12/15 Wed.-11
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何故?
メイは、頭の中にその一語だけを、ころんと転がした。
他は全部真っ白な部屋。
その部屋の中に、たった一言が転がっている。
いま、というものの意味を、彼女はまったく分かっていなかった。
背中の方は柔らかくて、ここが彼のベッドであることが分かる。
いや、そんなことを理解している場合ではない。
自分の上に―― カイトがいるのだ。
そして、彼女の腕を押さえつけていた。
え?
どうして?
白い部屋に、少しずつ別の言葉が転がり始める。
しかし、それが白い部屋をピンクに塗り替えることはなかった。
それどころか、どんどん照明を落としていき、暗く心の中を陰らせる。
疑問の言葉さえも、見えなくしてしまおうとするのだ。
「くそっ…!」
カイトは、吠えなければ破裂してしまいそうなくらい、激しく憤っていた。苛立っている。
こんなに怒った目を間近で見たのは、これが初めてだった。
全身から立ち上るオーラさえも、いつものカイトなんかじゃなかった。
全身の毛を逆立てて襲いかかってくる、手負いのケモノのようだった。
何もかもに加減がなく、痛みと激しさを彼女に叩きつけるのだ。
原因は分かっている。
自分が、あんなことをしでかしてしまったせいだ。
迷子なんかになって、彼に迷惑をかけてしまったせいである。
それでどんなに怒られても、しょうがないと思っていた―― なのに。
怒られた結果、どうしていま自分は、ベッドの上で彼にのしかかられているのか。
「あのっ…!」
きっと、これにはちゃんと理由があるはずだ。
きちんと翻訳すべき辞書があるはずだった。
ただ彼が感情的になっていて、その力を暴走させてくるから、自分も驚いて混乱しているだけなのである。
冷静になれば。
「るせぇ!」
しかし、カイトはまったく取り合わない。
怖い顔をしたまま、彼女からジャケットを奪い取ると、投げ捨てたのである。
ベッドの端に、袖の先だけがひっかかった。
ちがう!
自分の頭が、ある方向に思考を進めようとするのを急停止させる。
その方向に、進まれるワケには行かなかった。
そんなことがあるハズがない。
信じていた。
そして、自分に言い聞かせた。
これも、結局いつかの『脱げ』と同じなのだ、と。
最後には、全然大したことがなく決着して、メイに『私のバカ…』と、自己嫌悪に陥らせるだけなのだ。
いままでもあった、そんな怖い予感の全てを、カイトは壊してくれた。
ずっとそうだった。
見た目や態度は怖いけれども、本当はすごく優しい人だ。
それだけは、知っているつもりだった。
ずしん、と身体が重くなる。
彼の体重が、もっと自分にかかったからだ。
あっと思ったら、首筋がぞわっとした。
何かが、そこに強く押しつけられたのである。
その首の辺りに、彼の髪の感触がして身を竦めた。
しかし、その感触に捕まっているワケにはいかなかった。
ぐいっと身体を浮かせられたかと思うと、背中の方を彼の手が探るのだ。
何が起きるのか分からないままだったメイは、身体を硬直させているしか出来ない。
その手が、背中の上の方で止まった。
ジャッッ!
あっ!
思った時には、また背中はベッドの上に戻った。
カイトが、手を離したのである。
いや、離されたままではなかった。
そのまま、彼女のワンピースの上の方を、乱暴にむしりとったのである。
ワンピースだ。
完全にむしりとられたワケではなかった。しかし、上半身が激しく乱れた。
抜け殻みたいに、腕から袖を持っていかれる。
幸い、下に着込んでいたシャツが、まだ彼女を守ってくれていた。
しかし、彼の動きが止まるようには見えない。
手が近づいてくる。
違う! 違う! これは違うの…!!!!
メイは必死で、自分に言い聞かせた。
更に酷くなる怖い考えを否定する。
彼がこんなこと―― !!!
目を見開いた。
信じられなかった。
カイトの手が、シャツの上から強く胸を掴んだのだ。
驚きと怖さで、ビクッと身体を震わせた。
しかし、それでももどかしいように、シャツをめくりあげられる。
一瞬、彼の爪がメイのおなかに当たった。
でも、痛いとかそういうことを考える余裕などない。
露出した下着までも、彼が引き上げてしまったのだ。
そんな―― こと。
メイは、唇を震わせた。
いまの自分の姿を思い描かないようにする。
とにかくテレビのスイッチを切ろうとするのだが、フラッシュするような点滅の隙間に、その光景がよぎる。
無理矢理、それを払いのけた。
自分の上にいるカイトは、炎みたいに熱かった。
手が、彼女の衣服にかかる度に、強引な力で身体が上に右に振り回される。
カイトは。
何をしているのか。
どうしても信じられなかった。
一体、何のために触れているのかも分からない。
これは、そういうことなのか。
カイトは自分に、そういうことをしているのか。
でも。
それなら、何故!
カイトは怒っていながらも、まるで今にも泣きそうな顔をしているのか。
苛立っていながらも、苦しくていまにも死にそうな顔をしているのか。
何かが、激しくカイトの中で荒れ狂っている。
その何かを、彼女に全部ぶつけているようだった―― こんな形で。
痛い!
ぐっと押さえられた手首に、血が止まるほど強く力を込められる。
この痛みは、どう翻訳すればいいのか。
どうすれば、カイトを理解できるのか。
頭の中で火事の警鐘が鳴り響く。
火事よ。危険よ、逃げて!
自分の中の、女の防衛本能がそう悲鳴をあげる。
違う。
その本能に、メイは逆らった。
カイトは、そんなこと。
これは、火事じゃない。
いや―― もう火事でも何でもよかった。
ただ、逃げるワケにはいかなかったのだ。
危険であっても、この火事で全部が焼けて、あるいは自分が焼けてしまったとしても。
カイトを置き去りに逃げるワケにはいかなかったのだ。
彼は、私を助けてくれた人だ。
彼は―― 私の好きな人だ。
メイは。
目を閉じた。
そうしたら、涙が伝ったのが分かった。
そして。
強ばったままだった身体の力を―― 抜いた。