『野球の虫』のこと
北澤さんの話では、神林くんの学年は、実は『不作の年』と呼ばれていたのだそうです。
ずば抜けて出来が良いのは、一年生の時からマスクを被っていた神林くんだけで、他は特に目立つ生徒もおらず、
特に投手は致命的と言われていました。
山の上で練習しているからなのか『山賊軍団』と呼ばれていた松ヶ谷高校野球部が、主力の最高学年が全く打てない、守れない学年になってしまった。と、
評論家からの噂が立っておりました。
気が気ではないのは、スカウトの面々です。
松ヶ谷高校野球部は、部員が一学年二十人という少数の部活動です。なぜ二十人かというと、寮で暮らすのが前提で、部屋数の問題から何百人も入部はできないのです。
ですから、スカウトの方々が死に物狂いで日本全国を駆け回って、将来プロになりそうな中学生の野球少年を探してここに入部させるのです。
当然、全員スカウトが連れてくる最強のはずの二十名です。
ですから『不作』と言う評価は、スカウトへの評価でもあるのです。
スカウトの方々と我々用務員とは、全く接点がない……かと言うとそうでもなく、年に数回、顔を合わせることがあります。
あれは私が天布山に来て、ほんの数日のことでした。
「今日は下見があるから、朝九時から十時の間は、用務員は自室から出ないように」
リーダーの北澤さんが我々に言いました。
下見とはなんのことなのか私にはわかりかねておりますと、寮の前に見慣れない車がやってきまして、スーツ姿の若い女性が寮に入ってきました。
北澤さんが私を彼女の元まで連れて行き、顔合わせの挨拶をさせました。
お互いに名刺を交換しますと、
「……ふるやさん……というのですか?」
「あ、これで『こたに』と読むんです」
「大変失礼いたしました。戦略担当の箕輪と申します。
今から、中学生が一人、下見に来ますのでよろしくお願いします」
といって、箕輪さんは頭を下げました。
この、『よろしくお願いします』というのは、『部屋にから出ないでください』という意味がこもっていたのだと、後で知ることになります。
というのも我々用務員は、全員コワモテなものですから。山奥でコワモテの用務員と生活しないといけないなんて思われると、
怖がって入部してくれない可能性があるのだとかで。実際、「天布山にはヤクザの事務所がある」なんて噂が立ったほどですから。
新入生の勧誘には最大限気を使うようでございます。
下見にきた中学生が一通り見て回った後のことでした。
箕輪さんと少しだけ世間話をする機会がありました。
「監督はいつも箕輪さんたちスタッフの方々に、『野球の虫に刺された子を連れてこい』って言ってるそうですね」
「あ、今はそういうことになってるんですね」
箕輪さんは笑いました。
「正直、自分達はどこかの国の工作員とやってることは一緒なんじゃないかって思ことありますよ。
『うちに来れば絶対プロになれるよ!』みたいな言葉で釣って、プロになれる確率は二十分の一。
彼らにとって貴重な青春の三年間はずっと野球。そのままプロに行ったらそこから十年、二十年もずっと野球。
そんな世界に夢をちらつかせて連れてくるんです。
まともな精神じゃ無理です。この仕事は」
「お疲れ様です。……『野球の虫』って、なんのことですか?」
「ですから、これからの人生、野球に費やす覚悟がある子だけを連れてこい。って意味だと思うんです。
これからの人生、本当に野球しかできない人生になっちゃうかもしれない。
大きな怪我だってするかもしれない。でも仕方がない。なんたって、『虫に刺された子』なんだから。
…… ……私も、古谷さんも含めてここはそういう『チーム』ですよ。お金になりそうな子供を集めて、育てて、出荷するんです」
* * * * *
……問題が起きたのはその晩のことでした。
私が部屋にいると、ベランダの茂みがガサ……と不自然に揺れた気がしたんです。
迷い込んだ野生動物かもしれない……。私は、事務所の刺股を持って、外に出ますと、
野生動物の正体がわかりました。
この時間にリュックを背負って、山を降りようとする野球部の生徒でした。
「どこにいくんだい!?」
と、私が大声を出すと、生徒は観念してゆっくりとこっちを見ました。
それは、神林くんと同学年で投手の、森下くんでした……。