『波瑠先輩』のこと
森下くんが泣きながら、「戻るから大ごとにしないでほしい」というので、私はとりあえず自分の部屋に森下くんをあげて、事情を聞くことにしました。
確かに、高校生にしてみれば厳しすぎる練習です。
嘘か真か、山で練習をする生徒たちの声が、山の麓の街にまで響くって噂が立つほどなんです。
朝五時からの体力トレーニングに、学校から帰ってきてからの技術トレーニング。
寝て、目が覚めたらまた朝から繰り返し。
トレーニング、トレーニング、トレーニングの日々です。
監督がまたおっかないんです。
演劇界のどんな演出家にも、あんなおっかない人はいなかった。
山の上だから近所の目に触れる心配もないということで、パンチキック、棒で打つなんてのは当たり前なんです。
あの温厚そうな監督が、練習になると人が変わるんです。
それを毎日ですよ!? 本当に軍隊ですよ……。
私は野球に詳しくはないものですから、当時は何をそんなに……と思ってしまいました。
心も体も擦り切れます。
私が生徒だったら逃げたくもなります。野球のない世界に、行ってしまいたくもなります。
ところが森下くんの場合はそうじゃありませんでした。
「練習がきついのかい?」
と私が聞くと、
「もっと厳しくたっていいです。上手くなれるなら」
なんて、彼がいうんですよ。それを聞いて私はびっくりしてしまいました。
彼の悩みは、投手という独特の職業からきているものでした。
野球を知らない私は、チームの責任なんて九当分なんじゃないのかって思ってました。
ところが、エースというのはそうもいかないみたいなんですね。
エースの投球はチームの全てなんです。エースが取られた一点を、チームが二点で返さないといけないんです。
森下くんは既に、私の前で大泣きしていました。
「自分は、波瑠先輩にはなれません」
波瑠先輩というのは、森下くんの一学年上の子らしいです。私は知らなかったのですが、聖花付属中からスカウトが引っ張ってきたとんでもない投手がいたらしくて、
高二の秋で既に、サイドスローで百五十キロ近いボールが投げられたのだそうです。
プロのスカウトもみんなこぞって波瑠という投手に注目し、今年の春の甲子園では、波瑠、神林のバッテリーが優勝に導いたというほどの大エースだったのだとか。
……では夏はどうだったのか?
もちろん、松ヶ谷高校は甲子園に出場したのだそうです。ベストフォーの試合でした。
監督が、「もう波瑠は十分球団にアピールできたから、次(の学年)の投手を試す」
と、突然言い出したそうです。
監督は、破天荒なことは絶対にしません。定石という名の石橋を、何度も叩いて渡る人です。
そんな監督が、ベストフォーの試合でエースを変えるなんてことは、正気の沙汰ではないのです。
とにかくそこで森下くんが急遽、次の年のエース候補になったそうです。結果は、惨敗。波瑠くん達三年生は引退しました。
森下くんが悔しかったのは、チームに対しての申し訳なさじゃありませんでした。
抜き打ちテストのような、この試合に負けたことでもありませんでした。
今まで『波瑠先輩』という大投手に隠れていた自分が許せなかったのだそうです。
このベストフォー大敗でメディアに貼られたレッテルと言いますか……、『投手不作の年』と呼ばれていたのは、スカウトのせいだけではないと思うのです。
圧倒的な投手、波瑠の後釜を、誰も務められなかったというだけの理由なんです。
誰彼関わらず、波瑠くんと森下くんを比べるのだそうです。
森下くんは、身長も、球の速さも、全イニングを完投する体力も、波瑠くんには到底及ばないそうです。
だけど、この学年の『エース』は、森下くんしかいません。
それが耐えられなくなり、そんな理由で監督が怖くなり、自分のせいでチームが負ける責任に耐えられなくなったのだそうです。
……そういえばもうすぐ、秋の全国大会が始まります。
二年生が中心の『新チーム』を、世間にお披露目する初めてのゲームです。
……
『脱走を企てる生徒が現れたら、チーム(この場合のチームとは、関係各者全員を指す)の士気に関わることなので、
真っ先に監督に報告するように』との命令が出ております。私も、そうするべきだと思いました。
しかし、森下くんは泣いてそれを止めるのです。
監督に言わないでください。
これは、自分の一時の弱さから出てしまった間違いです。
見なかったことにしてください。お願いします。
彼を部屋に返した後、私はどうしたらいいのかわからないでいました。
確かに、チーム全体に関わることです。
監督に報告すれば、森下くんは退部になるでしょう。
『虫に刺された子では無かった』として、普通の高校生に戻れるでしょう。
それは彼のためであるのかもしれない。
何よりチーム全体のためである。
しかし……森下くんが抜けたら、チームの『エース』が不在になる。もちろん他にも投手は沢山います。
でもそれでいいのだろうか?
新チーム発足のスタートが、『エースの脱走』から始まっていいのだろうか?
この日は眠れなかったのを覚えています。かぜの強い日で、窓が揺れるたびに目を開けてしまいました。
監督は明日の四時にはやってくる。このことを言うべきか、言わないべきなのか。
嫌な夜でした。
次の日の朝四時ちょうどに、監督はやってきました。
「おはよう」 と、我々一人ひとりに挨拶をします。
私は、結局言えませんでした。監督の顔を見たら、言う勇気が芽生えると思っていました。
結果は違いました。言えませんでした。
北澤さんにも言えませんでした。早めに言って仕舞えば、傷は浅かったかもしれない。
けれども一度タイミングを逃しては、もう言葉を吐き出す勇気なんて、出てきませんでした。
私は、出来事を飲み込んだのです。
これが正しい判断なのか最後までわかりませんでした。
秋の全国大会は、初戦敗退だったそうです。それでも森下くんはエースの座から降りることはありませんでした。
私は、この時は後悔した……と思います。
むしろ自分を責めました。黙っているなんて、どうして会社の規律に逆らってしまったのだろう?
このまま甲子園に行けなかったらどうする? 松ヶ谷のブランドが落ちたら、その責任の一端は私にあるのではないだろうか。
数日間は、生きた心地がしませんでした。
これが、私の知っている……
森下、神林のバッテリーで甲子園の春、夏を連覇し、夏のベストフォーでは完全試合。
プロ一年目でノーヒット・ノーラン。相手チームの投手波瑠に投げ勝つというとんでもない記録を打ち立てた、後の森下明宏という投手の話でした。