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01/09 Sun.-4

 どうしよう、どうしよう。おかしくないかな。


 メイは笑顔を浮かべていながらも、内心では物凄く焦っていた。


 一人ハイテンションに、ペラペラしゃべりまくっているのだ。


 カイトは、あきれているかもしれない。


 疑惑が胸を掠める。


 しかし、ぶんぶんとそれを払った。

 せっかく、ここまで引っぱり出せた勇気を、台無しにしてしまいそうだったのだ。


 勢いをつけるために、おちょこの日本酒に口をつける。


 あの甘さが、ぱっと口の中に広がった後、胸が熱くなる。


 そうしたら、ますますドキドキしてきた。


 お酒の影響もあるだろうが、カイトがすぐそこにいるのだと、いきなり自覚してしまったせいもある。


 本物だ。


 触れようと思えば、触れることが出来る―― 勿論、そんなことはしなかったが。


 あまりに近くなので、彼の体温が伝わってくるのではないかと思った。


 実際は、暖房のよく効いた店のおかげで、どんなに神経をパラボラアンテナのように開いても、体温を感じることはできなかったが。


 カイトが静かなのには、やはり慣れなかった。


 あの事件が起きる前の彼は、いつも気配からして威圧的だったり攻撃的だったり。


 怒鳴ることを除いたら、全然しゃべる人ではなかった。


 しかし、声にしなくても力強い何かをいつも感じられた。


 いまのカイトは、気配すら黙り込んでいる。


 それは悲しいことだった。


 あの事件が、カイトを変えてしまったのだ。


 あんな、ほんの少し時間の使い方を間違っただけで。


「おまちどうさま」


 料理が運ばれてくる。それに、はっとした。


「あ、おいしいですよ。食べてください」


 カイトに料理を勧める。


 一つの皿の上の料理を、割り箸で二つに割る。


 ハンバーグを思い出してしまった。


 彼と一緒に、半分このハンバーグを食べた記憶だ。


『うめぇ』という言葉が、すごく幸せだった。


 カイトは、しばらく戸惑っていたようだが、半分にされた料理に箸をつけた。


 口に運ぶ。



『うめぇ』―― はなかった。


 ※


 次々と運ばれてくる料理。


 いつもはおいしい料理も、この時ばかりは味が分からなかった。


 それに、つい気が動転していて、食べたことのない料理まで頼んでしまっていた。


「これ、いいの?」


 女将が、お肉の乗った皿を出す。


 心配そうな顔で。


「え、あ、はい…お肉は大丈夫ですけど」


 意味は分からなかったが、それを受け取る。


「…それ、カエルよ?」


 お皿を2人の間に置いた瞬間、女将はそう言った。


 ピキン!


 メイは、思わず固まってしまった。


 カ、カ、カ、カエルぅぅぅぅ???


 目をひんむいて、こわごわ皿の上を見る。


 レタスの上に飾られたお肉だ。


 言われなければ、カエルだなんて分からなかったかもしれない。


 なのに、聞いた途端―― メイの目には、レタスの上に生きているカエルが座って、『ゲコ』と鳴いているように見えてしまったのだ。


 何てものを注文してしまったのか。


 きっとメニューには、分かりづらく書いてあったに違いない。

 でなければ、カエル料理を注文したりはしなかっただろう。


 カエルは嫌いというワケではない。


 そこら辺にぴょんぴょん跳ねている分には、きゃーきゃー言うことはないのだが、いざ調理された姿を見せられると。


 ど、どうしよう。


 汗が、だらだら流れてくる。


 自分が注文した手前、残すなんてもってのほかだ。


 かといって、カイトにカエルを食べさせるワケにもいかない。


 カエルは、鶏肉に似ておいしいと話を聞いたことがあった。


 ゴクリ。


 メイは、覚悟を決めた。


 自分で、このカエルを食べきろうと思ったのだ。

 そうしてこわごわ箸を伸ばしかけた。


 が。


 忽然と、目の前からカエルの皿が消えた。


 箸が、行き場を失ってしまう。


 皿は―― 長い指に掴まれていた。


 隣だ。


 えっ?


