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11/29 Mon.-1

 案内されたボックス席は、薄暗くて空気がよどんでいた。


 中央の方の大きなボックスでは、会社帰りだか接待だか分からない背広連中が、ギャーギャー騒ぎながら下着姿の女に抱きついていたりする。


 壁際のボックス席は、一人で来る客用のものだ。

 おそらく、故意に照明が当たらないようにしているのだろう。


 いかがわしさ絶大だった。


 何しろ、ここは――ランジェリーパブなのだから。


 フン。


 自分も一人用ボックスの連中と同じムジナなクセに、他の暗がりでの怪しさを鼻でせせら笑った。


 アタッシュケースを座席に放り投げ、背広を脱いでその上に放り投げる。


 ただでさえ緩めていたネクタイを、更に長い指でぐっと引っ張って緩める。


 こんな格好なんか、彼――カイトは大嫌いだった。


 普段は、極力背広を着なくていいような仕事をするのだが、どうしても会社を経営している以上、その格好は避けられない。


 そう。


 カイトは、代表取締役社長なのである。


 彼が一から作った会社だった。


 全ては、カイトの作ったパソコンゲームが、コンテストで賞を取ったことから始まったのだ。


 そこで彼は知ったのである。


 ソフトは、物理的コストがかからないことに。

 必要なのは才能的コストだ。


 カイトには、それがあった。


 しかし、彼になかったものがある。


 経営手腕である。


 カイトの苦手とする、対外的な仕事をする人間が必要だった。


 だから、その方面に才能のある幼なじみを、無理矢理自分の作る会社に引きずり込んだ。


 カイトが21歳の時のことである。


 それから2年――いまや、押しも押されぬ大ソフトメーカーに成り上がったのである。


「KO-NAN」


 ゲームソフトには、そんな風に会社名が記されているハズだ。


 鋼南電気。


 それが、カイトの会社。


 ※


「し……失礼します」


 ボックス席で一息ついていたカイトの耳に、周囲の雑音にかき消されそうになりながらも、そういう声が聞こえた。


 ん?


 片方の眉だけを上げるようにしながら、そっちを見やる。


 席の入り口に、女が一人立っていた。


 そうなのだ。


 ここは、ランパブ。


 一人で酒を飲むところではない。


 カイトだって、よく行くワケではなかった。


 ただ、こういう背広仕事をした日は、ウサ晴らしに来るのである。


 あいにく彼の相方は、こういう夜のお遊びを快く思っていないおカタイタイプなので、さっさと一人で先に家に帰ってしまったが。


 だから、カイト一人、このボックスにいるというワケである。


 女の指名は、しなかった。


『うるさくねーヤツ』


 それだけ。


 カイトは、無言でやってきた彼女を見ていた。


 ランパブなのだ。


 あざとい下着姿の彼女は、おずおずとボックスの中に入ってきて、ぎこちなくカイトの隣に座った。


 ???


