12/29 Wed.
◎
「まったくあいつは…」
こんなに、ソウマが怒っているのを見るのは珍しい。
病院の受付で、病室を聞いて向かっている途中―― おかげで、ハルコの方がすっかり落ちついてしまったくらいだ。
他の人が先にパニックになると、つい踏みとどまってしまうのである。
この間は、先にハルコがパニックになり、ソウマになだめられた。
今回の役割は、どうやら逆のようである。
「まあ、大事には至らなかったんだし…」
よかったじゃない。
フォローのつもりで、ハルコは口にした。
しかし、夫は彼女の方を向き直るや。
「この豊かな現代で、『栄養失調』だぞ! 栄養失調! そんな信じられない病名で、救急車でかつぎ込まれたのは、あいつか、ダイエット失敗者くらいだ」
とまあ、この剣幕なワケで。
表現はいささかオーバーにしても、ソウマが言いたいことはよく分かる。
カイトは、本当に彼女が出ていってから、ロクな食生活を送っていなかったのだ。
食以外の部分も、かなり荒れた状態だっただろう。
電話をもらったのは今朝だった。
シュウからで、昨夜、会社でカイトが倒れて病院にかつぎ込まれたという―― そんな『報告』だった。
『別に、命に別状はありません…病名? いえ、過労ではなく…栄養失調です。病院で点滴さえ受ければ元に戻るでしょう』
それが、シュウの返事だった。
人間を、車か何かと勘違いしているのだろうか。
ガソリンさえ入れればまた走ります、と言わんばかりだ。
そういうつもりではないのだろうが、彼の表現は、いつもちょっと問題がある。
「絶対に、退院させんぞ」
ソウマは廊下を歩きながら、忌々しい口でそう言った。
「幸い、会社は休みだ。年末年始に、急用なんてないだろう…このまま、病院に突っ込んでおくからな」
絶対に、一歩も譲らない。
ソウマは頑とした声でそう続けた。
彼女も、その方がいいと思った。
普通の状態なら、ハルコだってもう少しカイトのためにいろんなことが出来るのだが、いまは自由がきかない。
彼だってハルコにかまって欲しいとは思っていないだろうし、そっちの方が余計に素直に受け入れられないだろう。
まだ病院で義務として、強制監禁しておいた方がマシではないか。
きっと年明けには、身体が元通りまで回復するだろう。
点滴に規則正しい食事―― ひたすらの休養。
彼が抜け出さなければ、の話だが。
ソウマが、病室のドアを速いタイミングで3回ノックする。
返事を待つこともせずに、彼はドアを開けた。
個室と聞いているので、他の患者に気遣う必要はなかった。
カイトは、眠っているようだった。
点滴の液だけが、規則正しく落ちている。
「まあ…」
ハルコは驚いた。
元々痩せてはいたけれども、やつれた―― という言葉がぴったりだ。
こんなにボロボロになっているとは思ってもみなかった。
「絶対…」
ソウマが小さくぼやいた。
「絶対、正月過ぎまで退院させんぞ」
※
病院からの帰り道。
せっかく出かけたし、ソウマも一緒なので、夕食の買い物をして帰ることになった。
メイを連れていったスーパーに寄ったが、やはり彼女の姿はない。
あの家からこんなに近くには、やはりいないようだ。
駅前に出る。
年末で、人が気ぜわしく歩いているので、ソウマが気遣うように横を歩いてくれる。
本当は、取り立てて必要なものなどないのだ。
ただ―― あんなカイトを見てしまうと、どうしても心が急いでしまう。
一刻も早くメイを探し出して解決策を見つけなければ、彼があのまま死んでしまうのではないだろうかと、心配になったのだ。
ソウマの手配で、カイトをお正月明けまで入院させる手続きに成功したので、その間に強制的だが体力は回復するだろう。
しかし、その後も同じことを繰り返すだけならば、入院も意味がなかった。
またかつぎ込まれるか、もしくはもっとひどい事態になりかねない。
カイトは、いつも自信たっぷりで、人の言うことなんか聞かずに、自分の道をドロ靴でドスドス歩いてきた人間だった。
苦笑をすることもあったし、困ったことだってあった。
『何だ、あいつは。失礼なヤツだな!』と、周囲の何人もの人間に言われた。
けれども、彼は自分のやりたいことを見失ったりせずに、獣道でも赤い絨毯の上でも、構わず目標に向かって歩いてきたのだ。
そんな彼が―― 恋をした。
恋をしているカイトは、まるで別人だった。
信じられない光景を、いくつもいくつも見てしまった。
本当に、彼女のことを好きでたまらなくて、その気持ちを変な角度でぶつけてしまったのだ。
数日前、カイトの家から帰ってきたソウマは、服を湿らせたまま話してくれた。
彼らの知らない、おそらく起きたであろう事件を。
きっと。
あの、メイが行方不明になった日のことが原因だろう。
どう考えても、引き金らしきものは、それくらいしか見つからない。
ああ、こんなことに…。
「ありがとうございました」
ハルコが。
こんなことになるなんてと、何度となく今までに思ったことを復唱しようとした時。
その声が、雑踏の中で聞こえてきた。
自動ドアのせいである。
どこかでそのドア開いた瞬間に、はっきりと聞こえたのだ。
えっ?
ハルコは、足を止めることが出来ないまま、首だけを声の方へ動かした。
「ハルコ!」
ソウマの声に、ハッと我に返った。
よそ見をしていた彼女は、反対方向からきた人とぶつかりそうになったのである。
慌てた動きが、自分の身体をかばった。
「あ、ごめんなさい…」
言いながらも、目はさっきの声を探した。
どの店も、自動ドアだ。
どれも閉じている。
いや、一つ開いた。
次のも。
ハルコは、ドアが開く度に目を動かした。
「ハルコ?」
怪訝そうなソウマの声。
「待って…いま…いま、どこかで聞こえたの」
人の多い歩道の真ん中で立ち止まるのは、いいことではない。
店の方に近づきながら、ハルコは一つ一つ中を覗く。
聞き間違いでなければ。
あの声は。
ハルコの足が―― センサーを踏む。
ぱっと。
目の前で、ガラスの岩戸が開いた。
「いらっしゃいませ!」
向こうを向いていた店員が、慌てたように振り返る。
ああ…。