12/28 Tue.
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「今日で今年も終わりですね」
運転席のシュウが言った。
カイトは、後部座席に座っている。
車を会社に置きっぱなしにしているせいだ。
いや、あったとしても運転する気力がわかなかった。
こうやって後部座席にいれば、いつの間にか会社につき、そして仕事に取りかかれる。
わざわざ渋滞でイライラしながら、自分が運転をする必要はないのだ。
しかし、それも今日で終わりだった。
鋼南会社は、今日で仕事納めなのだ。
けれども、シュウの言う今年で終わり、という発言の意味合いは、もっと違うものだった。
彼にとっては、年末年始休暇ほどつまらないものもないらしい。
会社も休みになるなら、ほとんどの経済市場も休暇に入ってしまうのである。
国によっては、クリスマスからそれが引っかかるので、やはり好ましいものではないと思っているようだ。
一年で、一番興味のない期間ということらしい。
カイトは、経済市場に元々興味はない。
明日が来るというのなら、会社にいるだけだ。
まだ、いろんな仕事が残っていた―― いや、仕事ではない。
彼は、あのゲームを完成させなければならなかった。
いまは、スタートからラストまでの一応の流れを作っただけだ。
いわゆるβ版というヤツである。
まだ、これから山のようなチェックと再考と組み替えと。
とにかく、いろいろな作業が残っていた。
ずっと、それだけのことを考えていたいのに、昨日邪魔が入った。
ソウマだ。
気がついたら、服のまま熱い風呂につかっていた。
頭の上から、ざばざばと熱帯の雨が降っていたのだ。
もうソウマはいなかった。
そのまま、湯船の中に彼は一度沈んだ。
頭まで。
音も視界も何もかも、実世界とは違う。魚たちが見ている景色が現れる。
しかし、そこは熱帯の水の中ではない。
水草もなければ、他の魚たちもいない。
ずさんな人間が管理している、ずさんな水槽がいいところだ。
生きているのは自分だけ。
上の方から、まだ雨が降っている音が聞こえる。
水の中から聞く雨。
空気が球体に見えるのも、水の中だからこそ。
沈んだまま、水面を見上げる。
波紋とさざ波が浮かんでは乱れ、割れては生まれていく。
水槽の中に、一匹だけ。
よく覚えていないが、ソウマにしゃべってしまったような気がした。
自分がメイに何をしたのか。
また一人、軽蔑される相手を増やしたに過ぎない。
だが、他の人間に軽蔑されることなんてどうでもよかった。
何も感じない。
これでもう、ソウマが構ってくることはないだろうし、メイの話を蒸し返してくることはないだろう。
ハルコもそうだ。
そういう意味では、よかったのかもしれない。
不思議と、呼吸が苦しい感じはなかった。
ざばっと湯船から顔を出す。
まだ、雨は降っていた。
「つきましたよ」
言われて車を降りたら、一瞬目眩がして―― カイトは頭を左右に振って、自分を取り戻した。
※
カイトが開発室に入った時、もうスタッフの連中のほとんどが出勤していた。
ざわざわと騒々しく、まるで納期前のような慌ただしさだ。
みんな、彼が入ってきたのを見るなり、ドタバタとあちこちに散っていく。
少し静かになった。
そんな、開発室の連中の不穏な様子に関知しなかった。
どうでもいいことだ。
いつもの席に座り、サーバー内のデータを呼び出す。
そして、キーボードを叩き始める。
コビトがいた。
カイトがそれに気づいたのは、MAPを増強しようと思っていた時だった。
MAPの画像データくらいなら、パーツを使ってカイトは作ることが出来る。
しかし、その画像データを入れているところに、見たこともないMAPデータがいくつも入っているのだ。
呼び出してみると、複雑な山並み。村落、市街地、海辺、渓谷、湿地帯。
実に、波乱にとんだMAPが用意されている。
キィ。
カイトは、椅子をきしませながら振り返った。
全員忙しそうに仕事をしている―― ように見えて、この中の誰かがコビト作業をしたのだ。
彼がこの席を離れていたり、一日いなかったりしたことが何回もあった。
そして、プログラムはサーバー内にあった。
この事実を検証すると、スタッフの誰かが彼のゲームを見て、そしてMAPをこしらえて突っ込んでいたのである。
要するに、これを使ってくれ、ということだ。
いや、こういうMAPでやってみたい、というところか。
油断も隙もない連中である。
日常生活には、全然鼻がきかないくせに、こういうところでは犬以上の嗅覚を見せるのだ。
