12/25 Sat.
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目が覚めても、もう今日が何日なのか分からない。
ただ、久しぶりに自宅で迎える朝だった。
身体がいやにだるくて、なかなか起き上がれない。
ほこりっぽいベッドの匂い。
部屋も、ビールの缶のせいかイヤな匂いだ。
閉め切ったままのカーテンで薄暗く―― 冬でなければ、カビでもはえてしまいそうだった。
そういえば、昨夜。
会社でキーボードを入力していたカイトを、シュウが車に乗せて強制送還したのだ。
呪文のような言葉ばかりが書いてある、栄養固形食品を、机の上に山積みにしていった。
あのシュウがここまでするとは。
おそらく、いまの自分は相当に酷いのだろう。
ああ。
昨日。
シュウの車の窓から見た景色は、赤だの緑だの。
きっと昨日が、クリスマス・イブとかいう日だったのだろう。
『メリー・クリスマス!』
信号で止まった時。
車の窓を閉ざしているにも関わらず、そんな声が聞こえてきたのだ。
金色の紙でできた、とんがり帽子をかぶっているサラリーマンだった。
顔は真っ赤で、すっかり酔っぱらっている。
駅前は、そんな連中で溢れ返っていた。
ケーキを売る女の声も、遠くに聞こえる。
遅くまでご苦労なことだ。
カイトは、その景色を見ないようにした。
声も聞かないようにして、早く車が行き過ぎるのを待った。
でなければ、暴れ出してしまいそうな自分がいたのだ。
浮かれ騒いでいる連中に向かって、マシンガンを乱射したくなるのだ。
自分を憎んでいる気持ちと、その気持ちをイヤだと思う自分がいる。
誰だって、自分を憎みたくはない。
普通の人間であれば、自分というものは、自分の中では頂点であるはずだ。
少なくとも、みな、自分のために生きている。
そんな至高の存在を、カイトは一番最下層まで叩きつけて踏みしだいて。
本当はイヤだった。
しかし、イヤだと主張をしようとした途端、閻魔大王がやってくる。
『自分のしたことを思い出せ』
自分の―― カイトのしたこと。
メイを。
彼女を。
そんな男が、許されていいはずがない。
どんなにイヤであろうとも、カイトはそうして、自分を憎み続けるしかないのだ。
そして。
彼女を失った。
それが、一番イヤなことだった。
出て行かれて当たり前だというのに、それが一番イヤなことだったのだ。
もう、彼女を見られないことも、空気を共有できないことも、笑顔を向けてもらえないことも、すべてイヤだった。
それでは、まるで―― メイが死んでしまったのと同じではないか。
カイトの世界で死んでしまったのだ。
誰が殺したコマドリを。
私が殺した。
私の弓で。
私が殺したコマドリを。
もうカイトの世界にはいない。
※
ビクンッッ!
カイトは、強い落下感で飛び起きた。
イヤな汗をいっぱいかいている。
怖い夢を見たような気がした。
もう覚えていない。
これ以上、寝ているのがイヤになって、ベッドから身体をひきはがす。
本当は、会社に行きたかったのだが、行く気力がわかない。
シュウが出かけていなければ、車があるはずだ。
なくてもバイクがあるはずだ。
けれども、階段を降りてそこまでたどりつき、エンジンをかけて寒く忌々しい街を通り抜け、会社にたどりつく―― とてもじゃないが、いまのカイトは出来そうになかった。
彼は、そのままノートパソコンの前に座った。
会社で作りかけのデータは、サーバーに入れているのだ。
ここからでも扱えないことはない。
今までだって、別に休日出勤する必要性は何もなかったのだ。
ただ、この空間にいたくなかったのである。
開発室の、パソコンに向かう以外にないという、脅迫的な空間にいた方が、よほど気が楽だったのだ。
この部屋には、ゴーストがいるのだから。
シュウの置いて行った栄養食品は、そのノートパソコンの机の上に乗っている。
それを、全部ざらっと机から落とした。
邪魔だったのだ。
スイッチを入れる。
立ち上がったら、そのまま回線で会社とリンクした。
データをロードして作業を始める。
MAPを作りかけていたのだ。
このゲームは。
カイトは、新しいゲームを作り始めたはいいが、まだ考えていないことがあった。
このゲームは、すべてクリアしたらどうなるのか。
要するに、人間側が最後の化け物を倒し勝利した後どうなるのか、ということである。
人間には人格がついているので、生き残った連中だけで一人ずつミニ・エピソードのエンディングをつけたりするのが、このテのシミュレーションゲームの定番だろう。
幸せになりましたとさ、めでたしめでたし。
しかし、カイトはそういう気にはなれなかった。
こんな気持ちで、どんな幸せを彼に作れというのか。
ラストは――
カイトは頭を振った。
ただゲームのエンディングを考えようとしただけで、意識がずぶずぶと深海に沈んでいこうとするのだ。
彼は、画面上に女を一人作った。
戦いに参加しない女である。
ビジュアルは描けないので、プログラム上の存在として生み出したのだ。
最終MAPでボスを倒した後に、初めて画面上に姿を現す。
しかし。
プレイヤー側のこれまでの行動によって、その女とのエンディングが変わるのだ。
誰も殺さず、誰も化け物にせずにそこまでたどりつけば、彼女はプレイヤーの元に返ってきて、人間界は平穏に戻る。
しかし、誰か一人でも死んでいれば、彼女がプレイヤーを殺す。
誰か一人でも化け物にしていれば、プレイヤーが彼女を殺す。
両方やっていれば、どちらかのバッドエンドが発生する。
ただ一つの。
過ちさえも許さないゲーム。
一度でも、力を得ることに心を奪われたり、「まあいいや、こいつが死んでも他がいれば」と思ったりした瞬間に、二度と彼女を取り戻すことは出来ない。
過ちナシで、そのエンディングにたどりつける可能性は、多分、万に一つ。
腕がもげても、戦闘で使えないものが出ても、決して誰一人として心も命も失わずに。
そんなこと、不可能だ。
きっと、彼女は取り戻せない。
カイトは―― 女に名前をつけられなかった。