12/16 Thu.
□
朝が来る。
カイトは―― 家には帰らなかった。
彼は、会社の開発室で朝を迎えたのだ。
帰れるハズもない。
どのツラ下げて帰れというのか、あの家に。彼女の側に。
ギィ。
椅子の背がきしむ。
パソコンの画面は、もう長いことスクリーンセーバーになっている。
戦車がバンバン砲撃をするような、穏やかではないセイバーだ。
開発室の電気もつけずにいたために、彼の顔にその砲撃が反射する。
赤の砲撃。緑の砲撃。黄色の砲撃が交互にカイトの頬で弾けた。
帰れねぇ。
昨日のままの背広姿だ。
よれよれのグチャグチャのまま、カイトはうわごとのようにそう思った。
怖くてしょうがない。
こんなに怖い思いをしたのは、本当にこれが初めてだ。
帰ったら。
彼女に出会ってしまったら、見てしまうのだ。
あの茶色の目の色が、変わってしまったことを。
もしくは―― 別れを言われてしまう。
彼女の口から、直接『さようなら』なんて言葉を聞かされたら。
それが怖いのだ。
震えるくらい、怖い。
何もかも、自分ではないような気がする。
彼女に出会ってから、ずっとそうだった。
最後までそうなのか。
最後。
ゾッとしたものが背筋に走る。
不治のウィルスの詰まった袋を割ってしまった気分だ。
目には見えないが、確かにいま、自分の肺に入った。
そんな確信があった。
もう、どんなに水で洗い流そうとも、薬を飲もうとも―― 手遅れ。
この悪寒は、症状の始まり。
どんなに暴れようがわめこうが、これから彼を蝕むのだ。
ねぇ!
ガシャン!
放り投げる。
ねぇ! ねぇ! どこにあんだよ!
ガシャン、ガシャン!!!
転がり出る自社他社のソフトを投げ捨てながら、カイトはラックの中を探し回る。
いまにも、ウィルスの次の症状が現れそうだった。
それから逃れたかったのだ。
『ダークネス』のゲームを掴んだ時、カイトはむしり出すようにしてゲーム機の中に突っ込んだ。
スイッチを入れる。
やったことはなかった。
彼は、普通かったるいアドベンチャーゲームなどやらないのだ。
化け物の館に迷い込む、カップルのストーリーだった。
化け物に追いつめられる主人公。
BAD END
化け物になってしまう主人公。
BAD END
恋人を誤って殺してしまう主人公。
BAD END
BAD END
BAD END
BAD END
どれにも―― 恐怖はなかった。
※
一度も、社長室には行かなかった。
秘書から何度か電話があったようだが、彼は片っ端から切った。
朝食も昼食も食べずに、パソコンの前でキーを叩くのだが、3文字打ったら止まってしまう。
歯車の中に、杭が挟まっているようだ。
指を止めるたびに、昨日のことが甦った。
ぞっとする悪寒とめまいが、何分かおきに彼を襲う。
症状に緩和は見られない。
大体、食事もせずに徹夜状態で、なおかつ心理的苦痛を休みなく繰り返されたら、目眩がしても当たり前だった。
だが、そんな自分の気持ちを、彼は蹴り飛ばした。
この程度の悪寒や目眩なんか、昨日のメイの気持ちとは比較にもならないのだ、と。
彼は、ボロボロにならなければいけないのだ。
そうしなければ、許されないような気がした。
いや。
メイが許しても―― 自分が許せない。
理性とか彼女への大事な思いとかを、彼は自分で踏みにじったのだ。
綺麗な椅子だった。
カイトの心の中にあった、メイ用の椅子は、キラキラしていてピカピカしていた。
彼女が座っているための椅子だったのだ。
それを、カイトはカッとなって蹴り倒した。
はっと気づいて、椅子を起こしたら―― もう、彼女はどこにもいなかったのだ。
見ると、椅子は重い鉛色になっていた。
彼女が。
メイが座っていたからこそ、キラキラのピカピカだったのだ。
カイトは、意識を振り払った。
夕方になっても。
夜になっても。
同じ気持ちを、何度も繰り返すだけだった。
そして痛めつけた。
最低のバカ野郎と自分をなじり続けた。
夜中になる。
日付変更線を越える。
どうやって帰ったのか覚えてもいない。
気づいたら、自分の家の玄関の前だった。無意識に、彼の身体は動いていたのだ。
電気がついたままの玄関のドアを開ける時、心臓が破裂しそうなくらい暴れていた。
このドアの向こうに彼女がいたら。
しかし、いなかった。
当たり前だ。
いるはずなどない。
時計を見たら、もう朝の方が近かったのだから。
ホッとした自分にムカついた。
部屋に帰って、背広のままベッドに倒れ込む。
意識は余りはっきりしていないというのに、全く眠りの縁に引きずり込まれる気配がなかった。
またそれにムカついて起きあがる。
押し入れの棚の中に、どこかからもらった缶ビールのケースがあるのは知っていた。最近は飲んでいなかったので冷やしていない。
ぬるいままのビールを、何本も飲んだ。