12/21 Tue.
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社長、と呼びかけられて目が覚めた。
カイトは、だるい身体をむくりと起こした。就業時間がやってきたらしい。
開発室には、端の方に長椅子がある。
仕事で根を詰めた連中のための、仮眠所のようなところだ。
カイトは、そこで夜を越した。
暖房を最強で一晩中かけっぱなしにしていたせいか、喉がカラカラに乾いている。
いやな汗もかいていて、全身がゴマあえにでもなった気分だ。
長袖Tシャツにジーンズという出で立ちだった。
もう背広なんか、着てもいない。
いや、着ていないワケではなく── もう着たくないのだ。
ネクタイだって見たくもない。
元々好きで着ていた服ではないのだ。
開発室の日は、いつもこんなラフな格好だった。
その生活に戻っただけである。
ふらふらとコンピュータの前に座る。
夜明け前まで、そうして座っていた。
ずっとキーボードを叩いていた。
会社の企画にも何にもないヤツを、彼は一から作り始めていたのだ。
思い出すには余りにつらいことが、頭の中をよぎらないように、カイトはもっと恐ろしいものを作ろうと思ったのだ。
ダークネスのような、ちんたらしたアドベンチャーには興味がない。
彼が作るのはシミュレーションだ。
戦場MAPで人と化け物がせめぎあう。
一見、チェスの駒のように見えるが、その内容は数字と殺戮のゲーム。
プレイヤーは人間側だ。
要するに、侵略してきた化け物を、倒して進んでいかなければならないのだ。
人間側の駒は、傷を負った分、決して回復しない。
一応、基準値は回復するが、傷を負う度に回復する量が減っていく。
経験値が増えても、力こそ強大にはなるがHPは落ちていく一方だ。
腕が落ちたら、落ちたまま戦い続けるゲーム。
傷なしで勝ったとしても返り血を浴び、化け物に負けたら、食われて養分を吸い取られる。
吸い取った化け物は、その人間の力を得て、更に強大になって襲いかかってくる。
弟を食った化け物と戦えば、弟が現れる。
彼女を食った化け物と戦えば、彼女を殺さなければ先に進むことは出来ない。
人間側も、化け物を食うことは出来るが、食えばただの殺人鬼と化す。
べらぼうに強くはなるが、誰もそのキャラクターを扱うことは出来ない。
ただ自由にMAP上を駆けめぐり、何の策略もなく敵を殺していくだけだ。
もとより。
人間には、余りに分の悪い戦いだった。
これで勝てと言う方が難しいくらい。
それこそ、キャラクターたちに化け物を食わせて、全員殺人鬼にでも仕立て上げ続ければ別だ。
ただし、それではプレイヤーはつまらない。
シミュレーションゲームの醍醐味である、自分が操作する駒がなくなるのだから。
殺人鬼たちは、勝手に戦場を荒らすイレギュラーに成り下がるだけだ。
そんなプログラムを、日曜日から今日までの3日間で、ある程度形にしていた。
しかし、カイトは無表情だ。
ただ事務的にキーボードから命令を入力していく。
何度もコンパイルをかけ、リンクして、テストプレイをし、またプログラムを直す。
何の仕様書もないそれを、誰も関わらせることなく一人で黙々と作り続けていた。
カイトは絵には無関心だ。
右脳は発達しているが、絵の才能はないのである。
だから、いろんなゲームから画像を引っ張ってきて、戦場や駒の辺りは簡単にこしらえた。
メインのキャラクターの画像なんかはない。
しかし、彼の右脳では鮮やかなムービーとしてよみがえるのである。
ドロドロに溶かされていく戦士。
化け物として甦ったキャラクターと、それを斬り殺す騎馬兵。
とてもじゃないが、完成したからと言って、どこで発売できるものでもなかった。
エンターテイメントでもなければ、愛でも勇気でも希望でもない。
生きていたければ、腕を失っても返り血を浴びても、殺していかなければならないのだ。
カイトは知っている。
キャラクターに人格があればあるほど、その死は強烈になり、プレイヤーを惑わせ悲しませる。
殺す時にためらわせる。
彼は、その死を壮絶にするために、人間側のキャラクターたちに人格を植え付けていった。
計算好きの副参謀。
力はあるが、扱いを知らないためにいろんなものを壊して回る歩兵。
占いが好きだが、戦の度に自分が死ぬという占いを引き当てる弓兵。
同じ部隊の彼女に結婚を申し込もうとして、空振りばかりする騎馬兵。
そんな風に、どんどん命を吹き込む。
吹き込まれた命は、化け物に食われたり、化け物を食った瞬間に、人間としての尊厳を踏みにじられる。
悲鳴や傷は生々しくなり、死は絶望という音になる。
ゲームにはBGMはない。
しかし、彼の右脳では重いドラムの音がずっと響いていた。
下腹を震わせるほどの重低音が、頭の中で反響し続ける。
何度も、同じキャラクターを化け物に食わせるテストをした。
何度も何度も何度も。
そんなことをしていれば、すぐに夜になる。
彼が顔を上げる時には、もう開発部員の半分以上は帰宅していた。
大体、好きで顔を上げたのではない。
シュウがやってきて呼びかけたからだ。
「明後日は祭日ですが、ダークネスとのもう一つの契約の方の打ち合わせに行きますので、ネクタイで出社をお願いします。それまでに、こちらの書類に目を通してください」
カイトの様子など、興味もないのだろう。
シュウは、淡々と事務的なことを続けた。
変に構われなくて、カイトの方はありがたいくらいだ。
これがソウマなどなら、お節介に踏み込んでくるに違いないのだから。
しかし、そのシュウが、メガネ越しに彼の顔をじっと見た。
水槽の中の生き物を、観察するかのような目だ。
「栄養と衛生状態が悪いようですね。生活に必要不可欠な栄養素が不足しているので、それを補うのと、入浴などをお勧めします」
まるでロボットだ。
シュウの言葉には、全然現実味がない。
水槽の中を見ながら、魚を詳しい学術名で呼ぶようなものだ。
もしくは、細菌の名前をベラベラ並べるのと似ている。
聞いている方の耳には、ちっとも入ってこない。
既に、カイトは彼が何を言いに来たのか忘れてしまった。
明日だか明後日だかの予定か何かだった気がするが―― そんな予定なんか聞いてもしょうがないのだ。
どうせ、朝が来て夜が来るだけなのだから。
それよりも。
このゲームを完成させることの方が先だった。
システムを作るのに手間をかけているので、MAPはまだ一つだけなのだ。
あといくつかシュウが何か言っていたようだが、もうカイトはコンピュータの方に向き直った。
未来のことなんか、聞きたくもなかった。