 驚いてそっちを見ると、カイトは乱暴な箸の動きで肉を掴むと口の中に突っ込んでいたのだ。


 カエルを。


 ためらいもなく、ばくばくと食べている。


 あっけ。


 しばらく、呆然とその姿を見ていた。


 彼は、カエル料理が好きでしょうがないのだろうか、などとバカなことが頭をよぎるが、そんなはずはなかった。


 あっ。


 お酒も飲んでいないのに、胸の中にぱっと熱いものが広がる。


 メイの代わりに、食べてくれているのだ。


 彼女が苦手そうにしているのが、きっと分かったのだろう。


 カイトの横顔は、とてもじゃないが味わっているものには見えなかった。


 時々水を飲んで、流し込むような動き。


 ジン。


 胸が熱い。


 やっぱり、こんなに、優しい人なのだ。


 言葉はないけれども、こんなにも相手のことを思いやる人なのである。


 きっと、みんな彼のことを誤解している。


 カイト用翻訳機をつければ、みんな片っ端から彼に撃ち抜かれてしまうだろう。


 メイのように、恋に落ちてしまう女性もたくさんいるはずだった。


 粗雑な言葉や態度の裏側に、優しさが山のようにひそんでいる。


 彼女だって、全部見つけているワケではない。


 でも、ごく一部であったとしても、この騒ぎなのだ。


 心をたくさん持っていかれてしまうくらい。


 あの事件のことを―― 早く忘れて欲しかった。


 そして、少しずつ埋めていきたかった。


 昼間、カイトは仕事に行って、自分は家政婦として彼の家で仕事をして。


 たまに、一緒にお酒を飲みにここにきて。


 そんな風にしていれば、もっと自然に話ができるようになるのかもしれない。


 迷いが、生まれた。


 とにかく、気持ちをぶつけようと思っていた。


 うまい言葉をどうしても探せなくて、晩ご飯でも一緒に食べていたら、そんなきっかけも出来るかと思っていた。


 お酒も飲んだ。


 さりげなく伝える言葉を一生懸命検索したけれども、今度はお酒のせいか、それとも隣に彼がいる緊張感のせいか、何も出てこなかった。


 そして、カイトの優しさを見た。


 このまま、穏やかにいまの生活を続けていけば。


 時々、カイトとコミュニケーションを取れば、いつかあの事件のことは薄れていくのではないかと思ったのだ。


 元通りに、戻れるかもしれない。


 伝えたい心と、穏やかな回復を望む心が、ここで初めてせめぎあった。


 それが、迷いになったのだ。


 心をぶつければ、確かにメイの気は済むだろう。


 当たって砕けて粉々になったとしても。


 でも、それは今度こそ完全な決別を意味するものかもしれないのだ。


 言わなければ、このまま彼の家政婦という地位を、手に入れられるような気がした。


 メイは、お酒にちょっと口をつけながら―― ひどく迷った。


 どうしよう。


 伝えるべき言葉も見つかっていない今、現状維持説の方が強い力を持ち始めていた。


 そんな彼女の思考を邪魔するように、周囲がどんどんと騒がしくなる。


「今週は3連休だから、みんな浮かれているみたいね」


 成人式のせいで、明日まで休みだものね。


 女将は、カイトのお猪口にもお酒を注ぐ。


 ああ、そうか。


 自分が過ぎてしまうと、成人式は単なる祝日でしかなくなる。


 それに、ここしばらくの複雑な生活の変化のために、1月の第二月曜日が祝日であることを、すっかり忘れてしまっていた。


 ごちゃごちゃと人が溢れ返り、タバコの煙で店内が白く霞み始める。


「出ましょうか」


 メイは言った。


 もう十分におなかもいっぱいだし、お酒も飲んだ。


 カウンターの椅子から降りて出口に向かう。

 コートに袖を通しながら。


 後ろからついてくるカイトが―― サイフを出す気配がした。


「あっ! 今日は私が払います!」


 慌てて振り返って、メイは彼にストップを出した。


 最初から、そのつもりだったのだ。


 ここは良心的な店で、料理もそんなに高くないし、短い期間とはいえ、パン屋で働いたバイト代が入っていたのだ。


 だから、自分の稼いだお金で、ごちそうしたかったのである。


「あの、ちゃんと働いたお金ですから! お願いです、おごらせてください!」


 カイトのくれたお金ではないのだ。


 パン屋のバイト代くらいでは、生活費のタシにはならないので、結局彼からのお金を使うことになるのだが、ここの支払いだけは、ちゃんと働いたお金でやりたかったのだ。


 カイトが眉をしかめた。


 彼女の申し出を歓迎していない顔だ。


「ああもう、いいから、ちゃっちゃか払っていきなさい。ぐずぐずしてたら、そちらのおにーさんが万札出しそうな勢いよ」


 女将が助け船を出してくれたので、慌てて支払いを済ませる。


 横から、万札がにゅっと出てこないことを祈りながら。


「ごちそうさまでした」


 初めて、カイトにごちそうしたという事実に、メイは興奮していた。


 ドキドキとうわずる声で、女将にお別れを告げる。


「頑張りなさい…」


 小さな声で、ぽそっと言って見送ってくれた。


 頑張るって。



 メイは―― 迷っていたのに。

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