01/09 Sun.-10
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もっとカイトに近づくには、この衣服は余りに厚手で邪魔だった。
彼が上着を脱ぎ捨てたのを見て、メイはいてもたってもいられなくなった。
もっと、カイトを感じたい。もっとそばで、ぎゅっと彼の体温を感じたい。
衝動みたいに身体の中をかけめぐった。
だから、もどかしい指で自分のコートをむしりとったのだ。
ジャケットも邪魔。
ブラウスだって。
そのボタンを外しかけたところで、彼の手がぎゅっと上から止めるように握り込んで来た。
彼の手から感じる熱と力に、心臓がドキンと跳ね上がる。
そこで初めて、自分が脱ごうとしていたのを、カイトに見られていたのだと分かったのだ。
自分だけが暴走しているような気になって、全身が恥ずかしさに熱くなる。
そんな顔を、見られたくなくてうつむいて。
あきれただろうか。
メイは怖くなる。
でも、このままじっとしているなんて耐えられなかったのだ。
もっと彼を知るためには、このコートもジャケットもブラウスも、全部邪魔だったのである。
こんな気持ちになったのは、カイトにだけだ。
他の誰にも、いままで一度だってやったことはない。
けれども、彼がそれを知っているはずもなかった。
もしかしたら、こんな女だと思われてしまったかもしれない。
誰にでもこんなことをしているような。
違うの。
そうじゃないの。
カイトだからこそだ。
離れていた分、会えなかった分を、いますぐにでも埋めたかったのだ。
どんな記憶よりも、あの一番寂しかった記憶をナシにしてしまいたかった。
好きだった。
彼も、自分にそう言ってくれた。
まだ信じられない。
本当にそれが、いま自分の手の上にあるのか分からないのだ。
ぎゅっと握りしめたかった。
苦しかった気持ちを、彼にぶつけてしまいたかった。
わがままでも。
そう分かっていても、メイは自分を止めることができないような気がしたのだ。
しかし。
恋は、一人では成就させることができない。
好きの重さや意味は、人によって違うのだ。
彼女はこんなにまでカイトにおかしくなってしまったけれども、相手はそうじゃないかもしれない。
「いや…?」
気持ちの重さは、全然違うのかも。
離れている間、あんなに苦しかったのは、実は自分一人だけで―― カイトは、本当はたいしたことはなかったのかも。
「バカや…!」
驚いた声があがる。
信じられないような声でもあった。そして、怒ってもいた。
そのまま、強い力で抱きしめられた。
いま彼女の考えた怖いことを全部、ひっくり返して踏みつけるような抱擁だ。
ああ、カイトだ。
こうやって抱きしめられると、身体全体が彼を感じようと一生懸命になる。
体温も感触も痛みも呼吸も、全部吸収したくてしょうがなくなるのだ。
ほんの少しのとりこぼしもないように。
あっと思ったら、カイトはすごい勢いで彼女を抱き上げると、どこかに連れ去ろうとする。
いきなり視界が回転した。
天井を見た。
気づいたら、ベッドの上だった。
彼の身体ごしに、天井を見ていたのだ。
離れようとする身体に気づいて、メイはぎゅっと彼の首を抱きしめた。
離さないで欲しかった。
もう二度と、この腕が解けなければいいと思った。
「優しく…できねぇ」
せっぱ詰まったような、苦しい声で呻かれる。
優しくなんて!
メイは頭を打ち振った。
優しく離れられてしまうくらいなら、ひどくても側にいて抱いて欲しかった。
そんな優しさなんかいらない。
折られてもいいから、彼にぎゅっとされたかった。
「ひどくて…いいの。あなたがそこにいるって、私に教え…」
言葉の最後は、カイトに噛みつかれた―― 唇を。
激しくて熱くて、心臓が止まるか壊れるかするに違いないと思えるほど、強いキス。
苦しい。
唇の内側に、カイトが割って入ってきたのが分かった。
首筋がゾクリとして、横になって目をぎゅっとつむっているのに、めまいを感じるほどだ。
血の流れがおかしくなって、世界の上下が分からなくなる。
でも、メイは彼を離したりはしなかった。
いますがりたいのは、この身体だけなのだ。
荒々しく唇の隙間から息をついで、でもカイトも離さないでくれた。
大きな手で、彼女の頭を抱えるようにして、何度も何度もキスという水の中に沈められた―― 呼吸ができない。
カイトは、もがくようにその片方の手を頭から離して、身体を探る。
触れる、ではない。
強く探られるのだ。
彼は、いまどこに触れているかも分からないようながむしゃらさで、力をぶつけてきた。
乱れた息づかいを、唇の側で感じる。
唇が離れているのだ。
いや。
メイは一生懸命顎を伸ばした。
その唇に触れ合わせる。
カイトの吐息を飲み込む。
まだ、身体は隙間だらけなのだ。
隙間を全部カイトで埋めてしまわないと、いまにも死んでしまいそうだ。
急性カイト欠乏症という病名以外、絶対にありえなかった。
※
埋めて。
早く。
指先まで、全部カイトでいっぱいにして。
彼が、ブラウスのボタンを飛ばしたのが分かった。
でも、絶対に「いや」だとか、抵抗したりはしなかった。
メイだって、そんな力があるならば、彼のボタンを同じようにしただろう。
でも、まだカイトの素肌は遠かった。
もどかしくて、おかしくなってしまいそうだった。
その気持ちが。
通じたのだろうか。
カイトは、「くそっ」と一つ唸ってからばっと離れると、自分のシャツのボタンも、すっ飛ばしたのである。
あ。
メイは、じっとその肌を見た。
恥ずかしいとかそういうレベルの意識は、何もない。
そこに、彼の素肌があるのだという気持ちでいっぱいになった。
そっと。
手を伸ばす。
左の胸に、触れた。
ドクンドクンと、物凄い速度で叩いているのが分かる。
熱い。
これが、カイト。
メイは、自分の身体の上に抱き寄せた。
二人とも、ブラウスやシャツの前を開け放しただけで、脱いでしまっているワケではない。
しかし、そのまま抱き合うと―― 直接的な体温で触れ合えた。
ぎゅうっと腕に力がこめられる。
彼も、もっとメイを感じたいかのように。
「メイ……」
ビクンッ。
彼女は身体を震わせた。
いま、誰かに自分の名前を呼ばれたのだ。
耳のすぐ側で。
カイトの、声だ。
彼が、名前を呼んでくれたのだ。
自分の名前を、覚えていてくれたのである。
いままで、そんな風に呼ばれたことはなかった。
最初のタクシーの中で、名乗っただけである。
たった一度だけ、彼に告げた本当の名前。
それを、カイトは呼んでくれたのだ。
メイも、腕にもっと力を込めた。
「カイト!」
ぎゅっと。
一生懸命名前を呼ばないと―― また涙が溢れてきそうだった。