 カイトは眉を顰めた。


 いつもと雲行きが違ったからである。


 ワゴンの上の水割りを作る道具が、ウェイターの手によってテーブルの上に並べられる間、隣の女はずっと黙ったっきりだった。


 ウェイターが去った後、カイトはようやく横を向いた。


 ホステスをちゃんと見ようとしたのである。


 しかし。


 彼女は肩を震わせたまま、うつむいていたのである。


「おい」


 カイトは声をかけた。

 何をやっているのか分からなかったのだ。


 ビクッッ。


 しかし、その声に肩が更に震えて――それから、ようやくおずおずと顔を上げてきたのだ。


 でっかいチョコレート色の目が、不安に揺れながらカイトを見た。


 しかし、彼のグレイの目を見たワケじゃない。


 目は目でも、緩められたネクタイの結び目辺りだ。

 そこから上に、視線は上がってこなかった。


 似合わないくらいケバイ化粧だ。

 目の上のアイシャドーの青など、全然似合っていない。


 真っ赤な口紅も。


 ちょいとクセ毛だが、素のままの黒髪の方が、よっぽど綺麗だ。


 何だ……こいつ。


 不審な目で、ジロジロ見てしまうカイトだった。


 普通のホステスなら、軽い冗談の一つも飛ばし、さっさと水割りを作り始め、しなだれかかってもおかしくない時間を、彼女は無言で固くなったままだったのだ。


「あ……あ、すみません……すぐお作りします」


 ハッと仕事に気づいたかのように、でも、これでカイトの方を見なくて済む理由が出来たかのように、彼女はグラスに手をかけた。


 震えている指先。


 カラン、カランッ。


 落ち着かない手によって氷がグラスに落ちていくのを見ていたら、カイトの方がすっかり冷静になってしまった。


 何となく、理由が分かってしまったのである。


「おめー……店出んの、今日が初めてだろ?」


 ぼそっと。


 元々、こういう席で騒ぐような性格じゃない。


 カイトは、彼女にしか聞こえないくらいの声の音量でつぶやいた。


 視線を、その細い指先に向けたまま。


 指先が、止まる。


 最後に落とした氷だけが落下していき――


 カラーン。


 グラスの中で一回転する。


「はい……すみません……」


 自分の行動が、余りにマズイものであると気づいたのだろう。


 消え入りそうな声だった。


 そのまま放っておけば、どんどん小さくなって最後には消えてしまいそうに思えて、カイトはため息をつく。


「別に、気にしねーから……ほれ、水割り作れ」


 何で、オレがホステスに気を使わなきゃなんねーんだ。


 理不尽なものを感じはしたが、カイトはそれをガリガリと氷のように噛んだ。


 女イジメて楽しんでもしょうがないからである。


「あ……はい」


 ウィスキーを持ち上げて、水割りを作るためにグラスに注ぎ始める。


 カイトは見ていて――しかし笑い出しそうになった。


 彼女は、グラスの半分ほどまでウィスキーを注いだかと思うと、次に水を入れようとしたのである。


「待て、コラ!」


 カイトは、その水を止めさせた。


「はい?」


 いきなりストップをさせられると思っていなかったらしく、キョトンとした目がカイトに向けられる。


 ケバイ化粧の仮面が、一瞬はずれたかのように見えた。


 おびえもない、ひどく素直な表情だったからだ。


「おめーが作ろうとしてんのは、水割りなのかよ……マジで」


 クックック。


 カイトは肩を震わせた。


 グラスに半分もウィスキーを入れて、それを水で割ってどうしようというのか。


 指一本か、二本分でやめとけ、というところだった。


「え……あ……私、間違えました?」


 彼女の目が落ち着かなく泳ぐ。


「ああもう……ロックでいいぜ」


 笑いを我慢しながら、カイトはグラスを奪った。


 取った拍子に、カランとグラスが回って。


 カイトは、ようやく一杯目の酒にありつけたのである。


 水差しを持ったまま――茶色の目が、どうしたらいいか分からないかのように、カイトをじーっと見ていた。


「ん? おめーも飲むか?」


 カイトは自分のグラスの氷をカラカラ言わせた。


 すると、彼女は思いきりブンブンと首を横に振ったのだ。


 とんでもない、と言わんばかりに。


 うーん。


 カイトは半目になりながら、グラスを置いた。


 ポケットからタバコを出す。


 何で、こんな女がこんなトコロで働いてんだ?


