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山茶花の嫁  作者: 櫻木サヱ


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声にならない役目

屋敷での生活は、日を追うごとに整っていった。

それは、紗夜が何かを変えたからではない。

変えないことに、徹したからだ。


朝は早く起き、身支度を整え、宗一郎から伝えられる予定を聞く。

必要とされれば顔を出し、不要とされれば引く。

口数は少なく、表情は穏やかに。


「奥様は、本当によくできた方だ」


そう言われるたび、紗夜は小さく頭を下げた。

褒め言葉として受け取る術は、もう身についている。


領主の妻として、人前に出る場もあった。

村の者たちに挨拶をし、困りごとを聞き、久遠の名を穏やかに伝える。

余計なことは言わない。

自分の意見を混ぜない。


それが、嫁の役目。


「奥様は、落ち着いておられますね」


年配の女たちがそう言って微笑む。

紗夜も微笑み返す。

その笑みが、本物かどうかなど、誰も気にしない。


屋敷に戻ると、静けさが待っている。

広い廊下、閉じた襖、低く抑えられた足音。

久遠の姿は、ほとんど見えなかった。


夜、部屋に戻り、灯を落とす前。

紗夜は、ふと手を止めた。


今日一日、自分は何を感じただろう。

喜びも、悲しみも、怒りも。

思い返そうとしても、言葉が浮かばない。


感じないようにすることが、役目だったから。


胸の奥に手を当てる。

そこに何もないわけではない。

ただ、声に出すことを許されていないだけ。


「奥様」


障子の向こうから、千代の声がした。


「何かございましたか」


「……いえ」


そう答えてから、少し間を置く。


「千代。あなたは、この屋敷を寒いと思う?」


唐突な問いに、千代は一瞬黙った。


「寒い、というより……静かすぎるのだと思います」


その言葉に、紗夜は小さく頷いた。


静かすぎる。

感情の音が、抑え込まれている。


「奥様は」


千代は言いかけて、言葉を飲み込んだ。


「なんでもない」


その優しさが、少しだけ痛かった。


夜更け、庭を見下ろす。

月明かりの下、山茶花がいくつか落ちていた。

花ごと、音もなく。


あれは、耐えているのか。

それとも、選んで落ちたのか。


紗夜は、まだ分からない。

自分がどちらなのかも。


声にならない役目を果たしながら、

彼女は静かに、冬を重ねていた。

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