12/26 Sun.
☆
やれやれ、まったく。
ソウマは、カイト宅に車を入れた。
ガレージには、車が一台しかなかった。
一瞬、カイトが出かけているのかとひやっとしたが、ついいましがた、自宅にいたシュウにケイタイで確認したので、車はないがおそらくいるのだろう。
ハルコに言われたこともあって、彼は一度様子を見に来たのだ。
ケイタイをかけた時に、ついでにシュウに聞いてみた。
『あいつの調子はどうだ?』と。
返事は。
『駄目ですね。あれなら、私が社長になった方が、よほど円滑に会社経営が行えます』
仕事バカな、野暮ったい部分をさっぴくとしても、それでもかなりひどい言われようである。
車から降りて、呼び鈴も鳴らさずに勝手に入り込む。車の音が聞こえてはいるのだろうが、シュウが部屋から出てくる様子はなかった。
そのまま二階へ向かう。
カイトの部屋だ。
とりあえず、ノックをする。
「おい、カイト。いるか?」
いるのは知っているが、一応の言葉だ。
風呂にでも入っていない限りは、ソウマが来たのだと、これで分かったに違いない。
「…帰れ」
一瞬。
誰の声か分からなかった。
いま、部屋の中から聞こえた、力無い声が誰のものなのか。
ソウマはその声に従わず、勢いよくそのドアを開けた。
ノートパソコンの前に座っている身体。
ソウマに背を向ける形になっている。
しかし、それは間違いなくカイトの後ろ姿だった。
うっ。
カイトの存在を確認した後、部屋がすごい有様であることに気づく。
あちこちに転がるビールの空き缶に、脱ぎ散らかした衣服。
開けっ放しのクローゼット。
いやな匂い。
顔を顰めながら、足元に注意しながら入っていく。
蹴っ飛ばしてしまった缶が、軽い音を立てた。
「おい、こっちを…」
向け。
しつこくパソコンに向かい続けているカイトの肩を掴むと、自分の方を振り返らせようとした。
しかし、その身体は意外に軽く。
抵抗もなかった。
「…!」
見てしまった。
何て…顔だ。
死神にとりつかれたような表情だった。
顔色は悪く、目の下にはご丁寧にクマまで作って、目も淀んでいる。
普通の状態ではない。
メイが出ていってから、一体どんな生活をしたら一週間でこうなってしまうのか。
「放せ…!」
それでも、ようやく彼に掴まれている肩を振り払おうとする。
またも、パソコンに向かおうとするのだ。
訳の分からないゲームらしき画面が見えた。
プログラムを組んでいるのだろう。
こんな時に!
ソウマは、もう一度肩を掴むと手加減なしに後ろへ引っ張った。
ガシャーン!!!
椅子ごと床にすっ転がす。
そのすっ転がった身体を、ソウマは胸ぐら掴んで引き起こした。
「コンピュータにしがみつくのはよせ! 今、やらなければならないのは、そんなことじゃないだろう!」
その鼻面向かって、珍しくソウマは大きな声を出した。
腹が立ったのだ。
何があったかは知らない。
しかし、いまカイトがこんな風になっているということは、望んで彼女を失ったワケではないのだ。
「そんなに好きなら…何で手放したんだ?」
こんなになってしまうほど、メイという女性が好きなのだ。
今までの付き合いの中で、ソウマの見たことのないカイトになってしまうほど。
ボロボロの極みまで突っ込んでいる。
ソウマの問いかけに、カイトのグレイの目に光がよぎる。
しかし、その表情は直後に苦悶に変わった。
「何が…分かる」
うなるような声。
「おめーに何が分かる!」
思いがけない強い力で手が払われる。
ソウマが一歩下がると、ゆらりとカイトは立ち上がった。
いまにも掴みかかってきそうなオーラを感じた。
「人に分かってもらわなくて結構と思っているなら、自分できっちりカタをつけてみろ。いまのお前は、断崖絶壁に向かって歩き続けている顔をしているぞ」
