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不吉なこと

 山の空気が重たい時期でした。

 吸い込む空気が、まるで鉛か何かのような質量を持っていそうでした。

 

 ここのところ生徒たちの姿勢も猫背気味に見えてしまいます。

 この子たちは、親と離れた生活をしている。

 親たちに代わって、悩んでいる子たちを導いてあげるのが、そばにいる大人の役目なのでしょうが、

 我々のようなスタッフには、何もかけてあげられる言葉は見つかりません。

 ただただ、グランドを整備して、マシンを整備して、部屋を掃除して、

仏頂面で廊下に立つ。それが我々の仕事なのですから。

 しかし……こういう環境ですから……

 生徒たちの姿勢が曲がっていると、我々まで気落ちしてしまいそうでした。

 みんなして、首を下にして、夏の終わりのひまわりみたいでした。


 松ヶ谷高校の、「石川世代」と呼ばれた、

石川君たちが最上級生のチームは、春のセンバツで予選敗退。

 その原因は一概には言えませんが、川崎君の送球エラーと、石川君の体調不良でした。

 

 診断結果によると気圧性の偏頭痛とのことでしたが、山を降りると頭が痛くなってしまうようでした。

 ……それだけ聞くとあまり聞き馴染みのない偏頭痛ですよね。

 高山病の逆ってことでしょうか……?

 体が山に順応しすぎてしまった……のでしょうか。

『カーブをコントロールする精密機械』として雑誌にも紹介されるに至った石川君の、まさかのウィークポイントでした。


 川崎君のイップス再発も懸念されました。

「オーバースローしたら暴投になるから、下投げしろ!」

 と、コーチに言われているものの、どうしても、試合中イザ送球する時になるとオーバースローになってしまうのです。

 これがイップスか。と、遠くで見ていて恐ろしくなったものです。

 

 思い返せば演劇界、俳優にもイップスはありました。それは決まって演出家がおっかないく、

俳優に課する要求が特殊なところが多かったと思います。

 パッと思い出せる例で……「セリフの『音程』が違う」という……いわゆるダメ出しですか。

 役者は、役に『成りきって』、『その場に居る』ことが仕事です。

 その場でただ生きている人間が、どうやって自分の『セリフの音程』なんて気にしましょうか?

 今まで意識したことない部分が気になり、音程を直そう、直そうとするたびに他の部分がおかしくなってしまう。

 結局、演出家の求める音程に戻せない。

 これが、よく見るイップスでした。

 根が深いのです。人間の心は。


 川崎君と石川君。よりにもよって、この世代で大活躍が期待されたスーパースター二人に課せられた、

軽くはない試練でした。


 石川君は、この偏頭痛を機に、自分の将来のことを真剣に悩み始めたといいます。

 この頃彼は、自分が山を降りたら何もできなくなってしまうのではないかと本気で思い、

よくない妄想に取り憑かれていたといいます。

このままでは、野球はおろか、山を降りたら何もできない人間になってしまうのかもしれない。


「考えすぎだよ」と言ってあげられれば、どんなにいいことかと思います。

 しかし、自分の心に巣食うネガティブは、他人の言葉ではなかなか払えないというのも、また人間の心です。残酷ですよね。


 雲行きが険しいまま、また新入生が入学してくる季節になりました。

 雲行きが険しいといえば……、今年は珍しく豪雪だったのでバスが遅れているそうです。

 この年に入学してきたのが、やがて『四天王世代』と呼ばれる子たちでした。


 中でも投手の沖田くん。捕手の中原君。一塁手の東くんはこの、遅れてやってきたバスに同時に乗り合わせていたそうです。

 

 最近は、監督の顔もおつらそうです。

 うまくいかないことばかりでまいっているのかもしれません。

 わかっていても、我々にできることは限られております。


 重々しい山の空気が、重々しい雲を押し流していきました。

 そうして冬を押し流していき、春がやってくるのです。

 

 

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