山を降りること
季節感のない山ですから、夏の訪れを教えてくれるのは天気予報ばかりです。
そんな生活ですから、天気予報が言っている事もどこか現実味がないのです。
他人事というか……ドラマか何かを見ているような感覚でしたね。例えば、県の「天気は快晴」という予報を、
大雨の中で聞くなんてことが珍しくない生活なのですから。
季節を告げるものは、後は、三年生の引退です。
私にしてみれば、八月が来る前に三年生が山を降りるのは初めてのことでした。
みんなは一学期の途中なので、下山の準備が慌ただしいようでした。
服部くんは、退院できたと思ったらすぐ、寮を出て行かなくてはなりませんでした。
主将の八木橋くんが、用務員のリーダーである北澤さんに挨拶をしています。
「短い間でしたが、本当におせわになりました」
「本当にねえ。短かったよね」
北澤さんが悪気なくいうと、八木橋くんはもう一度頭を下げました。
「大学は? 地区大で負けちゃったけど主将だったらいいとこにねじ込んでもらえるんだろう?」
「……自分は元々、野球は高校までって決めていたので。とりあえず受験生に戻ります」
「ええ!? 今からかい!? 中村くんなんて『勉強頑張りたくないから野球やってる』って言ってたそうじゃない」
「アイツと自分は違いますから」
「へえ。人生いろいろだねえ。芸能界に行くのが嫌で山の上に逃げてきたって噂の子もいるくらいだものなあ」
「……岸のことですか。アイツは……まあ変なやつですから。
岸のことも、よろしくお願いします」
「まあ僕らがお願いされることなんてないよ。
……ところで八木橋くんさ、前々から一つ聞きたかったことがあるんだけど、いい?」
「なんですか?」
「山下くんと喧嘩でもしたの?」
「?? なんでですか?」
「同郷なんだろう? なのに仲良さそうなとこ、一回も見たことないからさ」
「……ああ。ヤマは……。ああいう奴なんです。
自分とも中村とも同郷なんですけど多分、自分が主将になって、中村か服部かエースを選ぶみたいな時に、
私情を挟まないようにしてくれたんだと思います。
主将になると人間関係も大変ですから、ヤマは、いい意味で壁を作ってくれたんです」
その後爽やかなおじぎをして、八木橋くんは山を降りて行きました。
私は、このタイミングで疑問に思っていたことを北澤さんに聞くことにしました。
「なんでこんな時期に、山から降りなくちゃいけないんですか?」
「そりゃあ、残ってる子達の邪魔をしちゃいけないからだろう」
「邪魔って……。そんな言い方もないでしょうに」
「いやあ、最後の試合が終わったら、やっぱり潔く下山させるんだと思うよ。その方が、二年生達も『最上級生』としての自覚が芽生えるだろうから」
「だけど……学業自体は、まだ残ってるわけじゃないですか。どこから通わせるんです?」
すると北澤さんは目を丸くしてこっちを見ました。
「知らんのか。別の宿舎に移動するんだよ。街の中にある。
それはそれは快適な施設だって聞いたことあるぞ。こことは違ってな。
学生達はそれを励みに、ここでの地獄みたいな三年間を乗り越えるって聞いたことあるぞ」
なるほど。と思いました。それは早いとこ、こんな山を降りたいに決まってますよね。
こうして、服部・中村世代の子達は去って行きました。




