表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/175

12/10 Fri.-4

 カイトは部屋に帰るや、まず着替えた。


 昨日の件が尾を引いているので、何度も長袖シャツの前と後ろを確認する。


 今日も。


 一つの大きな失敗をした。


 またも、彼女の目の前で、である。


 メイが一生懸命に作ったという、ハンバーグを台無しにしてしまったのだ。


 あの瞬間、心臓が縮んだ。


 おかずを落としたくらいで、心臓がつぶれんばかりの気持ちを味わったのは、これが初めてである。


 一口もつけることなく、床にべちゃっとはりついたハンバーグは、まるで彼女を冒涜したような気分にさせられて、罪の意識がいっせいに押し寄せてくる。


 けれど、メイはすべての後かたづけを終えた後、笑顔を浮かべてくれたのである。


 そして―― 半分のハンバーグ。


 カイトは、ハンバーグは食べる。


 嫌いじゃない。


 ジャンクフードをよく食べる彼には、ハンバーガーなどで馴染みのある料理もでもあった。


 しかし、あんなハンバーグを食べたのは初めてだった。


 食べるたびに胸が苦しくなった。


 一口食べるごとに、彼の心臓にまで詰め込まれていくかのように、ぎゅうぎゅうと胸を圧迫して。


 彼女は何度も「おいしいですよ」と言ったが、本当のところ味なんてカイトには分からなかった。


 味よりも、もっと別のものが溢れてしまったのだ。


 本当に、自分が彼女のことを好きなのだと、痛いほど自覚させられる瞬間。


 シャツに着替えて、あの食事の時の姿ではなくなったというのに、カイトはその気持ちまで脱ぎ捨てることは出来なかった。


 パソコンの電源を入れるが、頭はぼーっとしている。


 指も動かない。


 いつの間にか、スクリーンセーバーが動いて、画面の中を赤や黄色い線がうごめくが、目にも入っていなかった。


 たかが、ハンバーグである。


 あんな子供だましな料理で、カイトは魂まで持っていかれてしまったのだ。


 魂が戻ってきたのは、扉がノックされた時。


 そう―― お茶の時間になったのだ。


 ゆっくりとコーヒーを飲む。


 彼女は、向かいのソファにいる。


 昨日と同じ時間のように思えるが、今日の気持ちはまた違っていた。


 コーヒーまでも、胸にしみこむのだ。


 ハンバーグのことは、これ以上言及したくなかった。


 だが、まだ胸に刺さっている。


 だからといって、どんな言葉で伝えたらいいかも分からない。


 きっとどう言っても、彼女は笑って『気にしないでください』というのだろう。


 自分のパソコンに例えるなら、作ったプログラムを消去されてしまうようなものだ。


 彼なら、あからさまに怒るに違いない。


 けれども。


 メイになら、たとえ消されてしまっても怒らないんじゃないかと思った。


 気持ちが、どんどん違う方向に流されていく。


 好きというだけで、こんなにまで自分が変わるものなのか、信じられないくらいだった。


 しかしもう、あらがえない。

 彼女の引力に引っ張られる。


「そう言えば…明日、ハルコさんが遊びに来ると言ってました」


 そっと。


 お茶の時間を壊さないようにするような、小さな声でそれが告げられた。


 静かだからこそ、カイトの鼓膜にまで届く音だ。


 内容に、ぴくっと耳が反応する。


 ハルコが?


 彼女でいっぱいだった心が、すっと地上に戻ってくる。


 現実的な言葉のせいだった。


「あの…ソウマさんはお仕事だそうなので、一人で…その、お茶にいらっしゃるということなんですけど…」


 許可を取るような目だ。


 週末にお茶というくつろぎの時間を取っていいかどうか、許可を求めてきているのである。


 茶ぁくらい、飲めばいいだろ!


 パン、と心が跳ね上がる。


 好きなことを好きな時にすればいいのだ。


 メイは、しなくてもいい労働ばかりをやりたがる。


 それが気にくわなかった。


 しかし、同時にハルコの訪問も許すことになる。


 厄介なソウマ夫婦の片割れが来るのは、全然ありがたいことではないのだが、メイを休ませるために来るという大義名分があるのだ。


 拒めそうになかった。


 もし拒めば、彼女に休むな、と言っているようなものである。


「好きにすりゃあいい…」


 言ってしまって、失敗したと思った。


 ハルコが来ることへの不満があったために、一歩間違えればなげやりとも思える言葉になってしまったのだ。


 慌てて視線だけで、彼女の反応を見る。


 紅茶を持っているカップの手が少し止まった。

 いまの言葉について考えているようだ。


「お茶でも何でもしろ」


 先にフォローを言ったが、これもいい表現ではない。


 どうして、自分の口はこんな風にしか言えないのか。


『オレに、いちいち許可を取るな』―― これも違う。


『自分のやりたいようにしろ』―― これも。


 頭の中にある語句を拾っていく度に、カイトは眉を顰めた。


 ロクな表現が格納されていなかったのだ。


 ソウマなら、『お茶か、それはいい…オレも入れてもらおう』、くらいのことを言って、彼女の気持ちを柔らかくできるに違いなかった。


 しかし、そんなことは口が裂けても言うことが出来ない。


 メイの視線が、彼の方を向いた。


 いまのカイトの気持ちを探すかのようだ。


 自分では、彼女の気持ち一つやわらげることが出来ない。


 それがもどかしかった。


「あの…ちゃんとご飯の支度は…」


 快く思っていないと判断されたのだろうか。


 きちんと仕事はしますから、みたいな表現が出てきて、カイトはぱっと表情を曇らせた。


「んなこた、言ってねぇ!」


 そうして、ついに―― 怒鳴ってしまった。


 この口の悪い病気の一つだ。


 言葉が見つからずにイライラしてくると、すぐこうなってしまう。


「そうじゃ…ねぇ」


 ぐっと、その勢いをこらえて横を向く。


 町を育成するシミュレーションゲームを作ったことがある。

 出来るだけリアリティのあるようにするために、たくさんのパラメータを導入した。


 いまをそのゲームで例えるなら、『貧富の差がありすぎます』と言ったところか。


 心豊かな彼女に比べて、自分の貧しい内側がイヤになる。


 女一人を住まわせるには、窮屈で汚く思えるのだ。


 こんな家に遊びに来いなんて、言えるはずがない。こんな家に住めだなんて。


「明日は…仕事なんかしなくていい」


 それが精一杯のフォローだった。


 せいぜい、閉めっぱなしだったカーテンを開けて、太陽の光を入れる程度のフォローだったけれども、その光を、彼女はちゃんと拾ってくれた。


「ありがとうございます…でも、ご飯の支度はさせてくださいね。私もおなかがすきますから」


 笑う。


 くすっと。


 しかし、すぐにその表情が、あっ、というものに変わった。


「明日…お仕事はあるんでしょうか?」


 あまり意識をしていなかったが、そういえば明日は土曜日だ。


 いまひとつ、一週間のサイクルがつかめないでいる。


 彼女が来て2回目の週末なのだ。


 いろいろ考えた。


 と言っても、二択にすぎない。


 会社に行くか行かないか、だ。


「土日は…休みだ」


 カイトは、決着をつけた。


 仕事に行くと―― 彼女がたくさんの労働をするような予感がして、こげ茶の髪の毛が引っ張られたのである。


「そう…ですか」


 でも、ちょっとだけメイが嬉しそうな表情をしたように見えた。


 気のせいかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