 そう疑問に思いながら、タバコをくわえる。


 口で、タバコの先を上下させながら――しかし、ちっとも火がつかない。


 カイトは、隣を見た。


 彼女は。


 まだ水差しを持ったまま、じーっと彼を見ていた。


 次に何をしたらいいか分からないかのような茶色の目。

 化粧で化けられないその目が、ただ、彼を見ていたのである。


「ぶっ……」


 カイトは吹き出した。


 吹き出した拍子に、くわえていたタバコが落ちたが気にもしなかった。


「ぶわっはっはー!!」


 肺に思い切り空気を入れて。


 カイトは大爆笑していた。


 ※


 ひとしきり爆笑してから、彼女を見た。


 水差しを持ったままの彼女は、もう震えてはいなかった。


 たくさんの瞬きをしながら、キツネにつままれたような顔をしている。


 客が煙草をくわえたら、すぐさま自分が火をつけなければならない――そんな基本さえ、彼女にはないのだ。


「とりあえず……そいつを置け」


 また笑ってしまいそうな自分を押さえつつ、カイトはその無粋な水差しを奪ってテーブルに戻した。


 こんなに愉快な気分は、何カ月ぶりか。


 カイトはニヤける顔を落ちつかせながら、もう一度改めて彼女を見た。


 何も持たされていないことで、手のやり場を失っているらしく、空中に浮いたままだった。


 けれども、そんな愉快な彼女は――下着姿なのだ。


 カイトは笑いを止め、目を細めた。


 余りに不似合いに見えたのだ。


 それどころか、痛々しいくらいに。


 普通は男を喜ばせるハズのガーターベルトすら、カイトは、見てはいけないもののように思えた。


 スレていないどころの話ではなかった。


 酒の席で男にしなければならないことを、ホステスでなくても知っているようなことを、彼女は全然知らないのである。


 この店が、本当にどういう店か分かっているのか。


 じっと彼女を見ると、視線に気づいて我に返ったらしく、慌てたようにウィスキーの瓶を取った。


 何か握っていないと落ち着かないのか、まだ全部飲み終わっていないカイトのグラスに注ぎ始める。


「おめー……名前は?」


 ホステスに名前を聞いたのは、生まれて初めてだった。


 何しろ、いつも相手が勝手に名乗っていたし、別に知りたくもなかったからだ。


「え?」


 彼女が、ぱっと顔を上げる。


 すぐ側の、チョコレート色の目。


 カイトの胸が――音を立てた音を聞いた。


 卵の薄皮が破れるような音だ。


「名前……?」


 彼女の赤すぎる唇が、それを繰り返す。


 カイトのすぐ側で。


 吸い込まれそうに、なった。


 カイトは、もっとその目をのぞき込みたくなったのだ。

 背中が、彼女の方に近づこうと傾く。


 あと3.7センチ。


「きゃあ!!!」


 しかし、風船は弾けた。


 彼女が悲鳴をあげたからだ。


 ビクッとカイトは身体を引いてしまった。

 自分の行動に悲鳴をあげられたと思ったのだ。


 しかし、そうではなかった。


「ああ……すみません!」


 彼女は、グラスにウィスキーの瓶を傾けたままだったのである。

 溢れだしているのに、いま気づいたのだ。


 慌てて、オシボリで拭き始める。


 見れば、カイトのズボンの裾にもかかっていて。

 床に膝をついて彼女が拭こうとする。


 ――!


