岩崎、阿久津、石川伝 一
(岩崎、阿久津、石川伝 一)
つまんねえ。野球ってつまんねえ。
石川先輩が病気で登板できないってなった時、そう思ってしまった。
どうせ俺に勝てる同世代なんて誰もいない。ピッチングだけなら、先輩にだって負けない。
唯一対抗馬だと思っていた石川先輩だって、結局ビョーキになってしまった。
この調子なら、順当に俺がエースになるんだろう。
Pray抜けてここ(松ヶ谷)にきたのは、自分を打ち負かしてくれる選手がいると思ったからだ。
その想像は裏切られた。
今やなんの障害もなく、松ヶ谷でエースになろうとしている。
つまんねえ。もっと、やべえ選手とかはいないのか。
俺を焦らせるような、そんな投手はいないのかよ。
山の上で、俺はとっくに干からびていた。
* * * * * * * *
松ヶ谷高校野球部には、マネージャーがいない。
マネージャーの仕事は代わりに専属スタッフが行う。
まあ何が言いたいかというと、山には女人禁制の掟がある。もちろんこの場合の『女人』とは、同世代の女子の事を指す。
短い青春。それも高校生と言ったら青春のど真ん中である故、異性との交流がないというのが一つの『迷いどころ』になる。
……野球に関して、将来に展望が無いものにとっては尚更である。
無名校? 上等じゃねえか。自分だって三年間努力すれば、松ヶ谷でレギュラーになれるんだ。
ずっとそう、信じていた。
松ヶ谷に入学が決まった時、同級生のチームメイトに、すごい学校から来た凄いやつがいる、という噂話を聞いた。
そいつが自分と同じポジションだと知った時、まだ自分を信じてた。
阿久津の投球を実際目にした時、自分の中で何かが終わった。
まるで、白鯨か何かを実際に目にした時と同じ気分だ。
あんなのには、勝てっこない。
そして、まさに白鯨から逃げるように、自分もあっさり阿久津にマウンドを譲ってしまった。
* * * * * * * * * * *
「リョウマー」
そう呼ばれて、松ヶ谷高校野球部二年生の岩崎諒真はふと我に返った。
すでに五時限目が終わり、放課後を告げるチャイムが鳴り終わった後だった。
入学したての頃は、急いで支度をして、山に帰らないと、と思っていたのだが、
その気持ちは正直、腐っていた。
自分が最悪戻らなかったとして、戦力が落ち込んでいる松ヶ谷とはいえそこまで大きな問題にならない、というのが正直な想像である。
「ねえリョウマ」
ところで自分に声をかけるのは、クラスメイトの長谷川……長谷川楓。女子だ。
夏休み前に知り合って、何かがきっかけで仲良くなった。
知り合った当時は楓のことも、別になんとも思ってなかったのだが、ここのところは妙に女子っぽいところばっかり目がいくので、困る。
「一緒に『帰ろ』」
これだ。これを毎日言ってくる。
帰ろ……と言われても自分は学校を出たら送迎バスに乗って山に帰るんだよ。
そこには、女子は入れねえんだよ。
楓だってそこんとこの事情はわかってるはずなのに、それでも毎日言ってくる。
二人で学校を出て、二人で校門を出るところまでが自分達の『帰宅路』だった。
教室のある三階から、なんとなく遠回りをするために音楽室を通り抜けて階段を降りて、一階で購買と、図書室と、保健室を通過して、
下駄箱で靴履いて、校庭を歩き切るまでが。
……この時間が一生続けばいいのになって思ってしまうようになった。
少なくとも、少ない時間で楓の特に意味のない話相手という役をおおせつかってる内は、楓の役には立っている。
山に登ってからの自分は、特に意味がない。
ひたすらきつい練習に耐えるだけだ。そして耐え抜いた先にはおそらく何もない。
……女子と一緒に歩いている自分を、もしチームメイト達はどう思っているんだろう?
自分が俯瞰で見てる立場なら? 女子なんかと歩いてる自分に説教してあげたろうか? オイ先輩の気持ちになって気を使えねえのか って……。
残念ながら自分の場合、怒ってくれるチームメイトはいなかった。
「あいつは終わったな」
多分、そう思われている。
今辞めたらどうなるだろう? 無くしかけた青春を取り戻すのだ。
天布山を降りて、他のやめたやつと一緒に一般寮に引っ越す。そして、夏は楓と花火とかに行って、
門限ギリギリに帰って寮長に怒られるんだ。
…… ……魅力的だなあと思ってしまった。
そんなことを真剣に迷っていたら、教室から出てからせっかく遠回りして音楽室の前に着くまでの時間を無駄にしてしまった。
楓はずっとしゃべっていた。自分に。何もない自分にずっとしゃべっていた。
音楽室で足が止まった。誰かがピアノを弾いている。
足が止まってしまったのは普段興味も湧かないピアノの音に惹かれたからなのか、この時間を一秒でも引き伸ばしたいからなのかはわからなかった。
無茶苦茶うまかった。そして黄色い声援みたいなのも聞こえて、
思わず音楽室を覗いてしまった。
……思わず息を呑んだ。あれは、チームメイトで一個上の……石川先輩だ。
自分がコソコソとささやかな青春の移り香を堪能している時に、この先輩は、
マウンドの上だけで飽き足らずこんな場所でも『エース』を取ろうとしているのだ。
なんだか自分が本当にちっぽけな存在に思えてきた。いや最初から尊大なイメージなど持ってはいなかったが、
ここ最近、本当に自分は何者でもないんだなと、いやでも思わせられるのだ。
……そういう時期なのかもしれない。
そして、そんな時期にまた、楓は迷わせてくる。
「もう今日も終わっちゃうね」
「うん」
「ねえ、リョーマともっと喋りたいよ」
「……うん」
うん、以外の言葉が出てこなかった。もっと気の利いた言葉はなかったのかと回想しても、「うん」以上のものが見つからなかった。
何者でもない自分には身の丈に合った言葉だと思う。
「リョーマと行ってみたい場所とか、いっぱいあるのにな。
……でも今リョーマ、頑張ってるんだもんね」
「…… ……俺がさ……」
「え?」
「俺が、『頑張るの辞めても』、楓は俺に話しかけてくれるか?」
「え、全然話すよ! 私野球ってあまり興味ないし」
自分では、一応、覚悟のいる質問だった。なのに本当にあっけない答えが返ってきたのだ。
これで決まった。
やめよう。山を降りよう。フツーの高校生に、戻ろう。
その日、初めて前向きな気持ちで山に帰れた気がする。
そうだ。辛かったら、全然、辞めていいんだ。
そんなことを考えて、むしろ覚悟か固まった。
後一回でも先輩やコーチや監督に怒られたら、山を降りてやる。
* * * * *
覚悟を固めて練習に挑んだ。
「リョー」
夕飯の時間に声をかけてきたのは、大エース石川先輩だ。病気でマウンドを、阿久津に譲るらしい……。
そんなことがあっても石川先輩が雲の上の人だ。そんな人が、自分になんの用だろう?
「リョーのフォーク、面白いね! もっと見せてよ!」
……ああこれだ。
諦めかけた時に、どうして運命は希望をちらつかせてくるんだ。




