表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
170/175

01/10 Mon.-9

 夜が来る。


 メイは、戸惑っていた。


 夕食が終わって後かたづけをしていても、カイトはそばから離れてくれなかった。


 今日は本当に一日、ずっとそうだったのだ。


 この後片づけだって、最初は「すんな!」と言われたのである。


 久しぶりにその言葉を聞いた。


 どうしても片づけをしないと気持ちの悪いメイは、何とかお願いして片づけさせてもらったのである。


 その間、ずっと監視されていた。


 後かたづけが終わって、濡れた手をタオルで拭きながら振り返ると、すぐにカイトに手を捕まれた。


 もう、これ以上の仕事をさせないという確固たる意思の背中が、彼女を二階に引っ張っていく。


 あ。


 どうしよう。


 メイは、物凄く心配になった。


 今夜、自分はどこで過ごせばいいのか分かっていなかったのである。


 いままでなら、彼の部屋の前を通り抜けて、奥の方にある客間で夜を過ごしていたのだ。


 しかし――彼らは、今日婚姻届を出してきたのである。


 ということは。


 夫婦なのだ。


 カァッ。


 恥ずかしさに体温が上がる。


 夫婦ということは、同じ部屋で寝泊まりするということになるのではないだろうか。


 いや、カイトは部屋で仕事をするかもしれない。

 その時に、自分の存在で気が散るのではないだろうか。


 いろんな憶測が、頭の中で飛び交った。


 ついに、カイトの部屋の前に到着する。


 彼が、ドアを開けようとした時。


 メイはビクリと震えてしまった。


 彼は動きを止める。


 そして、ゆっくりと振り返った。


「あ、あの…私…」


 結婚した、と言っても、したてホヤホヤだ。


 しかも、昨日の段階では、こんなことになるなんて思ってもいなかったのである。


 そんな突然に夫婦になったからと言って、当たり前みたいな顔をして、同じ部屋に入っていけなかった。


 確かに、彼と過ごした夜もあった。


 一番最初の頃だ。


 まだ、客間が使える状態にはなっていなかったので。


 でも、あの時と今度は、全然意味が違う。


 あの時は、まったくの他人で、彼は決して手出しはしてこなかった。


 今度は。


 もう戸籍上、夫婦だ。


 そして――同じベッドで眠る、という意味も全然違うのである。


 その現実的なものが、一斉にメイに襲いかかってきたのだ。


 結婚して初めての夜。


 初夜。


 などという単語が、頭を掠めてしまったのがマズかった。


 彼女は、ますます真っ赤になってしまったのである。


 身体が全然動かなくなってしまった。


 すると。


 カイトもそれが伝染してしまったのだろうか。頬の端を少し赤くする。


 そんな顔も、見られたくないように横の方にそらす。


 しかし、彼は握っていた手を離さなかった。そして、決意したようにドアを開けたのである。


 ぐい、と引っ張られる。


 もつれる足で、部屋に入った。


「あ…」


 思わず、声をあげてしまう。


 部屋は――昨日、彼を食事に誘いに来た時と、まったく変わっていなかったのである。


 何もかも、昨日のままだ。


 彼らだけが、昨日と大きく違ってしまったのである。


 どうしよう、どうしよう。


 心臓が、バクバクと走り抜けていく。


 中に引っ張り込まれて手を離された。


 カイトは、ドアの方に戻る動きを見せたが、それをバタンと閉ざすとすぐに帰ってくる。


 この人と。


 近づいてくるカイトを見る。


 この人と、ホントに結婚しちゃったんだわ!


