12/20 Mon.-1
◎
ドレスは買いに行ったのかしらー。
ハルコは、るんるーんと浮かれながらカイト宅に車を入れた。
既にあの2人は出社しているようで、車が2台ともない。
それを意識の端で確認した後、ガレージにいれて車を降りる。
あら?
そんな彼女は、足を止めた。
バイクが、あったのだ。
いや、バイクがあるのは当たり前だ。
2人出かけていて、車が2台ない。
だからバイクが余っている、のは分かるのだが。
「まさか…事故にでもあったんじゃ」
そのバイクは、どう見てもすっ転びました、という跡を生々しく残していたのである。
割れたカウルや、傷だらけの車体。
走るために必要な部分が壊れているようには見えなかったので、ただの転倒だろうか。
バイクのことにはそんなに詳しくないので、そのくらいしか判断できないけれども、ハルコは何となくイヤな予感を覚えた。
足早に玄関に向かう。
ガチッ。
あっ。
ハルコは信じられなかった。
カギがかかっていたのだ。
メイが来てからというもの、この家にカギがかかったことはなかった。
少なくとも、ハルコがやってきた時に、こんな風にカギはかかっていなかったのだ。
慌てて、合い鍵を使って開ける。
シン、と静まり返っていた。
前に見た時と変わらない玄関だが、何の音の名残もなかった。
しかし、まだメイがうっかりカギをかけてしまったのだ。
もしくは、ちょっとそこまで買い物にでも出ているのだ、と思わずにはいられなかった。
あの傷だらけのバイクが頭をよぎる。
それを振り払った。
ダイニングに入る。
使った形跡はなかった。
調理場に。
今日―― 使った形跡はなかった。
乾いたままのシンク。
ぱっと身を翻して、ハルコは階段を上った。
いま、自分が妊婦であるという自覚は、スコンと抜け落ちてしまっている。
早く、このイヤな考えから抜け出したかったのだ。
どういうことなのか、ちっとも分からない。
ただ、イヤな気配だけが足首にまとわりついている。
メイの住んでいる客間をノックする。
返事がないので開けてみた。
何も変わらない部屋。
いるかいないか、区別がつかない。
元々、彼女はたくさんの持ち物を持っていないのだ。
持っているのは、ささやかな日用品と服。
服。
ハルコは、クローゼットを開けた。
ガクゼンとした。
ほとんどの服がなかったのである。
残った服は、ホコリをかぶらないようにか、たたんでビニールの中に入れて置いてある。
確信だった。
何か起きたのだ。
彼女が来ていない間に、この家で何か起きたのである。
ハルコは、彼女の部屋を出てから、カイトの部屋に行った。
彼がいないのは分かっていたので、ノックもなしに開けた。
バタン!
我知らず強い力になっていたようだ。ドアはそんな大きな声をあげた。
「…!」
ハルコは、びっくりした。
たくさんのビールの缶が散乱していたのである。
床や机やソファや―― あちこちに転がる缶。
押し入れが開いていて、見ればそこにビールケースが入っている。
一つは全部空で、二つ目のケースも残り少なくなっていた。
ハルコは、慌ててケイタイを取った。
何が起きたのか、事情を聞かなければならないと思ったのだ。
カイトの電話番号を呼び出してかけるが、しかし、何度コールしても電話が取られることはなかった。
しょうがなく番号を変える。
鋼南に電話をかけて、秘書室に回してもらうのだ。
『はい、秘書室でございます』
懐かしい声が出た。まだ、そこで頑張っているようである。
「お久しぶりね、リエさん」
『あら、ハルコさん?』
彼女の秘書の後がまである。
普通の神経ではあの社長にはついていけないので、とにかくしっかりした責任感の強そうな彼女を推薦したのだ。
「ところで…社長のケイタイがつながらないんだけど」
何かあったの?
『故障されたそうで…今日の夕方にでも、新しいのが来る予定になっています』
なるほど。
ということは、ハルコがイヤで電話を取らなかったワケではないのだ。
「それじゃあ、社長につないでくださる?」
事情が聞ける。
ハルコはそう思って、次のステップに移った。
夕方のケイタイが来るまで、待てそうになかったのだ。
『あの…別の日になさいません?』
奥歯に何か引っかかったような物の言い方だ。
それには、ハルコの方がひっかかった。
『誰からの電話も取り次ぐな、と言われているのですけど…様子も…』
おかしいんですよ。
リエは秘書だ。
一番社長の側にいる人間である―― 会社では。
「それじゃあ、副社長につないでくださらない?」
どうしてしまったのだろう。
不安な心を拭えないまま、シュウへと電話を切り替えてもらった。
※
『出て行かれました』
一言。
そんな事実だけで済ませてしまう男に、電話を回してもらったのである。
確かに、その言葉に衝撃は受けた。
しかし、心のどこかに可能性を感じてはいた。
きちんと整頓された室内も、その匂いを色濃く残していたし。
「週末に何があったの?」
一番聞きたいのは、そこなのだ。何故、彼女が出ていってしまったのか。
『分かりません』
なのに、なのに―― このメガネときたら。
こういうことでは、まったく役立たずなのだ。
「推測か何かないの? あなたが見た、2人の雰囲気とか?」
しかし、いま頼れるのは彼しかいないのだ。
あの家のもう一人の住人。
『推測…ですか? 推測よりも、実際に起きたことを時系列でお話しした方がよろしいですね。時間も余りありませんので、手短にお話します』
シュウの話した、実際に起きたことというのは。
5日前。
シュウが帰ってきたら、玄関のドアは開けっ放しで、玄関先にカイトのケイタイが、床に転がって壊れていた。
それからずっと、カイトはほぼ毎日のように遅くまで残業しているようだった。
そして昨日の朝方、二階のカイトから電話がかかってきた。
ケイタイが壊れているので、家の電話を使ったらしい。
そこで、メイが出ていく旨を伝えられた。
彼女が出ていくまで家に残るように言われて、お金を渡すことと、足りない場合はシュウに連絡できるように連絡先を渡すことを指示された。
カイトは、300万を渡して会社に出かけた。
シュウは、読書をしながらメイの起きてくるのを待った。
外で物音がしたので出て行ったら、彼女がいたので、支度が済んだら部屋に来るように言った。
部屋に来たので、指示されたことをすべてクリアして、彼の仕事は終わった。
彼女も出ていった。
以上。
以上って…。
ハルコは、ケイタイの受話口を一瞬見てしまった。
そこに、シュウが住んでいるワケではないのだが。
「分かったわ、忙しいところありがとう」
本当に、これ以上シュウと話す必要がないことが分かる。
彼は、実際に目撃したこと以外は知らないのだ。
ケイタイを切る。
メイが出て行った。
それだけは間違いがない。
一体何故。
ため息が出る。
しかし、少し落ち着かなければ、自分でも上手な推測ができそうになかった。
こんな缶だらけの部屋で落ち着けるハズがない。
ハルコは頭を抱えながら、階段を降りた。
こんなことになるなんて――