 何故か、それが無性にイヤだった。


 彼女がそういうことをする姿を見たくなかったのだ。


「別に構わねーから……」


 カイトは、最初はそっけなく言った。


「でもでも……ああ、本当にすみません……」


 彼女はまだ床にいて。

 オロオロしながら拭こうとするのだ。



「すんな! っつってんだろ!」



 カイトは、彼女のむきだしの二の腕を掴むと怒鳴りながら引っ張り上げ、イスにどすんと座らせたのである。


 スプリングで、一瞬跳ねる黒い髪。


 オシボリを持ったまま、彼女はその席で硬直した。

 それもそうだ、カイトは怒鳴ってしまったのだから。


 チッ。


 どうにも、調子が狂っている自分に苛立つ。


「お客様……何かうちのホステスが粗相でも?」


 さっきの彼の怒鳴りに飛んできたウェイターが、めざとく惨状を確認する。


 溢れたグラス、テーブル。


「申し訳ありません、お客様! すぐに別のホステスを呼びますので!」


 そうして、硬直したままの彼女を連れて行こうとした。


 その手を――カイトは、叩いた。


「他はいらねー……こいつでいいんだ」


 うせろ。


 とまでは言わなかったが、カイトの目は、しっかりそれを伝えていた。


「え……あ……しかし」


 徹底した拒否に、驚くウェイター。


「……聞こえなかったんなら、もう一回言ってやるぜ?」


 もうちょっとつつこうものなら、また怒鳴るぞ。


 そういう気配で言うと、慌ててウェイターは逃げて行った。


 クソッ。


 本当に自分のリズムを作れないまま、カイトは固まったままの彼女を見る。


 どうしたらいいのか、全然分からなかったし、自分が何をしたいのかも分からなかった。


 彼は。


 表面張力で震えるグラスをひっつかんだ。


 ほんのわずかの衝撃でも、溢れそうになっているそれだ。

 乱暴に持つまでもなく、簡単に彼の膝を汚した。


「あっ……!」


 それに、彼女が驚きの声をあげる。


 膝やシャツの胸が、こぼれるウィスキーで汚れるのも頓着せずに、カイトはそのグラスをあおったのである。


 勢い余って、顎も、喉も汚れた。


 でも気にせずに、彼はグラスの中を全部飲み干したのだ。


 ガン、とテーブルにそれを戻し、乱暴に口を拭った。


 身体中が、カーッとなったのが分かった。


 酒には弱い方ではない。


 しかし、ああいうムチャな飲み方もしないタイプなのだ、彼は。


 ただ、この空気にどうにも耐えられなかったのである。


 全身にアルコールが駆け抜ける。


 熱い。


 カイトはそう思った。


 自分のグレイの目が、もっと濃くなったような気がする。


 そんな気持ちのまま、もう一度顎を拭いながら、彼女を見た。


 薄皮が破れる音が、またシャツの下から聞こえた。


「あの……オシボリ……」


 取ってきます。

 

 汚れたままのカイトの惨状を思い出したらしく、彼女は立ち上がろうとした。


 その手首を掴んでいた。


 ※


 イスに引き戻す。


 不安そうな目。


「あの……」


 次の言葉が探せない目。


 身体が熱い。


 胃の内側から、胸の内側から、瞼の裏側から、どっと熱が溢れてくる。


 目が伏せられる。


 彼の視線に、穴だらけにされるとでも思ったのだろうか。


「あ……どうして……さっき……他の人と……」


 彼女が何か言おうとする。しかし、カイトはその言葉を聞いちゃいなかった。


 その、むきだしの肩。


 イヤだった。


 さっき、自分の足元にひざまずいていた彼女を見た時に感じた衝動と同じものが、更にひどくなって戻ってくる。


 イヤ、なのだ。


 何がどうイヤなのか、自分でもよく分かっていなかった。


 ただ、彼女がここにいて、こんな格好で、こういうことをしているのがイヤだったのだ。


「何で……おめーは……んなトコで働いてんだよ」


 カイトは――掴んだ手首を離せなかった。


 どう見ても、いい家庭で素直に育ってきた女だ。

 そんな女が、何故こんなところで。


 小遣い稼ぎなら、もっと別の手を考えればいいのに。


 ヤバイ男でもついてんのか。


 カイトの頭の中が先走る。


「それは……」


 彼女は言いよどむ。


 手を掴まれたままうつむいて、言葉を途切れさせてしまった。


「金か……?」


 カイトは、単刀直入に口にした。


 彼女の身体が、また硬直したのが分かった。

 掴んでいる手首から伝わってきたのだ。


 いや、伝わるまでもなく、見ればすぐ分かる。


「言いたく……ないです」


 声が、震えていた。


 気丈に、いろんなものをこらえている音に聞こえて、カイトの胸をしめつける。


「言え!」


 しかし、カイトは許さなかった。


 踏み込む権利は、彼にはない。


 しかし、権利とかそういうものを、カイトは考えてもいなかった。


 どうしても知りたかったのだ。



「言えっつってんだろ!」



 その固い身体を。


 カイトは。


 抱きしめていた。


 ※


 オレは酔ってる。


 酔ってるんだ。


 酔ってるから、ランパブの女に。


 悪酔いした――ワケねーだろ!!!!


