12/11 Sat.-5
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ハルコは、肩を震わせていた。
ソファに身をよじるように片手をついて、顔を逸らして隠しているけれども―― ぜってー、笑ってやがる!
カイトをからかっているような気がしてしょうがない。
ハルコだけではなく、ソウマ夫婦の存在自体が、彼にとっては悪魔にさえ思えた。
しかし、いま気にしなければならないのは、その悪魔の申し子のことではなく、『すんな!』と言ってしまったことへの後処理である。
ちらっとメイの方を見ると、遠慮気味にうつむいて。
余計なことを考えていなければいいのだが。
ハルコの存在のおかげで、いまフォローができないのだ。
できたとしても、どんな言葉が使えるのやら。
信用ならない口である。
「あの、ホントにカップは結構です…他にもいろいろありますし」
笑いすぎて涙でも出たのか。
目元を押さえながら顔を前に向けるハルコに、メイは困った笑顔を浮かべた。
カイトとの関係を心配しているかのようだ。
「そうね…そうしておくわ」
その笑顔が、気に入らない。
カイトは、更にぶすーっと顔を歪めてしまった。
カップの話題がおさまったかと思うと――
今度は、クリスマスときたものだ。
カイトはもう、ソファの背もたれに片肘をかけてあらぬ方を向いた。
聞こえないフリをしようとしたのである。
怒って反応すると、ハルコを喜ばせるだけなのだ。
「今年のクリスマスは金曜日なのよ…翌日は休みなんですもの。夜にパーティを開こうかと思っているの」
彼の反応など気にせずに、ハルコはどんどん話を進めていく。
カイトは、まだ別の遠いものを見ていた。
このアニバーサリー女をどうにかしろ、と思いながら。
「それでね…あなたたちをパーティに招待しようと思って」
しかし。
いきなり渦中に引きずり込まれる。
カイトは、目を半開きにした。
ソウマ家のクリスマスパーティに来いというのである。
あの悪魔の館に。
誰が行くかと、ばっと視線を彼女の方に戻した。
そのままの勢いで怒鳴ろうとする。
「彼女にも、めいっぱいオシャレして来てもらって…楽しみましょうね? ちゃんとクリスマス用に服を買ってもらうのよ」
けれど、ハルコが見ているのは隣のメイで。
楽しそうに、詳細に話が進みかけている。
「そ、そんな!」
その詳細に反応したのは、メイだ。
とんでもない、と言わんばかりである。
彼女がどの言葉に反応したのか、カイトは迷った。
パーティに招待されたことにか。
オシャレにか。
クリスマス用の服を買ってもらうことに、か。
服くれぇ!
もしも、最後のヤツだとするならば―― いや、カイトはもう一瞬でそれを選択してしまって、セルフで怒りモードに入った。
服くらい、いくらでも買ってやる、と。
欲しいなら欲しいと言えばいいのだ。
そうしたらカイトは。
「あら…女の子は、綺麗に着飾る義務があるもの。服を買ってあげるくらいの甲斐性は、カイト君にだって…ないのかしら?」
最後は。
腹の立つことに、首を傾げながらカイトを見るのだ。
誰見てモノ言ってやがるー!!!!!
