12/12 Sun.-2
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いる―― と思っていた。
一番よく出会う場所に、彼女はいるはずだった。
何の根拠もない。
部屋にいる可能性だってあるはずだ。
なのにカイトは、いつもメイがそこにいるように思えていた。
また、何か仕事をしているのではないだろうか。
そんな予感で、彼は降りてきたのだ。
いままで一番用のない場所だったダイニングや調理場に、彼女が来てから一体何度出入りしただろうか。
自分でも信じられない事態だった。
だが、そこがもぬけの殻だった時。
首の後ろに冷たいものが走った。
落ち着いて考えればよかったのだ。
彼女は部屋にいて、何かしているのかもしれない、と。
もしかしたら、ほかの場所にいるのだと。
しかし、神経のパイプが、何かに強く踏まれていた。
伝達されるべき情報が、いきなり遮断された状態になってしまったのだ。
彼女がいない。
その情報が、山ほど自分に送られてくる。
狭いパイプの中にぎっしりとそれだけ詰まっていて、ほかの情報が流れないのだ。
かろうじて、一つだけ別の情報がようやくやってきた。
部屋。
その一語だ。
もう一つ、彼女がいる可能性の高い場所。
それだけをひっ掴んで、慌ててダイニングを飛び出したのだった。
そこで。
彼女と激突した。
ダイニングに向かって来ていたのだ。
とっさに手を出していた。
誰かなんて、一瞬で分かっていた。
頭が認識するよりも、身体が分かっていたのだ。
勢いに引きずられそうになる身体を、とっさにダイニングの入り口に腕を引っかけて止めたので、彼女に怪我をさせる、などという最悪の事態は免れたのである。
ほっと息をついた。
驚きと混乱で心臓がばくばくしていて、ただの安堵のため息で終わらなかったが。
そんな中、彼女が目を開けた。
間近に、茶色の目があった。
そう、間近に。
この腕が誰を抱いているのか、はっきりと分かる瞬間。
しかし、自覚するより前に、彼女が慌てて逃げ出した。
一瞬で、それは過去のものになってしまったのだ。
触れた感覚も、表情も、何もかも。
そんなにカイトに触れられるのがイヤなのかと思ったら、表情が曇った。
つらくなったのだ。
抱きしめたいと思う衝動が、いままで何度もあった。
しかし、カイトは最初の一回以外は全部耐えてきたのだ。
それが正しかったことを思い知らされる。
事故でさえ、こんな態度をとられてしまうのだ。
分かっていたこととは言え、カイトのショックは大きかった。
彼女が、昼ご飯の用意をするような発言をして、ダイニングに逃げたのも分かった。
そんなに―― イヤだったのだ。
ふらっ。
一歩踏み出したら、よろけた。
カイトは片手を壁について、自分の身体を元に戻す。
「いらねー」
こんな気持ちを抱えたまま、昼飯なんて食べられるはずもない。
彼は、部屋へ帰った。
そのまま、さっきまで転がっていたベッドにうつぶせに倒れ込む。
「クソ…」
寝た方がマシだ。
※
「あの…いらっしゃいます?」
ドアがノックされて目が覚めた。
本当に、あのまま眠ってしまったらしい。
一体どのくらい寝たのか分からなかった。
ぼーっとする頭を、しかし、まだ上げられなかった。同じ状態で転がったままだ。
部屋は既に暗い。
そんな時、ドアが開いた。
「あの…」
中を伺うような声が聞こえる。
しかし、彼女も部屋が暗いのにはすぐ気づいたのだろう、キョロキョロとしたシルエットだけがあった。
「眠ってるのかな?」
そっと。
入ってくるのが見えた。
ドキッ。
カイトは、びっくりした。
まさか、入ってくるとは思っていなかったのだ。
そういえば、朝はいつも彼女は入ってきて起こしてくれる。
自分が眠っている時に、だ。
慌てて、彼は目を閉じた。
タヌキ寝入りだ。
近づいてくる。
間違いなく、彼女がこのベッドに近づいてくるのが分かった。
心臓が高鳴って、彼を不自然に動かそうとするのを必死でとどめる。
動きが止まる。
すぐそばに彼女の気配がある。
しかし、起こされなかった。
静かさは維持されている。
気配は、そこにあった。声はない。
じっと見られているような気がするばかりだ。
もしかしたら、起こすのをためらっているのだろうか。
夕飯とカイトの睡眠を、天秤に乗せて計っているような気がした。
このままでは。
彼女は行ってしまいそうだった。
疲れているのね、とか自己判断して、ずっとカイトを眠らせ続けそうだったのだ。
別に眠いワケではない。
それよりも、彼女が―― 行ってしまうのがイヤだった。
ぱっ、と。
カイトは目を開けた。
茶色の目は、本当にすぐ近くだった。
その事実に驚く。
相手も驚いたようだ。ぱっと身体が逃げた。
どのくらい深く眠っているのか、のぞき込んでいたのだろう。
カイトは、ぎしっとベッドをきしませて身体を起こした。
「おは…じゃない、えっと…夕ご飯、どうしますか?」
慌てた声。
カイトがいつも、あまりいい態度や表情で接しないせいで、彼女はそんな風に焦った声を出すことが多い。
どもったり言葉を探したり、とにかくこの場を取り繕おうとするような声で、彼にしゃべるのである。
いちいち顔色を伺う。反応や行動を確認する。
自分の存在自体が、メイを威圧している気がしてしょうがなかった。
しかし、変えられないのだ。
優しく接したいと思っても、彼の心に反して態度やプライドが、いきなり道を狭くする。
いつになったら。
メイと、普通に接することが出来るようになるのだろうか。
彼女が怖がらなくなり、自分ももっと穏やかに接することが―― 到底、想像できなかった。
カイトは、ため息を飲み込んでベッドを降りた。
「食う…」
昼間の、あのヨロヨロはもう取れている。
分かっていたことを、自分の心が認めたがっていなかっただけなのだ。
最初から決まっていることに、男らしくなくグチグチ言っていたに過ぎない。
それよりも。
もっと、この関係を改善したかった。
このままでは。
普通の生活なんて―― 絶対に来ない。