 カイトは、はっきり分かっていた。


 いま、自分がしっかりと彼女を抱きしめていることを。


 身体が熱いが、意識はちゃんとある。


 何から何まで分かっていた。


「言え……」


 なのに、分からないことがある。


 どうして彼女を抱きしめてしまったのか。


「あ……あの……お客様……」


 しかし。


 腕の中の女は、ひどく困って震えた声で、それを言ったのだ。


『お客様』、と。


 チクショウ!


 イヤだと思う気持ちが、またガンガンに跳ね上がる。


 彼女にとって自分は『お客様』なのだ。


 この女にとって、他の全ての客と同じ扱いということである。


 カァっと、また頭の芯が熱くなる。


 けれども、この腕を離さなければならないこともカイトは知るのだ。


 でなければ、客だという立場を利用して酔ってふざけて抱きつく男たちと、まったく同じになってしまうのであるのだ。


 クソッ。


 気づけば、抱きしめたままこわばっていた、自分の腕をようやくはがす。


 強く抱きしめていたのに、その感触なんか覚えていなかった。


 全然、腕に残らなかったのだ。


 カイトは――彼女の何も抱きしめていなかったのである。


「すみません……」


 彼女は、膝一つ分だけ彼から離れて座った。


 警戒されたとしても、カイトには文句を言えるハズもなかった。


 二人。


 お互いを見ないまま、ただ沈黙がもやになる。


「何で……ワケ話さねーんだ」


 長いもやの中で、少しだけ落ちつくことのできたカイトは、空になったグラスを持ち上げながら呟いた。


 彼女が、ウィスキーの瓶を持とうとしたが、それを途中で奪い取る。


 勝手に自分でつぎ始めた。


「言っても……」


 彼女は声を震わせながら、ようやく口を開ける。


「言っても…もう、しょうがないことですから」


 うつむいて。


 けれども、覚悟が全然足りていない声。


 この世界で彼女が生きていくには、どれくらい傷だらけにならなければいけないのか。


「クソッ……」


 自分の苛立ちを、そう声にしてしまった。


 隣の身体が、それに震える。


 何で、今日会ったばっかりのランパブのホステス相手に、ムキになっているのか分からなかった。


 何で、こんなにイヤなのかも分からなかった。


 隣を見る。


 下着姿であったとしても、全然そういう欲求が煽られなかった。


 何かしようものなら、自分が世界で一番サイテーな男に成り下がったような気がする。


 ランパブだろうがソープだろうが、行ったことのある男なのに、だ。


 けれども、自分以外の男が、彼女を見て自分と同じように考えるだろうか。


 絶対に違うだろう。スレてないのをいいことに、彼女を――!!


 ガタッ。


 カイトは立ち上がった。


 耐えられない想像が、頭の中を渦巻いてしまったからだ。


 やっぱり、どうしても、絶対、イヤだった。


「お客様……」


 ボックスから、彼が出て行こうとするのに驚いて、彼女が声をかけようとする。


 カイトは、くるっと振り向いた。


「いいか……そっから絶対出てんじゃねーぞ」


 そこにいろ!


 強く言い捨てると、ウィスキーで汚れた姿のままボックスを離れたのだった。


 ※


「お客様…いかがなさ…!?」


 ザッザッザ、ダン!


