中村圭介伝 一
夏の地区、準々決勝前日。
圭介は素振りに励んでいた。
ここのところセカンドの守備練習ばかりで、打撃練習がストレス発散の場になっていた。
……数日前までこんなことになるなんて、思っても見なかった。
打順が一番になってから、まあヒットが打てる。
そしてヒットを打つたびになんとなく、自分がこの野球部にいて許されてる感覚があるのだ。
この日に起きた変わったことといえば、圭介の元には後輩が話を聞きに来ていた。
一年生の岸である。
この岸という男、体育会系に似合わぬ外見をしており、
下手なアイドルよりも顔が整っている。
細身だが背が高く高校一年生で百七十八センチ。
女性の手でも覆い尽くせてしまうのではないかという頭蓋骨の小さに、整った鼻と眉の形に、大きい目。
まあ、目を引く。
まして、土に汚れた雑草達の巣窟に一人置いておけば、尚更岸の高嶺の花さ具合が引き立ってしまう。
岸が、芸能人のスカウト(もちろん、そんなものが来ていればの話だが)を蹴って、松ヶ谷からのスカウトを受けたのは、
足の速さと肩の強さがあったからだった。この細い腕がいつ故障するか心配になるが、高校生の間はセンター候補として申し分なかった。
打撃では計算されず、あくまで守備要員として注目されていたのは圭介と同じ境遇だった。
本人も打撃に対して、あまり興味を持ってなかったようだが……
「打撃のコツ?……聞く相手、俺であってる?」
今までほとんど会話もしてこなかった岸に話しかけられ、圭介は戸惑っている。
「あってます。謙遜ですか?」
「いやあ……俺よりも山下先輩とかに聞いたほうが……」
「僕は圭介先輩を選んだんです。圭介先輩は正直最近まで打撃はダメダメだったのに急に伸びてきた。僕はそういう人を待ってたんですよ。
元々できる人の話なんか興味ないんです」
「はっきり言うなあ……」
「で、どうなんですか? 何を変えたら打てるようになったんです?」
「うーん……全身で打つ……かなあ」
圭介はバッドを構えて打席に立つ。
「俺は目が悪いから、一生懸命ボールの行方を追って、手の力だけでバッドを振ってた。そしたら振り遅れるし打球も前に飛ばないよな」
圭介は足を動かさずに何度かバッドを振った。
「これが昔の俺……かな。で、今のはもっと……」
圭介は、左足を軽く上げて力強く踏み込んだ。
「ひょんなきっかけで『足裏』を意識したんだ。よく軸足、軸足とかコーチに言われるけど、
俺にはなんのことかわからなかった。打つのは手なのに足がどう関わってくるのか、よくわからなかったんだよ」
何度かバッドを振る。
「右足から、俺の右腕まで、一本の線として考えるんだ。軸足……俺は右利きだから右足。
球が飛んできて、インパクトの瞬間に利き足を……押し込むイメージだな。
これを意識しただけで、バッドが不思議とボールに追いつくんだよな。そして当たったらそのまま飛んでいってくれる」
岸は、しゃがみ込んでじっと、圭介の右足を見、一言も言わなかった。
「……わかる?」
「いいえ全然」
「……だよな。俺も感覚で喋ってるみたいなもんだから、上手く説明なんでできねえよ。
……今まで誰かに説明なんてしたことなかったしよ」
「はい。……ありがとうございました」
岸は突然スッと立ち上がり、寮の方へ歩いて行った。
「おい! 今監督が会議中だから寮には行くなって!」
「監督に話があるんです。ありがとうございます」
そう言って、岸は寮へと消えていった。
「なんなんだよあいつは……」
圭介は呆れて再び素振りを始ると、今度は山下がやってきた。
「お疲れ様です!」
素振りをやめて直立する。
「おう。いいよ素振りやめなくて。遅くまで頑張ってるな」
「ああ、はい……。二年生なのにレギュラー取っちゃったんで……」
「そんな事気にしてたのかよ? 真面目だなー圭介は」
「真面目じゃないすけど……勝たないと先輩達に申し訳ないんで」
「ははは。まあ、これで最後だしなー」
「はい」
圭介、再びバッドを降る。
「なあ圭介。野球ってさ、孤独だよな」
圭介、突然吹き出す。
「なんすか突然。笑かさないでくださいよ」
「えー? ははは。そんなつもりなかったんだよ。
でもそうじゃねえか? 打席に立つのもマウントに立つのも、結局一人ぼっちで、個人技の連続だ。
サッカーとかバスケみてえにパスプレーで点なんか取れねえだろ」
「ああ、そう言う事ですか。考えた事なかったっす」
「監督とかコーチがさ。『チームで勝て』『チームで勝て』って言うのはさ、
言われ続けてないとチームで戦ってること忘れちゃうからじゃねえのかな」
「…… ……哲学っすか」
「そうだよ。なんだろうな。野球って」
山下はそれだけいうとその場を去っていった。
圭介は、山下が言っていた言葉を考える余裕もなかった。ただ、セカンドの守備でミスしないこと。
……それから、一点でも得点に絡むプレーをすることをずっと意識していた。
次の日の地区大会準々決勝で、松ヶ谷は敗退することになる。
波乱続きだった服部・中村世代の終わりは、明日来ることになる。




