本格的に会社を大きくしてからは、寄ってくる女は全部違うものが目当てのように思えた。


 要するに、いままで誰とも深い付き合いはなかったのである。


 カイトの心は、いつも彼のものだった。


 こんなに乱れたり、かきむしりたい気持ちになったことなんか。


 こんなに。


 カイトは眉間に強くシワを刻んだ。


 顔を歪めて、でも、手を離さないと彼女が泣くのである。


 彼に触れられると、メイは泣くのだ。


 一度、ぐっと強く手首を掴んでしまった後――ようやく、カイトは指を解いた。


 一本ずつ空気に邪魔されていく。


 オレは。


 手を離して、ゆっくりとカイトは振り返った。


 心の内側から、何が出てこようとするのだ。


 どんなしっぽの動物か、彼は見ようとした。


 メイはうつむいている。

 いまの彼の角度からでは、表情は分からない。


 しかし、見てしまうとダメだった。


 その震える小さな身体を、ぎゅうっと抱きしめたい衝動が腕に走るだけだったのだ。


 かき抱きたいと。


 そして、『泣くな!』と言いたかった。


「オレは…」


 思っている言葉が、ふっと喉からこぼれた。


 目をそらす。


 もうメイは衣服を着ていて、見るのに何も問題はないというのに、うまくそれが出来なかったのだ。


 この女を。オレは。


 オレは、この女をほ…。


「カイト…」


 ギックー!!!!


 カイトの心臓は、鷲掴みにされたように驚いた。


 名前が呼ばれたからである。


 しかし、それはメイではなかった。


 彼女が、そんな風に呼ぶハズもないからだ。


 第一、声も違う。


 もっと低い――女じゃない生き物。


 カイトは、おそるおそる顔を上げた。

 メイのうつむいた頭の向こうには。


 能面の表情の、彼の相方がいたのである。


「うわっ…!」


 カイトは、慌ててメイから飛び退いた。


 まるで情事の現場を、目撃されてしまった気分である。


 彼女も、第三者の乱入に我に返ったのか、ごしごしと目を拭き始めた。


「今日はお疲れさまでした…契約書をいただいてまいりました。私が社長の代理で印鑑を押させていただきましたので、確認をお願いします」


 ツカツカとダイニングに入ってきながら、彼に茶封筒を差し出す。


 いつもよどみのない機械的な足取りだが、今日は尚更、ロボット軍団が攻め込んでくる時のような速度だ。


 てめっ!


 カイトは、近づいてくる彼の手からばっと封筒を奪い取ると、さっさと消えろ、という目で睨みつけた。


 今でなくてもよさそうなことを、わざわざ持ってくるのだ、この男は。


 ここにただよっていた空気を、一切感知してないに違いない。


 センサーがファジィ対応ではないのだろう。


 この初期型ロボット野郎!


 今度、絶対改造してやる。


 カイトは心に誓った。


 茶封筒を受け取ったものの、開けるつもりもない。

 いま開けてもしょうがないからだ。


 それよりも、この唐変木ののっぽを、どこか異次元へ飛ばさなければならなかった。


 でなければ、その向こう側にいるメイが、全然見えないのである。


 いま、どんな表情をしているかすら。


「それから…」


 しかし、シュウはまったくもって話をやめる気はないらしい。


「それから…今日のようなことは、もうしないで下さい。契約の場を私に任せてボイコットするなんて…いままではなかったですよね?」


 そんなこと、自分が一番よく知ってら、ということを、わざわざシュウは突きつけてくる。


 そうなのだ。


 カイトは、彼を置き去りにしてきたのである。


 あのハードメーカーとの契約は、当日中に行わなければいけなかった。


 いや、別の日でもいいのだが、そうなると彼らに分が悪かった。


 契約書でなければ、拘束力を持っていないのだから。

 後になって、やっぱりあの条件じゃいらない、と言われると困るのだ。


 だから、あの日のうちに契約書を作成し、目を通し、契約を完了させる必要があった。


 しかし、その仕事をシュウに任せて、カイトは出てきてしまったのである。


 彼が運転してきた車に乗って。


 きっとシュウはタクシーででも帰って来たに違いない。


 リモコンも持っていなかった彼は、門のところで降りて、それから脇の通用口から入ってきたのだ。


 だから、コートの肩の色が違っているのである。


 外は、まだ雨が降っているのだろう。


「大体…あなたがそんなにしてまでも早く帰らなければいけない理由である、この女性とは何者なんですか」


 カッッ。


 シュウは踵を鳴らした。

 そうして、後方を振り返るのだ。


 まるで、社長の仕事の邪魔をする原因を排除するかのように。


 どこまでもロボット的な考え方だ。


 ムカッッ!


 カイトは反射的に怒っていた。


 理由は二つ。


 余計なことをよどみもなく言う口と、彼の分析で原因をメイにあると考えた頭と。


「てめーにゃ、関係ねぇ!!」


 ブン殴られてーか!


 シュウの身体が、吹っ飛ぶくらいのパワーで怒鳴っていた。


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