鏡でも見るんだな。
カイトがカッとなったのが分かった。
「馬鹿野郎め…」
ためいき一つついて、ソウマは向かってくるカイトのどてっ腹に拳をたたき込んだ。
足元フラフラだったカイトをのしても、イヤな気になるだけだった。
※
ザーッッッッ。
ソウマは、意識のないカイトを担いでいくと、服のままバスタブの中に突っ込んだ。
そして、シャワーのコックをひねった。
上の方にホールドされているヘッドから、冷たい雨が降り注いだ。
バスタブのへりに座ると、雨の余波が自分にも降りかかったが、そんなことはどうでもよかった。
カイトの顔が二度歪んで、うなりながら目を開ける。
「何で…手放したりしたんだ」
この頃には、彼もさっきまでの自分が大人げなかったことに気づいて、冷静に戻ろうと努力していた。
カイトも冷水で頭が冷えてきたのか、もう飛びかかってくるような様子はない。
うなだれて、雨を受けている。
「…つを…」
ぼそぼそっと、カイトが言った。
「あいつを…無理矢理押さえつけて…」
それが聞こえた時―― ソウマは、あいた、と思った。
ついに、カイトのガマンがキレてしまったのだ。
そして、メイにとってよくない形で爆発したにちがいない。
書き置きに、出ていく理由が書けないワケである。
「まったく…好きだと言わなかったのか?」
その言葉を出せば、うまくいきそうなものだ。
見立てでは、向こうの方もカイトを憎からず思っているハズなのだから。
たった数文字の、愛の言葉。
カイトは、力無く首を横に振った。
「…えるワケねぇ」
何が言えるワケないのか。
ソウマは、頭を抱えた。
その言葉さえ言えていれば、今ごろは大ハッピーエンドだったのかもしれないのだ。
それを、カイトは分からないのか。
ああ。
きっと分からなかったのだろう。
こんなに誰かを好きになったことは、なかっただろうから。
欲しい、とかいう気持ちが先走ってしまったのだ。
どうして、こいつはこんなに。
うーん。
ソウマは、どうしても学力の向上しない生徒を見る教師の気持ちだった。
これが学校なら、他の分野で頑張りなさい、と言えるのだが―― メイの代わりはいない。
だから、タチが悪いのだ。
たった一つのものを欲しがって、手に入れられなかったのである。
ここで、「他にもいい女はゴマンといるさ」なんて言葉を、とてもじゃないがかけられなかった。
シリをひっぱたいて、カイトに彼女を連れ戻させようと思っていた。
しかし、いまの彼は自己嫌悪のカタマリである。
彼女に乱暴をした記憶にうちのめされている。
メイが、ただビックリして逃げただけなら、まだ救いはある。
突然の出来事に、ただ驚いてショックを受けただけなら。
しばらく間を置いて落ちつけば、分かってもらえるかもしれなかった。
だが、いまのカイトには、その希望も見えていない。
自分で自分を縛り上げ、目隠しをし、泥の中に沈んでいるのだ。
「まずは、そこから這い出て来い…でないと、赤も黄色も分からないぞ」
ソウマはバスタブから立ち上がった。
そうして、ガスをつけるボタンを押した。
すぐにシャワーは温かい湯に変わる。
彼は、そのままバスルームを出た。
そこから抜け出さなければ、カイトに希望は見つからない。
このまま断崖絶壁向かって、歩き続けるだけだ。
それこそ、もう何のチャンスもなくなる。
メイが必要だった。
しかし、いまのソウマは彼女を探すよりも、先にやらなければならないことがあった。
この家に誰か必要だったのだ。
カイトに、人間として最低限の生活を送らせるためにも。
帰って、すぐにでも妻とその身体に、相談しなければならない。
その前に―― クローゼットの中にあったビールを、ケースごと窓から投げ捨てた。