表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/7

第6話 認められない第一王太子妃

 それからの数か月間、ローゼマリーは王宮へ週一回だけ帰るというハインリヒとの約束を守りつつ、多くの時間を私の屋敷で過ごした。


 ジールマン元男爵夫妻は、最初はローゼマリーに厳しく接していたものの、一緒にマクシミリアンの子育てをするうち、彼女がハインリヒに近付いた罪を許して和解した。そして、マクシミリアンの(もと)足繁(あししげ)く通うようになった。


 ローゼマリーが過去の(あやま)ちを許された理由は、マクシミリアンのお陰だろう。夫妻は時間を見つけては、用も無いのにローゼマリーの部屋に顔を出し、積極的にマクシミリアンの世話をしていた。


 私はそんな三世代の交流ができるように、ジールマン元男爵夫妻に長めの休暇を与えたり、ローゼマリーとマクシミリアンの警護責任者に元男爵を任命したりした。


 こうしてローゼマリーは穏やかな日々を過ごしていたが、あと数日で、私の屋敷での休養期間が終わろうという頃、彼女の第二子の妊娠が判明した。


    ◇ ◇ ◇


 私がローゼマリーの部屋で一人、彼女が王宮で着るための妊婦用の服を準備していると、マクシミリアンの面倒を終えた彼女が部屋に戻ってきた。


「ユリア様、第二王太子妃が何をしていらっしゃるんですか。それは侍女の仕事です」


 ローゼマリーは侍女に部屋の外で待機するように言いながら、扉を閉めて、(ふく)れっ(つら)で私を見た。


 一緒に住むようになってから彼女とすっかり打ち解けていた私は、お茶目に舌を少し出して、「ごめんなさい」と謝る。そして、彼女に上目遣いの視線を向けた。


「あのね、余計なお世話だとは思うんだけど、あなたの服を仕立ててみたの。可愛いあなたになら似合うと思って」


 ベッドに置いた妊婦用の服のうち、私は赤子が好きそうな小動物のアップリケがあるカーディガンを手に取った。


「どうかしら? まだまだ下手なんだけど、良かったら着てみてくれない? もちろん、気に入らないところがあったら言って欲しい。もっと勉強して上達したいと思っているから」


「ユリア様……」


「私は一生、こういう可愛い妊婦用の服を着る機会はないけれど、少しだけ憧れがあるの。だから、せめて、ローゼマリーさんが着ている姿を見られたらと思って……」


 私がカーディガンに温かい視線を送っていると、ローゼマリーが口元に手を当てて泣き始めた。


「どっ……どうして泣くの!?」


「……だって、ユリア様がとてもお優しくて……。それに、そういう服を着る機会が無いだなんて……」


 私は彼女に駆け寄って、背中をさすりながら部屋の端まで連れていく。そして、ポケットから鍵を取り出すと、秘密の話ができるように隠し部屋に入った。


「変なことを言ったみたいで、ごめんなさい。私は趣味で裁縫を始めただけで、先程の言葉に含みはないの。それに、この手の服はプレゼントしてあげられる人が限られるし、私にはローゼマリーさんしかいないから……。だから、本当に気にしないで」


