11/30 Tue.-6
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うー…イライラする。
カイトは、社内会議の最中にうなった。
後半の言葉は出てこなかったが、うなりだけは漏れたようで、ぱっと他のメンバーの視線が飛んでくる。
はっとそれに気づいて、乱暴にせき込んむと、企画書に目を落とした。
しかし、一向に文字が目に入ってこない。
こんなことは初めてだった。
カイトだって、仕事はキライじゃない。
それどころか、自分の読みが当たった時など、まるで万馬券を出したような、いい気持ちになる。
彼にとって仕事は、ギャンブルだったのだ。
労働――という自覚が出るのは、ネクタイを締めさせられる仕事だ。
その時だけは、本当に足や気分が重くなるのだが。
隣に座っているシュウが、彼を横目で見ているような気がしてしょうがなかった。
絶対、そっちを見ないようにする。
彼に、自分の心の辺や対角線の長さを測られてはたまらないからだ。
カイトは、ネクタイをまだぶらさげたままだった。
社内においては、社長のネクタイ嫌いは有名である。
締めているところを見た人間など、数えるほどかもしれない。
大体、対外的な業務以外であれば、すぐに開発室にこもるような社長なのだ。
あの電磁波の中が、一番落ちつく場所だった。
たとえ電磁波とやらで早死にしようが、絶対にそれだけはやめられないだろう。
新入社員の開発スタッフが、シャツにジーンズで開発室にフラリと入ってきたカイトを、部外者だと思って注意したことがある。
この会社の笑いぐさとなっている事件だった。
シュウとのコンビが絶妙のおかげか、会社の業績も開発環境も、今のところ文句ナシだ。
おまけに。
カイトは、あの、現スタッフのほとんどを狂わせたゲームを開発した男である。
あのゲームを作った男の会社に入りたい――そういう連中がほとんどだった。
すげぇ。
カイトへの評価は、品のない表現でいくと、それだ。
しかし、女子社員の評価は、また別である。
怒られるのがキライな彼女らにしてみれば、社長の仏頂面と、シュウのロボットぶりは、評判がよくなかった。
彼らは二人で会社を起こし、社長と副社長の名前を欲しいままにし、おまけに――ここが、彼女らの一番のポイントらしい――二人は、一緒に住んでいるのである。
トドメは、どちらも独身な上に、彼女がいる風には、とてもじゃないが見えないこと。
結果。
よからぬ噂が立つ。
ゲイ。
世にも恐ろしい噂だった。
これが女子更衣室やトイレや、アフター5の居酒屋などで、ゴシップたらたらに語られているのである。
本人たちの耳に入ったら、とんでもないことだ。
そんなことも知らないカイトは、企画会議に身が入らないままだった。
クソッ。
理由は分かっていた。
あんな電話を自分が入れるハメになろうとは、思ってもみなかったからである。
あんな電話――
ハルコに入れた電話のせいだ。
彼女にちゃんと説明をしておかないと、それこそ冗談ヌキで警察沙汰にされてしまいかねなかった。
たとえ思慮深い彼女であっても、誰もいないハズの家に、見知らぬ女が1人でいたら、不審に思って当たり前である。
気色の悪い笑いをしやがって。
その悪態の相手は、ハルコである。
何が、『そうだったんですね』だ。
ムカムカ。
思い出すだけで、頭に血が昇っていく。
何がそうだったのか、勝手に納得するな、というところだった。
カイトの指示を、全て黙ってうなずけばいいのである。
無駄な笑顔も反応もいらないのだ。
「ハルコか?」
カイトの電話での第一声はそれだった。
社長室に一人きり。
秘書も近づけさせずに、受話器を取る。
絶対にあの車の中で、電話をかけたくなかったのだ。
シュウの耳に記憶されるなんて、まっぴらゴメンである。
『はい』
穏やかな、聞き慣れた声だ。
一時期は、本当に毎日、この声を聞いていた。
直接でもケイタイでも。
どこへ行くのも一緒だったのだ。
『あの…』
何か言いたげな声。
時計を見る。
来ていてもおかしくない時間だった。
もしかしたら、もうメイの前にいるのかもしれない。
「オレの部屋に…あー…女がいるけど…気にすんな」
奥歯に苦虫をはさみながら、カイトはうなり声を交えて、ようやくそれを絞り出した。
反応に一瞬間があったのすら腹が立つ。
すぐに、『はい』と言えばいいのだ。さっきのように。
なのに答えは、『そうなんですの』ときたものだ。
「いーから、気にすんな! 分かったな!」
言うと、『分かりました』とは答えるものの、『そうでしたの』とか、また余計なコメントをつける。
ムッ。
電話を持つ手に力がこもってしまった。
「そのまま放っておけ…ああ、そうじゃねー…クソ…うー…何か、そいつの着るもん買ってこい…金は、おめーに渡してるカードがあんだろ」
何でこんなに言い慣れていないことを、自分が言わなければならないのか。
しかし、いつまでもあのシャツ姿でいられるワケにもいかないのだ。
彼の部屋には、メイに似合うものは何一つないのだから。
ハルコには、カイト名義のカードを持たせてある。
勿論、小回りの利く現金も渡してあるのだが、そんなに大金ではなかった。
受話器の向こうが笑った声になる。
ハルコは声をあげて笑うよりも、目で笑う。声の端で笑う。
それが分かった。
そして――言った。
『でも…そうだったんですね』
何度目かの言葉。
ブチッ。
余計なものを挟みたがる彼女の言葉に、ついにカイトはキレた。
「おめーは、オレの言う通りにすりゃあいいんだよ! とっととやれっ!」
その怒鳴りは。
社長室の外の秘書にまで届いていた。
秘書の女性が、びくっと席で飛び跳ねたのを、カイトは知らない。
もう、ハルコは同じ言葉を繰り返さなかった。
彼の怒鳴りがこたえてもいない様子で、従順なフリをして話を進める。
しかし、全然従順でないような気がしてしょうがなかった。
クソ、クソッ。
電話を叩き切りながら、カイトはムカムカしていた。
朝から、シュウといいハルコといい、どうしてこんな無様な姿を見せなければならないかと思うと、ハラが立ってしょうがない。
怒った余り、企画会議についてシュウが来たのすら分からなかった。
「この書類ですが…」
もしかしたら、隣の副社長室まで、怒鳴りが聞こえていたかもしれない。
しかし、まったくもってそんなこともおくびにも出さず、シュウは書類を差し出しながら話し始める。
その鉄面皮ごと、書類を引き裂いてやりたかった。