 彼は、メイの目の前で止まった。


 どういう表情をしていいか分からないのは、相手も同じのようで。


 唇を何度か開けようとした動きはあったが、きゅっと閉ざして横を向いてしまった。


 何を、どう切り出したらいいのか、分からないのだろう。


 それは、彼女も一緒だ。


「あ! コ、コーヒー入れてきます!」


 そうだ。


 彼女には、お茶の時間という強い味方があったのである。


 前は、食後にそういう時間を取っていたではないか。


 メイは、言うなり部屋を飛び出して行こうとした。


 この張りつめた、居心地の悪い空気に耐えきれなかったのだ。


 しかし。


 その身体は、遠くまでいけなかった。


 すぐに、何かに引っかかって止まってしまったのである。


 え。


 おそるおそる振り返る。



「今日は…お茶はナシだ」



 カイトが――彼女の手を掴んでいた。


 ※


 お茶はナシだと言われても。


 メイは、もじもじしながらソファに座っていた。


 カイトは、窓辺の方にいる。


 何かを手に握っていれば、もしくは、ほかにすることがあれば落ち着くというのに、今はそれさえ出来なかった。


 ただ、じっとしているだけ。


 何か、話しかけなきゃ。


 そう思っていたが、いい言葉なんか全部どこかに隠れてしまっている。


 いま口を開いたら、どんなマヌケなことを言うか分からなかった。


 向こうも。


 そう思っているのだろうか。


 ちらちらと、こっちの気配を伺っている気がする。


 でも、話しかけて来る様子はなかった。


 はぁ。


 ついに耐えきれなくなったメイは、深い吐息をこぼす。


 それにさえ、カイトがびくっとした反応を返してきたので、逆に彼女の方がびっくりしてしまった。


 緊張で、押しつぶされてしまいそうだ。


 何か話しかけなきゃ!


 もう、この空気に我慢できなくなった。


 いい話題がないかと、慌てて彼女は周囲を見回す。


 一つのドアが目に入って、そこに光明を見い出すことが出来た。


「お…お風呂! お風呂の支度しますね!」


 いきなり立ち上がると、メイはバタバタとバスルームの方に逃げ込んだ。


 今度は、手を捕まれるほど近くにいなかったのが幸いしたのか、止められなかった。


 急いでお風呂の掃除をする――と言っても、バスタブの方は使われていなかったらしく、きれいなものだ。


 軽く流してから、お湯を張り始める。


 その水音を聞きながら、彼女はお風呂場でぼんやりした。


 ここで戻ったら、またあの空気に耐えなければならないのだ。


 初めての、夜。


 きゃー!!! と、メイは走り回りそうになった。


 昨日の記憶も一緒に戻ってくるものだから、頭の中はとんでもない騒ぎになる。


 本当に、心臓が弾け飛んでしまいそうだった。


 半分ほどたまったところで、ようやくそんな心臓を抑えることに成功して、メイはゆっくりとした足取りで、部屋の方に戻って行った。


 しかし、そんな努力はカイトを見るなり吹き飛んだ。


 彼は――バスルームに入る扉の、すぐ前まで来ていたのである。


 目の前に、すぐカイトの身体があるのだ。


「あ…えっと…お湯もうすぐたまるので…どうぞ…」


 最後の辺りは、消えてしまいそうな音量になる。


 恥ずかしさが強すぎて、まっすぐに彼の方が見られないくらいだ。


「先に…入れ」


 うつむいたメイの視界で、彼がぐっと拳を作ったのが分かった。


 しかし、すぐに身体が反対を向いて、どこかに行ってしまう。


 顔を上げると、カイトの背中がソファに向かっているのが分かった。


 わざわざバスルームに近づいてきた、ということはお風呂に入りたかったのではないだろうか。


 彼女は、その背中をじっと見つめた。


 うまく翻訳しようとしたのだ。


「早く入れ!」


 動かない後ろの様子が分かったのだろう。


 背中を向けたまま、カイトは強い声を出した。


 弾かれるように、メイは脱衣所のドアの内側に飛び込んで、それを閉めた。


 どうやら彼女が先に入らないと、カイトはお風呂に入ってくれないようだ。


 おぼつかない指で、自分のブラウスのボタンをはずそうとした時。


 あることに気づいた。


 あっ!


 すっかり、忘れていた。



 メイは――パジャマどころか、着替えがなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