12/14 Tue.-2
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クソッ。
フォーク一つうまく扱えない自分に、イライラする。
それをメイが見ていると、更にイライラする。
おまけに、箸まで持ってこられるほど気を使われて、イライラが最高潮に達する。
フォークくれぇ!
こんなもの、簡単に扱えるのだ。
突き刺したり、乗せたり、引っかけたり、単純な食事道具でしかない。
年寄りならともかく、20代のカイトには楽勝―― な、ハズだったのに。
つるっ。
ぽろっ。
フォークが、麺にかかったや否や、彼の希望をことごとく裏切る。
その度に、ムカムカした。
決して、メイが作ったこの料理について不満に思ったワケではない。
あくまで、うまく扱えない自分が不満だっただけなのだ。
ここで、彼女の好意で持ち出された箸を使うということは、『私はフォークすら、うまく扱えない不器用者です』と宣言するようなものである。
そんなことを、メイの前で認められるハズもなかった。
このくれぇ。
カシャン。
このくれぇ。
カシャン。
このく――
食べ終わる頃には、あんなに熱かった料理はすっかり冷めてしまった。
ぶっすー、とひどい顔のまま席を立つ。
せっかくの料理なのに、全然味どころではなかったのだ。
最初の一口は、まだスパゲティの部分ではなく、上のソース部分だけだったので『うめぇ』が言えた。
しかし、もうその後は、とにかくフォークに絡まったら口の中に突っ込むという、こなす作業になってしまったのだ。
置き去りにされた綺麗なままの箸を、カイトは密かに睨むと、ようやく『ごっそさん』が言えたのである。
その後は。
心配そうな、複雑そうな表情をしているメイから、逃げなければならなかった。
完全に逃げ切ることは出来ない。
お茶の時間がやってくるのだ。
しかし、この頃には、カイトはもうあの夕食の事件を忘れたフリをしていた。
記憶を修正して、なかったことにしたのだ。
また、スパゲティを見たら甦ってしまうだろうが。
変な意地やプライドで、このお茶の時間をフイにしたくなかった。
彼は、この静かで幸せな時間を維持したかったのだ。
こんなに、時間を大事にしたことなど、本当になかった。
時間というのは、彼にとってはパートナーでも友人でもなかった。
常に追うか追われるかの競争相手である。
味方をすることよりも、敵になることの方が多かったそれが、いま、自分にゆるやかに巻き付いて、『幸せ』などという言葉を塗りたくっていく。
居心地は悪いけれども―― そのペンキを引き剥がせないのだ。
何もしゃべらなくてもよかった。
でも、何かしゃべってもみたかった。
しかし、カイトは自分の口をよく知っている。
プライドとせめぎ合うと、ロクなことにならないのだ。
うまく伝えるための言葉は、すぐに目詰まりをしてしまう。
もっと、彼女のことを知りたいのに。
ここに来る前に、どこにいてどんな生活をしていたか。
そんなことさえも、メイと話したことがなかったのである。
本当に、彼女のことは何も知らないのだ。
ただ、そこにいて欲しいという気持ちが強く前面に立ちはだかって、彼を振り回すだけである。
きっと、自分のことも彼女は知らない。
いや、それはどうでもいい。
カイトの人生を聞かせてもどうしようもないものだし、そういうのは苦手だった。
でも。
知りたい。
全部。
まるごとみんな。
メイのことで、知らないことが山ほどあるという事実は、彼女を霞のカタマリにでもしてしまったかのような気分にさせられる。
共有している記憶が少なすぎる。
交わしている言葉も、思いも少なすぎる。
しかし、自分をうまく表現できないカイトには、物凄く時間がかかりそうな話だった。
少しづつ馴染んでいくしかないのだ。
すべて、一足飛びに手に入れられるというワケではない。
確かに彼は、仕事では一足飛びだった。
人と比べたら、すごい速度でいまの地位を手に入れた。
人と付き合うことは、そういうワケにはいかない。
それが、頭の端では分かってはいるけれども、歯がゆいのだ。
ゆっくりとコーヒーを飲む。
ちらっとメイを見る。
両手で持っているカップは、昨夜から変わっていた。
あのハルコの発言のせいである。
カイトのものだったというマグカップはなく、代わりに客用のティーカップだ。
別に。
昨日も思ったが、やはり今日も不満に思う。
別に、あれでいいだろ。
視線を横にそらしながら、カイトは不満をよぎらせた。
余計なことを言ったハルコを憎んでしまうくらいだ。
要するに。
あのカップを使って欲しかったのである。
同じような一対のカップ。飲んだ記憶はないとはいえ、カイトのカップを、彼女に使って欲しかった。
彼のカップは、前のままだ。
シュウの分と言われているカップである。
どうして、カイトのカップが彼に戻ってこなかったかというと―― 多分、メイが使ってしまったからだろう。
彼女が使ったカップを、翌日からあからさまにカイトのものとして使うのはイヤだったのだろう。
もしも、彼女のカップを自分が使ったら。
カァッ。
中学生みたいな感情が暴走した。
たかが、カップだぞ!
自分の暴走にタックルをかけて止める。
でないと、まるでバカみたいだった。
同じカップを共有したくらいで、意識するところなどないはずである。
ぐいっ。
思わず、勢いよくコーヒーを飲んでしまった。
あっという間に、底が見えてしまった。
このままでは、あと一口で飲みきってしまいそうだ。
クソッ。
もっとカップが大きければいいのだ。
もっとコーヒーが入っていればいいのである。
そうすれば、もう少しだけ一緒にいられるのに。
いつだって持て余すその感情に直面するたびに、彼は戸惑う、暴れる。
けれども、プライドを押さえつけるほどの力が、この時間にはあった。
あと一口を、できる限り引き延ばす。
冷め切ったコーヒーは、苦いばかりだ。
メイが、カタンとトレイの上にカップを戻した。
終わりの合図だ。
カイトは目を閉じて、最後の一口を飲む。
カタン。
乱暴になりすぎないように、トレイの上に置いた。
立ち上がる。
トレイを持って出ていく身体。
「おやすみなさい…」
パタン。
おやすみ―― まだ、その言葉は言えないまま。