第6話 認められない第一王太子妃
それからの数か月間、ローゼマリーは王宮へ週一回だけ帰るというハインリヒとの約束を守りつつ、多くの時間を私の屋敷で過ごした。
ジールマン元男爵夫妻は、最初はローゼマリーに厳しく接していたものの、一緒にマクシミリアンの子育てをするうち、彼女がハインリヒに近付いた罪を許して和解した。そして、マクシミリアンの下に足繁く通うようになった。
ローゼマリーが過去の過ちを許された理由は、マクシミリアンのお陰だろう。夫妻は時間を見つけては、用も無いのにローゼマリーの部屋に顔を出し、積極的にマクシミリアンの世話をしていた。
私はそんな三世代の交流ができるように、ジールマン元男爵夫妻に長めの休暇を与えたり、ローゼマリーとマクシミリアンの警護責任者に元男爵を任命したりした。
こうしてローゼマリーは穏やかな日々を過ごしていたが、あと数日で、私の屋敷での休養期間が終わろうという頃、彼女の第二子の妊娠が判明した。
◇ ◇ ◇
私がローゼマリーの部屋で一人、彼女が王宮で着るための妊婦用の服を準備していると、マクシミリアンの面倒を終えた彼女が部屋に戻ってきた。
「ユリア様、第二王太子妃が何をしていらっしゃるんですか。それは侍女の仕事です」
ローゼマリーは侍女に部屋の外で待機するように言いながら、扉を閉めて、膨れっ面で私を見た。
一緒に住むようになってから彼女とすっかり打ち解けていた私は、お茶目に舌を少し出して、「ごめんなさい」と謝る。そして、彼女に上目遣いの視線を向けた。
「あのね、余計なお世話だとは思うんだけど、あなたの服を仕立ててみたの。可愛いあなたになら似合うと思って」
ベッドに置いた妊婦用の服のうち、私は赤子が好きそうな小動物のアップリケがあるカーディガンを手に取った。
「どうかしら? まだまだ下手なんだけど、良かったら着てみてくれない? もちろん、気に入らないところがあったら言って欲しい。もっと勉強して上達したいと思っているから」
「ユリア様……」
「私は一生、こういう可愛い妊婦用の服を着る機会はないけれど、少しだけ憧れがあるの。だから、せめて、ローゼマリーさんが着ている姿を見られたらと思って……」
私がカーディガンに温かい視線を送っていると、ローゼマリーが口元に手を当てて泣き始めた。
「どっ……どうして泣くの!?」
「……だって、ユリア様がとてもお優しくて……。それに、そういう服を着る機会が無いだなんて……」
私は彼女に駆け寄って、背中をさすりながら部屋の端まで連れていく。そして、ポケットから鍵を取り出すと、秘密の話ができるように隠し部屋に入った。
「変なことを言ったみたいで、ごめんなさい。私は趣味で裁縫を始めただけで、先程の言葉に含みはないの。それに、この手の服はプレゼントしてあげられる人が限られるし、私にはローゼマリーさんしかいないから……。だから、本当に気にしないで」
私がローゼマリーを慰めると、彼女は両手で涙を拭った。そして、私が腕に掛けていたカーディガンを手に取って笑顔を見せる。
「分かりました。ユリア様のカーディガン、大切にします。私の宝物です。早速、今夜から着てみたいと思います」
「本当に? とても嬉しい!」
私は喜びのあまり、思わずローゼマリーに抱き付いた。すると、ローゼマリーもカーディガンを手に持ったまま、私をギュッと抱き締める。
「……ユリア様は本当に心が温かい方ですね。こんなにも優しくされたら、私……」
ローゼマリーはそのまま私の肩に顔を当て、声を上げて泣き始めた。私は驚きながらも、何か事情があるのだと感じ、そのままローゼマリーを抱き続けた。
しばらくして、泣き止んだ彼女は私から少しだけ身体を離し、目に涙を溜めたまま顔を上げた。
「……私、王宮に戻りたくありません」
「ローゼマリーさん……」
「あんな地獄、もうイヤです……」
ローゼマリーはそう言うと、視線を下げる。
「王宮に比べて、ここは天国です。こんなにも住み心地が良い場所は他にありません。ユリア様も、侍女達も、本当に良い人達ばかりです。両親とも仲直りでき、今はとても優しくしてくれます。それに、皆がいつも笑顔で幸せそうにしていて、私が婚約前に目指していた理想形がここにあります」
ローゼマリーはそう言った後、目を伏せた。
「……実は昨夜、王宮に戻る挨拶をするために両親を訪ねた時、二人の前で泣いてしまいました」
彼女の目に、再び涙が溜まり始める。
「この数か月は週に一度だけ王宮に帰っていましたが、嫌がらせが以前よりも酷くなりました。マクシミリアンを乳母に預けて一人になると、王宮の皆が私のことを無視するんです。私は王太子妃なのに、まるで存在しないかのように扱われて……」
ローゼマリーは俯いたまま、両手をギュッと握りしめた。
「食事は、私から何度も頼まなければ出してもらえません。着替えの服はベッドに投げ捨てるように置いてあります。当然、誰も着付けを手伝ってくれません。ベッドのシーツはなんだか黴臭くて汚れています……。それが辛くて、悔しくて、悲しくて……」
ローゼマリーは、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。
「……だから、王宮で嫌われ者の私は、皆の希望を叶えるために、早々に消えてあげるつもりです。お腹の子を産んだ後、子供達が私に懐く前に、一人で王宮を出ようと思っています……」