それが、ゲームおたくとか、ゲーマーとか呼ばれる人種だった。
カイトは、用意されたMAPを見た。
1/3は興味のないMAPだったため、考えるヒマもなく削除した。
1/3は、明らかに彼の好みを分かってるヤツが作っているMAPだ。それは残す。
残りの1/3は、手を加えて使えそうなものを選別して、ダメなものは削除した。
おかげでMAPを作る手間が省け、ほとんどの面が完成したことになる。
商品化することさえないゲームに、ご苦労なことだ。
この熱心さを、いま取りかかっている市販用ゲームに向ければいいものを。
カイトは、出来上がったMAPに手を加えながら、大筋のプログラムとリンクしていった。
そうしているうちに、すぐに夕方になる。
本当にすぐに、だ。
仕事納めだからといって、特別なことは何もない。
社員を集めて訓辞をたれるようなことは、カイトが大嫌いだからである。
大掃除は、明日清掃会社が入ることになっていた。
しかし、開発室だけはその対象から外れている。社外秘ファイルの宝庫だからだ。
開発室の連中は―― 余りにその管理がズサンだった。
だから、この鋼南電気のゴミためこと開発室は施錠され、また一年ホコリを積み上げるのである。
本当はスタッフが、それぞれ分担を決めて大掃除をすることになっているのだが、一人もその気がおきないようだ。
その上、定時を過ぎたと言うのに、誰も帰ろうとはしない。
まだ忙しく、仕事を続けている。
何か納期の迫っているのがあったかと、カイトは考えたが、思い当たるものはなかった。
それ以上気にすることはしなかった。
また、彼は黙々とプログラムを組んだのだ。
9時。
その時間を、過ぎたところまでは覚えていた。
まだ半数以上のスタッフが残っていた。
あちこちに小集団を作ってミーティングをしているように見えては、ばっと散会して作業をしていた。
それがようやく静かになったのが、9時過ぎだ。
カイトは、ほとんどの作業を終えていた。
やっていないのは、ラストのチェック。
作成したゲーム自体を起動させる。
これまで自分がクリアしたデータで、そのラスボスとの戦いのチェックをしようと思ったのだ。
「…!」
カイトは驚いた。
画面上に、タイトルロゴが現れた。BGMも。
こんな画像、作ってもいない。
音楽ももちろんだ。
ということは―― またコビトがいたのである。
朝、見た時にこれはなかった。
ということは、今日のうちにスタッフの誰かがしでかしたのである。
いや、違う。
もう分かった。
誰か、ではない―― ほとんどの連中だ。
だからあんなに、外野がうるさかったのである。
カイトは後方の反応を無視して、セーブデータをロードした。
そのまま、準備していたコマンドでラスト面まで進める。
悲鳴のような合成音とともに、ゲームは始まった。
オペラだ。
肉声ではない。
けれども女の声に聞こえた。
駒を進め出すと、また分かったことがあった。
戦闘画面で、キャラクターにはっきりと顔が現れたのだ。
いままで、存在を示す駒の画像しかなかったというのに。
しかも。
傷もリアルに。
何パターンも書いたのだろうか。
このキャラクターの傷ナシ、傷アリ、腕あり、腕ナシ―― 様々なパターン画像を。
プレイヤーキャラクターは、両腕こそあったが、顔や身体に大きな傷がいくつも刻まれている。
殺す。
化け物が崩れ落ちる効果音も。
人間が負け、食われるビジュアルも。
まるで市販のゲームのような仕上がりだった。
いや、違う。
こんなゲームは、どこにも販売されていない。
いや、販売―― できない。
誰もがたしなめるゲームではなかった。
カイトは最終MAPを、猛然と突き進んだ。
たとえ味方が死のうが、化け物を食らおうが、すっかり自分のゲームの中に入り込んでしまった。
映像や音というものが、彼の右脳を突き刺していくのだ。
※
ラスボスが笑った。
殺した。
終わった。
カイトが、ふぅと息をついだ瞬間―― 扉が開いた。
凍り付いた。
誰かいるのだ。
女だった。
黒い髪の。
カイトは総毛立った。
全身の血が一気に巡り、心臓が激しく打ち始める。
手のひらにいやな汗をかく。
思い出そうとした。
自分がどういうプログラムを組んだのか。
このラストシーンで、一体どうなるのかを思い出そうとしたのである。
しかし、それよりも画面の進行が早かった。
『さようなら…』
黒い髪の女は。
泣きながら、カイトを殺した。
身体の中で、何かが止まったような音がした。
視界が―― 真っ暗になった。