 出入り口のところにある受付に、カイトは大股でやってくると、そのカウンターにガンと片肘をついた。


「おい…オレんトコにいる、あの女は何だ?」


 顎で、暗いボックスを指す。


 本人がしゃべらないなら、周囲にしゃべらせるだけだ。


 あれだけ毛色の違う女だから、周囲からも浮いているに違いなかった。


 受付の、ぴっちり派手なスーツを着込んだ女は、横目でカイトが指すボックスを確認すると、にっこりと営業の笑みを浮かべた。


 派手な化粧でごまかしてはいるが、結構年齢は高そうだ。


 店の中のことには詳しいだろう。


「ご不興を買いましたのなら、すぐに別のホステスに替えさせていただきますが…」


 ウェイターと同じことを言った。


「んなんじゃねぇ……何で、あんなのが、ココで、働いてんだ」


 カイトは、一単語ずつ区切って、つきつけるように言った。


 聞いていることの、どれもこれもが気に入らない。


 それがにじみ出ている声だった。


「申し訳ありませんが、スタッフのプライベートまではお答えできかねま……」


 くだらない言葉が続きそうな予感は、最初からあったのだ。


 カイトは、尻ポケットから札入れを取った。


 そのまま、手を突っ込んで一掴み札を抜き出して、彼女の目の前に無言で置いた。


 これが、彼のやり方だった。


 強引で乱暴な経営。


 業界で、彼を形容する言葉がそれだ。


 このカイトの性格のせいである。


 それでも破綻しないのは、ソフトの質がズバ抜けて高いことと、サポート役がしっかりしているからだった。


 女は、焦ることなくそのお金を取って引っ込める。


 かなり肝のすわっている。


 ランジェリー女とは、格が違うとでも言いたげな表情で。


「お客様……よろしければ、私とあちらのボックスでお話しませんか?」


 空いている、別の個人用ボックスを指す。


 カイトは、無言で歩き出した。


 ※


「何であの子のことを知りたいのかは分からないけれど……おススメはしないわよ」


 ボックスに入るなり、女の口調が変わった。


 受付用の顔から、即座に獲物を狙う豹のようなイメージになる。


 骨の髄から、裏で生きてきた女の匂いだ。


「あの子には、ね…うちのボスに借金があるのよ」


 タバコをふかしながら、彼女は言った。


 予測の範疇だ。


 やっぱりあの女は、自分の意思で、ここで働いていたワケではないのだ。


「父一人、子一人だったみたいだけど、その父親が過労死だか何だかして、フタを開けてみたら……娘に残ったのは、事業に失敗した借金だけってケースよ」


 タバコを灰皿に置くと、手慣れた動きでカイトのために水割りを作る。


「でも、うちのボスが借金の相手でよかったわよ。まだ、ランパブで済んでるんだから。普通なら、ソープよ……分かるでしょ?」


 きらっと、女の目が光った。


 カイトは、無言で不機嫌を強める。


「でも…ソープに行くのも時間の問題かもねぇ。こういう商売は、慣れちゃったら、どんどんエスカレートしていくものだから…その方が、借金も早く返せるしね」


 ふふっ。


 女は、嬉しそうに笑った。


 あの女が墜ちていく姿でも想像したのだろうか。


 カイトの思いは、それとは反比例だというのに。


 奥歯を、ギッと噛む。


 眉がつり上がっているのを、自分でも気づけないまま。


「いくらだ?」


 作って進められる水割りに手もつけず、カイトは早口で聞いた。


「さぁ? 1千万だか2千万だか忘れちゃった……家とか全部売っても、それくらい残ってるんじゃなかったかしら?」


 若い女の子一人が背負うには、大きな金額よね。


 カイトにしなだれかかろうとする身体を手で止めた。


 そのまま立ち上がる。


「ちょ、ちょっと!」


 まさか、彼が歩き去ろうとするなんて思ってもいなかったらしい。


 慌てて呼び止める女に向かって、カイトは怒鳴った。


「………い!」


 それを聞くと、女はひどく驚いた顔をした。


 しかし、カイトは彼女の反応を待つこともなく、自分のボックスに戻り始めたのだった。

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