12/15 Wed.-12
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ガクゼン、とした。
氷水をぶっかけられた気分だ。
全身が冷たくなって硬直する。
心臓が止まってしまいそうなくらい、彼はこの現状に打ちのめされたのだ。
メイが―― 目を閉じていた。
震えている瞼が濡れていて、涙の伝った跡がある。
衣服もメチャクチャだ。
それなのに、彼女は身体の力を抜いたのである。
その瞬間、彼の心臓は掴まれた。
凍りついた金属の爪に。
今度は、ゴーストではない。
事故でも偶然でも間違いでも何でもない。
自分自身だ。
彼が、メイをこんな風にしてしまったのである。
あ…。
呆然と、彼女の手首を離した。
もう、触れていられなかったのだ。
手首には、くっきりとカイトの指の跡がついていた。
細い指先が真っ白になっている。
それほど強く掴んでいたのだ。
オレは…オレは…。
大事にしたかった。
幸せにしたかった。
笑っていて欲しかった。
なのに!
なのに。
これは、何だ。
無理矢理、メイをベッドに引きずり倒し、衣服をむしり取り、彼女を震えさせ――
そして、力を抜かれたのだ。
彼女は、抵抗をしないつもりだったのである。
カイトを殴り倒してでも逃げようとしなかったのだ。
それが、彼を我に返らせたのである。
そんな都合のいい話が、あるはずがなかった。
となると、答えはもうたった一つしかない。
借金があるから。
カイトが、恩人だから。
だから、彼女はイヤだと言わなかったのだ。
イヤじゃないハズがない。
誰が、思いもしていない男に、無理矢理抱かれたいと思うのか。
欲しいという感情だけが暴れ出して、手綱を振り払ったのである。
暴れ馬は彼を振り落とし、メイを踏みつけにしようとした。
いや。
もう踏みつけにしたも同然だ。
あんなに信用してくれていた彼女を、カイトは力まかせに裏切ったのである。
これでは、金にあかせた連中と、何一つ変わらないではないか。
借金の恩のせいで抵抗できない彼女に。
最低の人種だった。
よろけるように、メイから離れる。
ベッドからも降りた。
一歩後ろに下がる。
もう一歩。
あれだけのことをしてしまって、どうして側にいられよう。
今度こそ、悪い夢だと誰かに言って欲しかった。
彼女が行方不明になるところから、全部夢だと。
誰か言え! オレを起こせ!
でなければ、本当にメイを失ってしまう。
しかも、今度は自分自身の手で終わりにしてしまったのだ。
目が、開く。
濡れた睫毛が上がって、茶色の目が宙をさまよった。
その目に見つかってしまう。この空間では、逃げ場がなかった。
そして、聞かれた。
『どうして?』
声ではない。
彼女の目が、呆然とそれをカイトに聞くのだ。
オレが―― 泣かせた。
オレがこいつを、卑怯な、このキタネー手で。
耐えられなかった。
これから、間違いなく自分は、彼女に嫌悪されるのだ。
いや、憎悪されるかもしれない。
その瞳の色が変わっていくのを、こんなところで見ていられなかった。
有罪確定の被告席に、座ってなどいられなかったのだ。
あとちょっとでもいようものなら、あの裁判官の木槌が打ち鳴らされてしまうのである。
バンバン、と。
『判決! 被告の行為は卑劣きわまりなく…』
カイトは。
逃げた。
※
逃げた。
バイクに飛び乗って、とにかく逃げた。
どこでもよかった。
彼女から離れたかった。
あんな判決の全文を、聞いていられるハズがない。
アクセルを思い切り開けて、カイトは橋をいくつも渡った。
その橋の数だけ、彼女とのいままでの思い出を奪われていくような気がした。
全部川に放り捨てられていく。
夜の冷たい風が、無防備なカイトを刃物のように突き刺した。
そんなものどうでもよかった。
指先の感覚などに構ってもいなかった。
メイは、もっと痛くてつらい思いをしたのだ。
いや、させられたのだ。
彼自身に。
身体の中からわき上がる自己憎悪。
それが、カァっと炎になって、彼の内側にヤケドを負わせる。
しかし、やめなかった。
ますます荒れ狂わせて、どこもかしこも焼き尽くしていく。
何が、大事にしたい、だ!
その結果が、あれか!
絶対に許されるハズがない。
自分が男であることが、いまほど憎いことはなかった。
男だからこそ、力があったからこそ、あんな真似をしてしまったのである。
これで、彼女は―― 出ていくのだ。
自分の意思で、はっきりとカイトに『さようなら』を言うのである。
今度は、『いってらっしゃい』のような、一時的な生半可な別れでも何でもない。完全な決別だ。
もう永遠に出会うことはない。
いや。
もしかしたら、メイは許すかもしれない。
あのまま家にいて、いままで通りに振る舞うかもしれない。
何故ならば、カイトは彼女の恩人だからだ。
何をされても文句は言えないと思っている可能性だってある。
どちらにしろ。
生き地獄だった。
彼女を失えば、カイトは心がもぎとられる。
決して、治ることのない胸の痛み。
ずっとずっと忘れられるハズがなかった。
あんなに激しく心に焼きついたメイという女を、今更どうやって忘れろと言うのか。
いつも、きっと甦ってくるに違いない。
けれども、あのまま家にい続けたとしたら。
彼女を見る度に、自分がしでかしたことを思い出すのだ。
そして、毎日自分を憎むのである。
たとえメイが笑顔を向けてくれたとしても、もうそれを受け止める資格もないのだ。
明日が、闇に見えて怖かった。
メイとの明日が、確実な明日が欲しかったのだ。
なのに―― 結果は、闇どころか地獄である。
生きながら、彼は焼かれなければならない。
暴れ馬は、カイトから永遠にメイを奪ってしまったのだ。
「バカ野郎ー!!!!!!」
吠えた。
物凄いスピードで走っているバイクでは、そんな声は何の役にも立たない。
吹き飛ばされてちぎれて消えるだけだ。
何で!
カイトは、赤信号に突っ込んで行った。
何で、目が覚めねぇ!!!!
なのに―― 生きながらえてしまった。