ここにいるのは、カイトなのだ。
肩書きを言えば、鋼南電気(株)の代表取締役社長なのである。
甲斐性があったからこそ、彼女をあの場所から救い出すことが出来たのだ。
「あの…ホントに」
なのに、その甲斐性を一番知らないのは、メイだ。
何とかこの話を終結させようとするかのような態度で、2人の間に割って入る。
ムッカー。
そうなのだ。
メイは、彼の甲斐性を知らないのである。
服を買いに行くお金くらい、いつだってポンと出せるのだ。
その事実を、今更ながらに自覚した。
すると、余計にムカムカしてくる。
カイトは立ち上がると、尻ポケットからサイフを抜いた。
現金主義のカイトは、落とせば拾った人が喜びそうな額を、平気でサイフに入れている男である。
その札の部分に手を突っ込んで、ひと掴み取り出した。
バンとテーブルに置く。
一緒に女の服を買いに、連れて行ってやることなど出来ない男でもあった。
幸い、ここにはハルコがいる。
このお節介女がいれば、いくらでも見立ててくれるだろう。
「あ…あのっ…」
突然の出来事に目一杯戸惑った目が、自分を見上げてくる。
お金の意味を把握しているのだが、それを受け入れられないという心とせめぎ合っている目だ。
こうなると、カイトも居心地が死ぬほど悪くなる。
このままここにいたら、彼女はこのお金を拒否するか、また1枚だけもらって残りを返しそうな気がしたのだ。
その上。
ハルコも、そこにいる。
ポケットにサイフを戻しながら、カイトはお茶の時間のつきあいを断ることにした。
言葉ではない。
態度で。
ドアの方に向かって歩き出す。
また会社の方にでも行けばいいのだ。
今度は、ちゃんとポケットにサイフが入っている。
車も車検から帰ってきている。
そこらにかけてある上着をバッと掴んだ。
先週よりは、少しは進歩した判断と行動だった。
「あっ!」
その行動は、同時にこの家を出ていくのだと教えていて。
気づいたメイが、後ろから声をあげる。
彼の後ろ髪を引っ張って、止めさせるような声だ。
驚いた―― でも、寂しそうな響き。
先週のあの涙のことを思い出したのだろうか。
などと、人の心配をしているヒマはなかった。
カイトの方が、あの涙を思い出してしまったのだから。
ぎゅーっと、彼の短い後ろ髪が引っ張られる。
「あら、よかったわね…メイ。クリスマスパーティの許可が出たみたいよ」
なのに、この空間で一人だけ時の流れが違う人間がいた。
何だとぉ?
カイトは、ばっと振り返った。
とんでもない解釈だったのだ。
確かに服は買っていいという態度を見せたが、パーティに行くという言葉は、一度だって言ってない。
しかし。
はた、とカイトは怒鳴りを止めた。
頭の中で、フローチャートが出来たのだ。
メイに、おめかしをしてパーティーに来いとハルコが言った → おめかしをするお金を、カイトが出した → パーティに行っていい
話の流れ的に、そう取れないこともなかった。
それどころか。
ここで行くなと言えば、彼女が綺麗な服とやらを買う理由もなくなるということで。
必要ないものを、メイが買うはずもない。
だらだら。
汗が流れた。
恐ろしい板挟みにあってしまったのである。
メイを綺麗に着飾らせるということは、この場合、クリスマスパーティへ行くという許諾をしたことであり、そうなると、自分も行かなければならない。
勿論、カイトは行きたくない。
パーティなんてチャラチャラしたものは好きではないし、ましてやあの悪魔夫婦のところである。
絶対、ペースを乱されるだろう。
しかし、メイが一人で行けるとも思わなかったし、行かせたくもなかった。
彼女一人だけを、パーティに参加させたとしよう。
カイトの知らないところで、メイは笑ったり幸せそうな顔をするのだ。
それどころか、他に誰が来ているかも分からないのである。
家庭内クリスマスパーティだからとは言え、この顔の広そうな夫婦が催すのだ。
そんなところに、メイ一人送り込んで―― もし。
もし、じゃねぇ!
自分の腐れた思考を、一瞬で切り捨てようとした。
しかし、それはしっかり彼の心に寄生してしまう。
「じゃあ、一緒にこれから買いに行きましょうか?」
汗をダラダラ流しているカイトをよそに、ハルコが話を進行させようとする。
止めるなら、今しかない。
誰がパーティなんざに行くか、と怒鳴るのだ。
しかし。
言ったらおしまいだった。
メイは、絶対にお金を使わない。
バッ。
カイトは、その部屋から逃げ出した。
拒否をするのは、今でなくてもいいと思ったのだ。
その洋服とやらを買ってきた後で、いくらでも断ることが出来る、と考えたのである。
そうすれば、メイに服を買ってやるというハードルは、クリア出来そうだったのだ。
たくさんのコーティングで自分を騙しながら、カイトは飛び出して行った。