服部・中村伝 二
【服部・中村伝 二】
頭が真っ白になった。
頭が真っ白で、帽子を脱ぐことも忘れてしまった。
十八メートル離れた先で、人が顔から血を流して倒れている。
原因は、自分である。
会場中が混乱の渦に飲まれており、大きな大きな声が響いており、そのどれもが、自分に対する罵声である。
こんなひどい言葉、監督にも言われたことないかもしれない。
頭が真っ白になった。
やがて大人たちが集まってきて、松ヶ谷高校背番号一番、服部秀治はタンカで運ばれていった。
ふと、ベンチを見た。監督は無表情だった……。
* * * * *
松ヶ谷サイドのベンチには、監督の前に選手たち全員が集められている。
皆、重々しい表情だ。
エースが、服部が、投げられない。
監督だけ、いつもと表情が変わらなかった。
動揺するでもなく、怒るでもなく、淡々と、告げた。
「石川」
呼ばれたのは一年生のベンチ入り投手石川繭次郎だ。
「はい」
石川が緊張した声で返す。
「何点取られても構わん。次のイニングから六回まではお前が投げろ」
「…… …… ……はい」
石川に、それ以上の答えは無かった。この一年生は、大事な甲子園がかかった試合で、『はい』と返事をする以外無かった。
「それからお前ら全員よく聞け。
敵はこちらがこれで心が折れたと思ってる。それが敵の弱点になる。
まずあの先発ピッチャーはもう投げられないだろう。次の投手が出てくるはずだ。
そしたら石川……」
「……はい」
この時石川は、「やり返せ」と言われるかもしれない。と思った。
「相手投手の顔をよく見てから投げろ。ぶつける必要はない。
高校野球には報復死球なんて馬鹿げた不文律はないからな。ただし……『万が一』の間違いがあることを相手に強く意識させろ」
「は、はい!」
「これで向こうの投手もいつもと勝手が違う。次、野手陣」
「「「はい!」」」
「今日は、クサイ球は全部振らないで『見ろ』。全部ボールになってくれる。
逆に、ストライクゾーンに露骨に入ってくる球はみんな甘い球だ。それをぶっ叩け。いいな」
「「「はい!!!」
「それから、中村……」
「はい」
「兵藤、山下」
「「はい!」」
次に呼ばれたのは、二年生の第二先発中村。そして二遊間を守る兵藤と山下。
「ヒロト」
「はい」
次は中堅手の香山裕人。
「田島、國枝」
一塁手の一年生田島、三塁手の國枝が呼ばれる。
「「はい!」」
「細川、御徒町」
そして外野手の二年生二人。
「……八木橋」
「はい!!」
最後に捕手の八木橋が呼ばれた。
「……絶対勝て。いいな」
「「あーーーす!!!!!!!!!!」」
試合は再開された。
結果は、七回コールド、9対0。松ヶ谷の勝利だった。
松ヶ谷高校は、甲子園出場の切符を手に入れた一方、
四河路商業高校、二年生投手、野沢は全てを失った。




