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12/20 Mon.-2

 部屋は、あっさりと見つかった。


 駅の裏手の方で、場所的には便のよいところだが、築15年の木造だったので安かった。


 不動産屋には、怪訝な目で見られた。

 職ナシな上に、今日から入ってもいいかと言ったのだ。


 保証人をと言われたので、しょうがなくシュウからもらった名刺を出した。


 電話で確認を取られている間、ドキドキして待っていたが、彼は承諾をしてくれたのだろう。


 あっさりと借りられることになった。

 名刺についていた会社名と、副社長という肩書きが効いたのかもしれない。


 部屋に案内してもらって、わずかばかりの手荷物を降ろす。


 ガランとした六畳一間。

 台所まで何の仕切もない。


 聞こえよく言うなら、1ルームとでも表現できるか。


 電車が、近くを走っていく音がする。

 踏切のカンカンという音も。


 いままで、彼女が郊外に住んでいたことが分かった。

 街中は、こんなにまで音が溢れているのだ。


 まだ昼過ぎ。


 やらなければならないことがたくさんあった。


 このままでは、夜に寒い思いをしなければならないのだ。

 エアコンなんか、当然ついていないのだから。


 まず布団と、せめてヒーターかストーブを。テーブルも。


 来る途中に、リサイクルショップがあった。


 そこに見に行けば、きっと新品ではないけれども、安いものが手に入るんではないかと思った。


 これから、一人暮らしの生活が始まる。


 仕事も探さなければならない。


 預かったお金を、食いつぶしていくワケにはいかないのだから。


 買ったばかりの財布に、福沢諭吉を数枚入れる。リサイクルショップは近くなので、足りなければまた取りにこようと思って家を出た。


 歩く。


 頭が―― 考えることを、どうにも拒否しているように思えた。


 これから住むあの部屋を見た時、何かがわき上がりそうになったのに、パタンとフタが閉められた。


 こうして一人で、歩いて買い物に出かけているこの瞬間もそうだ。


 行動や事実に対する感情が、溢れて来そうなのに止まってしまった。


 電車が行き過ぎる。


 リサイクルショップについた。


 最初に、ちっちゃくてちょっとサビのきているストーブが目に飛び込んだ。


 一人用なら丁度いいだろう。


 パイプベッド。


 布団を直に敷こうと思っていたメイは、その前で足を止める。


 いや、値段の前で足を止めたというか。


 2千円とついている。


 何でこんなに安いのか、得体が知れないくらいだ。


 思わず座り込んで、あちこち見聞する。

 しかし、別におかしいところはなかった。


 確かに何のオプションもついていない、本当に安っぽいパイプベッドである。


 悩んで悩んで悩んだ挙げ句に、買うことにした。


 そんなこんなで、あといくつか必要なものを買ったのだが、今度は持ち帰るのが大変である。


 彼女は車を持っていないし、配達なら翌日以降になると言われたのだ。


 結局―― 何度も往復した。


 そんなに遠いところでなくてよかった。


 さすがにベッドだけはダメだったので、それだけ配達してもらうことにする。


 バラせば持っていけると言われたので、そうしようかと思ったのだけれども、組み立てる工具がないことに気づいたのだ。


 布団も忘れずに買いに出た。


 灯油を忘れそうになっていたのに気づいて、慌てて買ってきた時には―― もう辺りは真っ暗になっていた。


 へとへとである。


 メイは、バタンと畳に仰向けにころがった。


 とりあえずタオルを一つつぶして、それで一通り拭き掃除はしていた。


 しかし、新しい畳じゃないのは分かる。


 ところどころケバ立っていて、チクチクする。


 ホウキを買って来るのを忘れてしまったと、ぼんやりとした疲れた頭で考えた。


 どこからか、サッカーの試合らしきテレビの音が聞こえてくる。子供が走り回る音。


 ごはん。


 おなかもすいた―― だから、そんなことを思ったのか。


 ごはん…ちゃんと食べてるかな。


 けれど。


 頭によぎったのは、自分の胃袋のことではなく、彼の胃袋だった。


 同時に、その『彼』とやらまで思い出してしまった。


 今日、家を出て以来、ずっとフタをしていた人のことを。


 カイト。


 出てきたばかりなのに、彼の名前を思い出した途端、また会いたくてしょうがなくなる。


 最後の辺りの彼ではない。


 仏頂面でも、メイを拒まない頃のカイトだ。


 ご飯を食べて、『うめぇ』と言ってくれて、黙ってお茶にもつきあってくれるカイトだ。


 あの事件の後の彼は、余りに辛そうで見ていられなかった。


 彼女がいたから。


 だから、あんなに辛そうだったのだ。


 何か。


 彼が一番イヤだと思っている地雷を、メイが踏んでしまった。


 それは分かった。


 あの日から、何もかも変わってしまったのだ。


 気づいたら、いま自分はこんなところに一人。


 もう借金はないけれども、心の中にずっしりとカイトだけが残っている。


 あの3週間の日々が、心の中を占めているのだ。


 好きだった。


 いや、それはいまでも同じだ。


 カイトを紙袋に入れて持ってこられないというのなら、彼女はこの気持ちこそ、あの家に置いてこなければならなかった。


 そうでなければ、きっと毎日毎日思い出してしまう。


 彼とあの家でのことを。


 一時はフタをすることが出来ても、こんな風に一人になってすることがなくなると―― 押し寄せるように、メイを飲み込むのだ。


 でも、連れて来てしまった。


 きっとこの気持ちは、抱き続けて汚れてボロボロになったクマのぬいぐるみのようになっても、彼女は手放せないのだ。


 あんな人とは。


 もう一生巡り会えない。


 それが分かっていたのだ。


 あんな人は、もうどこを探しても、他にはいない。


 ほかは、全部違う人なのだ。


 シュウが言ったが、きっとこれで彼は元通りの生活に戻るのだ。メイが入ってくる前の生活に。


 しかし、彼女の方はカイトと完全な決別というワケではなかった。ささやかながら、情報を手に入れることが出来る。


 彼の職場や、仕事の内容は知っているのだ。


 メイはゲームには詳しくなかったけれども、どこかで『鋼南電気』の名前を聞けば、ああ、彼は頑張っているのだと分かるだろう。


 働いて余裕が出たら、ゲーム機を買おう。


 そして、どれがカイトの携わったゲームか分からないけれども、『鋼南電気』のゲームを買おう。


 そうしたら、どこかに彼の匂いを探すことが出来るかもしれない。


 『Victor』という、音楽関係の会社のロゴを思い出す。


 あの有名な、犬が蓄音機の前で首を傾げている図柄だ。


 メイは、その絵の下に書いてある文章を読んだことがあった。


『His Master's Voice』


 あの犬の主人の声が、蓄音機から聞こえているのだ。


 主人は目の前にいないのに、声だけは聞こえる。


 犬は首を傾げて、でもじっと耳を澄ましている。


 ゲームでも。


 じっと耳を澄ませば。


 目をこらせば、そこにカイトがいるような気がした。


 本物には会えなくても、彼の声だけは聞くことが出来るかもしれない。


 だから、早く仕事を探して働き始めなければならない。


 メイはゆっくりと起きあがった。


 職を探す前に、まず彼女は、お弁当屋を探しにいかなければならなかったのだ。



 ぽかぽか堂でも、ほくほく亭でも―― どっちでもよかった。

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