 私がローゼマリーを(なぐさ)めると、彼女は両手で涙を(ぬぐ)った。そして、私が腕に掛けていたカーディガンを手に取って笑顔を見せる。


「分かりました。ユリア様のカーディガン、大切にします。私の宝物です。早速、今夜から着てみたいと思います」


「本当に? とても嬉しい!」


 私は喜びのあまり、思わずローゼマリーに抱き付いた。すると、ローゼマリーもカーディガンを手に持ったまま、私をギュッと抱き締める。


「……ユリア様は本当に心が温かい(かた)ですね。こんなにも優しくされたら、私……」


 ローゼマリーはそのまま私の肩に顔を当て、声を上げて泣き始めた。私は驚きながらも、何か事情があるのだと感じ、そのままローゼマリーを抱き続けた。


 しばらくして、泣き()んだ彼女は私から少しだけ身体を離し、目に涙を溜めたまま顔を上げた。


「……私、王宮に戻りたくありません」


「ローゼマリーさん……」


「あんな地獄、もうイヤです……」


 ローゼマリーはそう言うと、視線を下げる。


「王宮に比べて、ここは天国です。こんなにも住み心地が良い場所は他にありません。ユリア様も、侍女達も、本当に良い人達ばかりです。両親とも仲直りでき、今はとても優しくしてくれます。それに、皆がいつも笑顔で幸せそうにしていて、私が婚約前に目指していた理想形がここにあります」


 ローゼマリーはそう言った後、目を伏せた。


「……実は昨夜、王宮に戻る挨拶をするために両親を訪ねた時、二人の前で泣いてしまいました」


 彼女の目に、再び涙が溜まり始める。


「この数か月は週に一度だけ王宮に帰っていましたが、嫌がらせが以前よりも(ひど)くなりました。マクシミリアンを乳母(うば)に預けて一人になると、王宮の皆が私のことを無視するんです。私は王太子妃なのに、まるで存在しないかのように扱われて……」


 ローゼマリーは(うつむ)いたまま、両手をギュッと握りしめた。


「食事は、私から何度も頼まなければ出してもらえません。着替えの服はベッドに投げ捨てるように置いてあります。当然、誰も着付けを手伝ってくれません。ベッドのシーツはなんだか黴臭(かびくさ)くて汚れています……。それが(つら)くて、悔しくて、悲しくて……」


 ローゼマリーは、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。


「……だから、王宮で嫌われ者の私は、皆の希望を叶えるために、早々に消えてあげるつもりです。お(なか)の子を産んだ後、子供達が私に(なつ)く前に、一人で王宮を出ようと思っています……」


 どうやらローゼマリーに対するいじめは、かなりエスカレートしてきているらしい。侍女達の上司を含めて、それを止める者はいないようだ。王宮の組織として異常な状態だ。


 私はこれまでの経験から、このいじめには高位貴族が関わっていると感じた。それもかなり身分の高い人物だ。


 ──首謀者は、王太后様かしら……。


 私が長子を産まなかったことに一番不満があるのは、ハインリヒと私の婚約を王族会議で決めた彼女だ。加えて、将来の国王の母親となるローゼマリーの発言力を削ぐため、他の高位貴族と共謀して、彼女の失脚を図っている可能性が高い。


 いずれにしても、私はローゼマリーの表情を見て、既に彼女の心が限界に達しているのを悟った。すぐにでも保護が必要な状況だ。


「ローゼマリーさん。そんな覚悟があるのなら、いっそのこと王宮から離れて、こちらに移り住むのはどうかしら?」


 私がローゼマリーにそう言うと、彼女は驚いた表情で私を見た。


「よろしいのですか? ハインリヒ様と婚姻を結んだのは、私自身が選択した道なのに……。ユリア様は私の我儘(わがまま)を聞いてくださるのですか?」


 ローゼマリーは(すが)るような目で私を見る。私はコクリと(うなず)いた。


「あなたには休養が必要だと思う。無理に王宮に戻る必要はない。このままでは、第二子の胎教に悪いし、マクシミリアンの成長にも悪影響が出てしまう。この場所を気に入ってくれたのなら、好きなだけ滞在してもらって構わないわ」


 私はローゼマリーの目元に指を当て、その涙を(ぬぐ)ってあげた。


「それに、私も今の生活を気に入っているの。だから、親友のあなたがここにいてくれるのなら、とても嬉しい」


 彼女は涙目のまま、照れながら笑みを浮かべる。そして、「ありがとうございます」と小声で言って頭を下げた。


 しかし、私には一つ懸念があった。それをローゼマリーに問い掛けた。


「ハインリヒを向こうに置いたままでも大丈夫? 彼はあなたのことを一途(いちず)に愛しているから、それが少し心配なの」


 私の質問に、彼女は視線を下げた。


「そうですね。それは自覚しています……。でも、私はもう、王太子妃でなくても構いません。ハインリヒ様には申し訳ありませんが、もし王太子妃が必要でしたら、第三王太子妃を探していただきたいと思っています。側室が欲しければ、置いて頂いて構いません」