どうやらローゼマリーに対するいじめは、かなりエスカレートしてきているらしい。侍女達の上司を含めて、それを止める者はいないようだ。王宮の組織として異常な状態だ。
私はこれまでの経験から、このいじめには高位貴族が関わっていると感じた。それもかなり身分の高い人物だ。
──首謀者は、王太后様かしら……。
私が長子を産まなかったことに一番不満があるのは、ハインリヒと私の婚約を王族会議で決めた彼女だ。加えて、将来の国王の母親となるローゼマリーの発言力を削ぐため、他の高位貴族と共謀して、彼女の失脚を図っている可能性が高い。
いずれにしても、私はローゼマリーの表情を見て、既に彼女の心が限界に達しているのを悟った。すぐにでも保護が必要な状況だ。
「ローゼマリーさん。そんな覚悟があるのなら、いっそのこと王宮から離れて、こちらに移り住むのはどうかしら?」
私がローゼマリーにそう言うと、彼女は驚いた表情で私を見た。
「よろしいのですか? ハインリヒ様と婚姻を結んだのは、私自身が選択した道なのに……。ユリア様は私の我儘を聞いてくださるのですか?」
ローゼマリーは縋るような目で私を見る。私はコクリと頷いた。
「あなたには休養が必要だと思う。無理に王宮に戻る必要はない。このままでは、第二子の胎教に悪いし、マクシミリアンの成長にも悪影響が出てしまう。この場所を気に入ってくれたのなら、好きなだけ滞在してもらって構わないわ」
私はローゼマリーの目元に指を当て、その涙を拭ってあげた。
「それに、私も今の生活を気に入っているの。だから、親友のあなたがここにいてくれるのなら、とても嬉しい」
彼女は涙目のまま、照れながら笑みを浮かべる。そして、「ありがとうございます」と小声で言って頭を下げた。
しかし、私には一つ懸念があった。それをローゼマリーに問い掛けた。
「ハインリヒを向こうに置いたままでも大丈夫? 彼はあなたのことを一途に愛しているから、それが少し心配なの」
私の質問に、彼女は視線を下げた。
「そうですね。それは自覚しています……。でも、私はもう、王太子妃でなくても構いません。ハインリヒ様には申し訳ありませんが、もし王太子妃が必要でしたら、第三王太子妃を探していただきたいと思っています。側室が欲しければ、置いて頂いて構いません」
「ローゼマリーさん……」
「私は王宮にいる人達が大嫌いです。週に一回であっても、王宮に帰るのがこの上なく苦痛です。……ユリア様がいなかったら、私は自ら命を絶っていると思います。本来は、その中でも耐え抜くのが王太子妃・王妃の役目なのかもしれませんが、心が弱い私には無理でした」
ローゼマリーの瞳から涙が溢れ出た。
「……本当に、我儘で、弱虫で、勝手に家出しようとするような情けない第一王太子妃で、申し訳ありません……」
ローゼマリーは消え入るような声でそう言って、再び頭を下げた。涙が床にポタポタと落ちる。
私は彼女に顔を上げるように言った。
「自分のことをそんな風に言わないで。あなたは何も悪くない。悪いのは王宮の人達。むしろ、良くここまで耐え抜いたと褒めてあげたいぐらい」
私は彼女に笑みを向ける。
「あとは任せて。私が必ずあなたを守ります」
「ユリア様……」
「とりあえず、今日中に、こちらに移り住む旨の書状をハインリヒに出してくれるかしら? 子供達は帝王学の勉強があるから、ずっと私の屋敷にいることはできないけれど、十歳になるまではこちらで育てましょう。あなたの味方だった乳母も呼び寄せて。私は将来の王子達の安全のために、自領のさらなる警備の強化を国王陛下に依頼します」
私はローゼマリーにそう伝えた後、腕を組んで、これからのハインリヒとローゼマリーの関係について、どのようにしていくのが良いのかを考えた。
ローゼマリーはもうハインリヒとの夫婦関係を諦めているとはいえ、ハインリヒの方が易々とそれを受け入れるとは思えない。
「ローゼマリーさんを追って、ハインリヒまで私の領地に移り住むなんてことはないわよね……。将来、私の領地で執務を行うなんてことになったら、本当に困るのだけど……」(小声)
独り言のつもりだったが、ローゼマリーが嬉しそうな笑みを浮かべた。私はすかさず釘を刺す。
「あっ、本気にしちゃ駄目よ? あくまでも、私の勝手な想像だから」
ローゼマリーは困ったような表情で苦笑した。
「はい、もちろん分かっています。これ以上の我儘を言うつもりはありません。ハインリヒ様にはちゃんと、勝手にこちらに来ないように手紙で伝えておきます」
彼女はそう言いながらも、寂しそうな顔をする。
私は万が一にもハインリヒと性的関係を持たないようにするため、故意に彼を避けていた。ローゼマリーはそれを知ってはいるが、おそらく本音では、いつか三人で楽しく過ごせる未来を夢見ていたのかもしれない。
私はしばらく悩んだ後、ローゼマリーから視線を外して、斜め上方に目を向ける。そして、呟くようにして口を開いた。
「……もし、王家のお金で離れの屋敷を作ってくれるのなら、ハインリヒの滞在は認めないけれど、時々彼がここに顔を出すぐらいは許してあげてもいい」
「えっ?」
「子供達の成長に父親は必要だし、あなたの心の回復にも彼は不可欠だと思う。……だから、お金をすぐに調達するように、彼宛の手紙に書いておいて」
私が顔を真っ赤にしてそう言うと、ローゼマリーは勢いよく私に抱き付いてきた。そして、少し身体を離すと、純粋無垢な満面の笑みを私に向ける。
「ユリア様、大好きです!」
私は頬を赤く染めたまま、ローゼマリーに優しく微笑み返した。