勤務日初日の事
勤務日初日の事も覚えてます。
グランドの近くに用務員の詰所があるのですが、そこにいたのが上司……というか先輩の、北澤さんという方でした。
他にも『用務員』という部署の人間は大勢いて、毎日毎晩、最低五人は実働していた記憶があります。
劇場勤務でもこんな人員数はいませんでしたね。
この、毎日毎晩実働五人体制の理由は、後にわかることになります。
詰所に入って、まず目に移るのが、当時は『刺股』だったのを覚えています。
こんな場所になんで『刺股?』 と私が疑問に思っていると、リーダーの北澤さんは、
「人間に使うものじゃないよ」
と笑いながら答えてくれました。詰所には他にもクマ避けスプレーなども置いてあり、とんでもないところに来ちゃったなあと感じたものです。
「古谷」だと覚えにくいので、この職場でも小屋付き時代と同じ「こやさん」で行くことになりました。
ここでの生活は、生徒たちの練習が始まってしまったら我々の仕事が一旦落ち着くという面では、劇場スタッフと共通点だなあと感じていました。
しかし生活サイクルなんかは全く異なるものでした。
何せ、毎朝三時起きです。
これが一番きつかった。まあ山の空気は美味しいので、慣れてしまえば悪いものではなかったと思います。
三時に起きて、グランドを整備し、生徒たちが使うバッティングの『ティー』であるとか、マシンであるとか、設備を点検します。
山の朝は真っ暗です。本当に何も見えないので大きい懐中電灯を『二つ』は常に持って、必ず二人以上で作業にあたるのですが、
なぜこんなに早くなくてはならないのかというと、生徒たちの練習が朝五時には始まってしまうからです。
生徒たちは、朝五時から七時まで練習をし、八時にはバスに乗って麓に行き、十五時に帰ってきたと思ったらそこからまたずっと練習です。
それを毎日やるのです。
なんというか……軍隊みたいでしたね。
しかしここは野球部の名門校。みんな中学生からプロを目指すなんて子は、当然ここの生活に憧れてくるのでしょう。
そんな子供たちの相手をする商売なんだ……。って当時は思っていました。今は……またちょっと変わっちゃったんですけれど。
とにかく時間が早く進みます。毎日、やることも覚えることもたくさんありました。
朝の三時に始まる我々の生活は、生徒たちの練習が始まるまでそこらじゅうを駆け回っていました。
生徒たちが学校に降りると、また我々の仕事です。グランドの整備、そして掃除。トイレ掃除も当然我々の仕事なわけですから。
特に我々のリーダーだった北澤さんって方はトイレ掃除にはうるさい方でして。
監督がまず、汚いトイレがダメなのだそうです。
だから一度、監督が自分でトイレ掃除をするなんて事態があったようでして、
こんなことじゃあいけない。というのでそこから特にトイレ清掃に力を入れるようになったんだとか。
生徒たちが帰ってきてすぐに練習が始まります。整備したグランドは、ものの数分で汚くなりますね。
この時に生徒たちが飲む飲料水の準備が、大事な仕事の一つです。
特に最近の風潮は、とにかく水を飲め! ですから。我々の頃とは真逆なわけです。
あの巨大なウォーターサーバー。掃除が大変なんですよ。
さて練習が終わり夜になります。
これで我々もひと段落か、と思ったらそうは行かない。
むしろここからが、我々の一番の仕事といってもいい。もちろん……生徒たちが散らかしたグランドの整備はしなければならないのですが、
ここからがこの仕事の一番、風変わりといえば風変わりな仕事がありまして……
監督が直接、我々に願い出たんです。練習が終わって生徒たちが風呂に入って飯を食って寝るまでの間、『そこにいてくれ』と。
最初なんのことかわかりませんでした。しかし……本当に生徒たちの目のつく場所に、立ってるだけの仕事だったんです。
こちらも眠いし明日も早いから早く寝たいので、何もしてなくてもこの仕事が一番きつかった。
先ほど言った、連日連夜五人実働は、実はこのためでして……
監督が言うには、
「きつい練習ときつい一日から解放されて、共同生活している生徒たちは不安になる子もいるし、弱い立場の人間に強くあたりがちになる子も出てくるのが夜という時間だ。
そういう時間がモチベーションの低下や、イップスの原因に繋がるんだ。だから、生徒たちを『見ていて』やってほしい」
ということでした。
要は監視員です。私のこの顔は、そのために役立ったわけなのですね。
そんなことをほぼ毎晩やっているもので、生徒たちとはこのタイミングで顔を合わせることが多かったと思いますよ。
……初勤務の年で特に覚えている生徒は…… ……神林健人くん、ですか。捕手の。
プロデビュー一年目でベストナインなんてすごい成績を残した子です。
あの子は特に『やんちゃ』な子で、我々とも良く接してきました。
今でも覚えてます。
「よ! おっちゃん久しぶりやな!!」
と、言われて、グータッチを求めてきたんです。初対面で。
仲間にこのことを話すと、『久しぶり』というのが彼の挨拶みたいなもののようでして。なぜかはわからないんですけれど。
「ケンと話したのか」
と同僚に聞かれて、ケンというのが神林くんのことだとわかり「そうです」と答えると……
「あいつは絶対プロになるぞ」
と言われました。
当時から言われていましたから。そのくらい目をかけられていたのでしょう。