「ローゼマリーさん……」


「私は王宮にいる人達が大嫌いです。週に一回であっても、王宮に帰るのがこの上なく苦痛です。……ユリア様がいなかったら、私は自ら命を絶っていると思います。本来は、その中でも耐え抜くのが王太子妃・王妃の役目なのかもしれませんが、心が弱い私には無理でした」


 ローゼマリーの瞳から涙が(あふれ)れ出た。


「……本当に、我儘(わがまま)で、弱虫で、勝手に家出しようとするような情けない第一王太子妃で、申し訳ありません……」


 ローゼマリーは消え入るような声でそう言って、再び頭を下げた。涙が床にポタポタと落ちる。


 私は彼女に顔を上げるように言った。


「自分のことをそんな風に言わないで。あなたは何も悪くない。悪いのは王宮の人達。むしろ、良くここまで耐え抜いたと褒めてあげたいぐらい」


 私は彼女に笑みを向ける。


「あとは任せて。私が必ずあなたを守ります」


「ユリア様……」


「とりあえず、今日中に、こちらに移り住む旨の書状をハインリヒに出してくれるかしら? 子供達は帝王学の勉強があるから、ずっと私の屋敷にいることはできないけれど、十歳になるまではこちらで育てましょう。あなたの味方だった乳母も呼び寄せて。私は将来の王子達の安全のために、自領のさらなる警備の強化を国王陛下に依頼します」


 私はローゼマリーにそう伝えた後、腕を組んで、これからのハインリヒとローゼマリーの関係について、どのようにしていくのが良いのかを考えた。


 ローゼマリーはもうハインリヒとの夫婦関係を諦めているとはいえ、ハインリヒの方が易々(やすやす)とそれを受け入れるとは思えない。


「ローゼマリーさんを追って、ハインリヒまで私の領地に移り住むなんてことはないわよね……。将来、私の領地で執務を行うなんてことになったら、本当に困るのだけど……」(小声)


 独り言のつもりだったが、ローゼマリーが嬉しそうな笑みを浮かべた。私はすかさず釘を刺す。


「あっ、本気にしちゃ駄目よ? あくまでも、私の勝手な想像だから」


 ローゼマリーは困ったような表情で苦笑した。


「はい、もちろん分かっています。これ以上の我儘(わがまま)を言うつもりはありません。ハインリヒ様にはちゃんと、勝手にこちらに来ないように手紙で伝えておきます」


 彼女はそう言いながらも、寂しそうな顔をする。


 私は万が一にもハインリヒと性的関係を持たないようにするため、故意に彼を避けていた。ローゼマリーはそれを知ってはいるが、おそらく本音では、いつか三人で楽しく過ごせる未来を夢見ていたのかもしれない。


 私はしばらく悩んだ後、ローゼマリーから視線を外して、斜め上方に目を向ける。そして、(つぶや)くようにして口を開いた。


「……もし、王家のお金で離れの屋敷を作ってくれるのなら、ハインリヒの滞在は認めないけれど、時々彼がここに顔を出すぐらいは許してあげてもいい」


「えっ?」


「子供達の成長に父親は必要だし、あなたの心の回復にも彼は不可欠だと思う。……だから、お金をすぐに調達するように、彼宛の手紙に書いておいて」


 私が顔を真っ赤にしてそう言うと、ローゼマリーは勢いよく私に抱き付いてきた。そして、少し身体を離すと、純粋無垢な満面の笑みを私に向ける。


「ユリア様、大好きです!」


 私は(ほお)を赤く染めたまま、ローゼマリーに優しく微笑(ほほえ)み返した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